第13話 二人の狂人
「ぅ…………ぁ…………」
地面に倒れ伏すリコ。
地面に縫い付けられるように刀が胸に突き刺さり、止めどなく血を流し続ける。 生きているのが不思議なほどだった。
――――それも、あと数分で絶える命なのだが。
「いや、だ……。死にたくない…………」
「その執念だけで命を繋ぐのは感心しますが……いい加減しつこいですわね」
呼吸するのもやっとなリコを霧乃は冷めた目で見つめていた。
『吸血鬼』である彼女は血を吸い尽くすまで殺さない主義なのだが、リコの生に対す執着心に辟易としていた。
彼女の胸から刀を抜き、再び突き刺そうとする。
その瞳に感情はない。まるで体に止まった羽虫を潰すかのように、機械的に彼女の命を奪おうとする。
その直前だった。
「はーい、霧乃ちゃん、そこまでー☆」
この場の雰囲気にそぐわない軽快な少女の声が響く。
その声を聞いた途端、ぴたりと霧乃の動きが止まった。
視線を上げたリコと振り返った霧乃の瞳が同時に見開く。
燃えるような赤髪に血のように赤黒い瞳を持つ少女、咲良がいつの間にか立っていた。
「お、『お母様』……!?」
霧乃が驚いた声を上げる。
そして『お母様』という言葉にリコの心臓がどくん、と一際大きく跳ねる。
それは、彼女が今最もこの場で聞きたくない呼び名だった。
軽快なステップを踏みながら咲良がリコの側まで近付く。
「おっ久しぶり、リコちゃん」
「っ!!!? 嫌、来ないで!」
「んー、久しぶりの再会でそれは酷いなー」
自分自身でも驚く程の大声を上げる。
だが、リコに出来るのはそれだけだ。体は既に満身創痍。気力だけで命を繋いでいる状況である。あっさりと咲良に距離を詰められてしまう。
そして爛々と目を輝かせながら咲良はリコの口と鼻に手を伸ばし、気道を塞ぎ始めた。
「んぅっ!? んぐ、ぁ…………」
「あはははは! すごおい、ねえねえ霧乃ちゃん! 窒息ってやばいね、命を握っている実感が沸き上がってくるよ! 確実に死に向かっているのに必死に生き延びようともがいてる感じがひしひしと伝わってきて堪らないね!! 何だか濡れてきちゃう」
「ちょっと、言葉が下品すぎますわよ『お母様』。……所でお知り合いのようですけどその女誰なんです?」
「ぎ、ぃ…………がぁ、ふっ…………」
そう尋ねてくる霧乃は上機嫌になりながらも容赦なく窒息をさせる咲良の様子に引き気味だった。
対して咲良は酸素を失い、徐々に抵抗を失っていくリコの様子など気にも留めず「んー」と首を傾げる。
「そっかぁ。確か霧乃ちゃんが生まれる前の話だもんね。この子あれだよ、一年前にこの咲良から勝手に逃げた『失敗作』」
「ああ、この子がそうだったんですの……。何とも無様な姿で」
「霧乃ちゃん、その言い草はひどいよ。それに『失敗作』と言えども利用する価値はあるし」
「けほっ……、ぁ、がっ…………!?」
ぐるん、とリコの瞳が裏返った。
そのまま不規則に体を激しく痙攣させていく。
「えぅ、あ、……ふ、んんっ! …………! !! ぁ――――」
びく、と一際大きくリコの体が跳ねる。
直後、ぴたりとリコの動きが止まった。
「……あり?」
予想外の事態に咲良が首を傾げる。
手を離し気道を解放してやるが、それでもリコの体は一切動かなかった。
「おーい、リコちゃーん? ふざけてないで返事してー」
ぺちぺちと頬を叩くが反応はない。
瞳を覗き込むが、虚ろなままで何も映していなかった。
胸に手を当てる。鼓動が感じられず体温もぬるくなっている。
手首に触れ脈を図る。完全に止まっていた。
「……ふふ、ごっめえん☆ 窒息させるの楽しすぎて、つい殺しちゃった(笑)」
たった今、一つの命を奪ったのにも関わらずけらけらと咲良が笑う。
その様子に霧乃も思わず悪寒が走った。
彼女の前には倫理も人権も関係ない。己が良しと思ったことは躊躇なく実行する。そういう人間だった。
リコが死んだことは彼女にとって些細な問題ではない。その程度で利用価値を失うには値しないのだ。
だから、再び咲良はリコの胸に手を当てた。
そして一言、霧乃もぞっとするほど冷たい声音で言い放つ。
「寝てんじゃねえよ」
直後、バチバチ! という激しい音とともに火花が上がる。
直撃したリコの体がびく、と大きく痙攣した。
「がはっ!? はぁ、はぁ…………!」
一瞬で意識を取り戻したリコが息を荒げながら起き上がる。
先程まで窒息の苦しみを味わっていたのに別の刺激を受けたことで、何が起きたのか理解できず混乱していた。
「おはよう、リコちゃん。いくら『失敗作』と言えどもこの咲良が作った『人形』だよ? そう簡単に壊れたら困っちゃうな☆」
「はぁ……はぁ……、ぅえっ?」
「んふふ☆ まだ頭呆けてるっぽいねー。簡単な話だよ、アンタには利用価値があるからまだここで殺さないであげるし、ちゃんとその傷もぜえんぶ治してあげる。大丈夫、『治療』が終わったらセラに会わせてあげるよ」
「せ、ら……? ……! そうだ、セラは!?」
ようやく記憶を取り戻し、セラを捜そうとリコが勢いよく立ち上がろうとする。
だが、目眩を覚え再び地面に倒れ込んでしまう。
「いっ……!? ああああああああああっ!!」
胸に突き刺さった傷から全身に染み渡るように激痛が走る。加えて先ほどの電気ショック。心臓は痛いほどばくばくと鼓動し、内蔵の至る所にまでダメージを負っていた。
体内の臓器が震えているのを嫌というほど体感し、強烈な嘔吐感を覚える。
「えぐっ…………おえっ」
「いやーん、リコちゃん汚ーい☆ 口から血をごぼごぼ吐くなんてウケる~」
今のリコはショックによって無理やり命を繋ぎとめられた文字通りの虫の息だ。もう彼女には気力すらも残っていない。本当に命が尽きてしまう一歩手前。
そんな状態であるのにも関わらず咲良は嘲笑する。
リコの顔を踏み付け、徹底的に彼女の人権を否定する。
「そんなに焦んなくても大丈夫。治療が終わったらこの咲良たちも帰るから」
「っ……、待っ――――」
「おやすみ☆」
リコが口を開く前に。
再び電撃が襲いかかり、リコは意識を失った。
※※※※
喉元に深く歯が突き刺ささっている。
だが、これは獣の牙ではない。――――人間の牙だ。
「――――!」
声を上げようとしたが喉元から漏れ出たのは悲鳴ではなく、「ひゅう」という荒い呼吸音だった。
喉元が食い千切られ、大量の血液を零していく。もう既に声帯は失われていた。
「えへへぇ。おいしいなあ、人間の肉って」
ぽたぽたと血を零しながらミーナが笑う。その純粋無垢な笑顔に身震いした。
狂気に染まり人間をやめた他の不死者とは決定的に違う。この子はまるで人間として育てられていないようだった。咲良やセシリアの持つ狂気が可愛らしく見えるほどに彼女は狂っていた。
「――――っ!?」
不意に襲い掛かってきた痛みに思考がかき乱された。
見るとわたしの右頬にミーナが齧り付いていた。犬歯が肉を突き破り、咀嚼していく。生きたまま人間に食べられる。そのあまりの常識を逸した行動にわたしは恐怖を覚えた。
思考が掻き乱される。体中から力が失われ、握っていた刀を手放してしまう。……いや、ただ
「そろそろ効いてきたみたいだね、ぼくの『毒』が」
「!」
やはり。詳細は不明だが、彼女は体中を弛緩させる毒を所持している。
恐らく、これは彼女の『権能』によるものだ。
だとすると、声が出なくなっているのもこの毒のせいかもしれない。
にちゃ、とわたしの肉を口の中に残したままミーナが饒舌に語る。
「ぼくの『けんのう』でね、けんしっていうのかな? そこが牙にかわってるんだけど、そのなかに毒がはいってるんだー。それでね、ぼくの牙でぷすり、って刺せばあっというまに体中に毒がまわって体がしびれちゃうの」
ずい、とミーナが顔を近づけてくる。
そしてぐい、と指を口の中に持っていき自らの頬を広げて口内をわたしに見せつける。
確かに犬歯に当たる部分がまるで獣の牙のように異様に伸びていた。
「あむ」
右肩に激しい痛み。ミーナの牙が深く突き刺さる。
神経にまで刺さったことで急速に毒が回ったのか、体が重くなる。瞼まで重くなってきて意識が今にも落ちそうだった。
体の自由が効かなくなっている。また、為すすべもなく負ける――――そこまで考えた時だった。
ずぶり、とミーナの胸に細剣が突き刺さる。
「先輩に……、先輩に、触れるなッ!」
ジリアンだった。
怒気を顕にしながらミーナに向かって吼える。
そのまま力任せに剣を斜めに引き下ろし、ミーナの体を捌いた。
肉と骨を断ち切る不快な音が響く。
胃と腸と大量の血液を地面にぶちまけるミーナの表情に一切の苦痛はなかった。突如体のバランスが崩れ地面に倒れ込んだことに疑問を抱いているようだった。当然のことだ。体が裂かれたことで重心を失ったからだ。
「先輩、大丈夫っスか!?」
ジリアンがわたしの側に駆け寄る。
まだ足がふらふらとするが立ち上がれる程度には回復していた。
「ごめん、ジリアン…………ありがとう」
まだ掠れ声だが声も出せる。
試しに喉元に触れると傷が浅い程度にまで回復していた。どうやらミーナの毒の持続時間はそこまで長いものではないらしい。
だが安心してはいられない。彼女はわたしを凌駕する肉体の再生速度を持つ不死者だ。彼女の方を見れば既に傷跡一つもなく、立ち上がっていた。
――――そして、そこから先の行動はわたしたちを恐怖に陥れるのには十分すぎた。
「ああ、おなかすいたなぁ…………」
どこか上の空のようにミーナがぽつりと呟く。
そして視線の先は自らの腹からこぼれ落ちた大腸に向けられる。
その視線の意図に気付いてぞっとする。
隣にいるジリアンも気付いたのか体をわなわなと震わせ始める。
「ふふっ、いただきます」
――――ミーナは、躊躇なく自分の腸にかぶりついた。
「おえっ」
隣にいるジリアンがえずく。口元を手で押さえ、必死に襲い来る嘔吐感に耐えていた。
わたしも、ジリアンの行為には直視することができなかった。あまりにも狂っている。
「んぅ。ごちそうさま」
口元を血で真っ赤に染めながらミーナが笑顔で振り返る。
口に出さなくとも彼女の瞳はこう言っていた。
――――まだ足りない、と。
「先輩、どうするんですか……。あいつ、まだ動けますよ!」
「……策は、ある」
実を言えば彼女を倒せる可能性はまだ残されている。
だが、それはあまりにもハイリスクだ。一度実行してしまえばどうになるか分からない上、ジリアンを巻き込むことになる。それも彼女の心に傷を付けるという形で。
「ジリアン。かなりの覚悟がいるけど……いい?」
「えっ!? そんなこと言われても――――」
「早く!」
いきなりそんなこと言われても困るのは百も承知だ。だが今は時間が惜しい。
声を荒げるのはずるいやり方だと自分でも思う。相手に有無を言わせないような形を取らせてしまうからだ。
だが、今思い付く限りでは他に方法がない。ミーナは文字通り化け物のような存在だ。ならば、こちらも容赦なく戦わなければいけない。
「は、はい! 分かりました!」
「うん、ごめんね。じゃあ、わたしの言う通りに従って」
そう言ってわたしはジリアンに伝える。
彼女を倒す『策』を。
「わたしの頭を撃ち抜いて」
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