第14話 『戦闘狂』ヒルドル
――――時間を遡ること約二十分前。
カレンとアイリスの二人がオリヴィアを探す道中のことだった。
「……! ねえ、カレン。ちょっと待って!」
最初に異変に気付いたのはアイリスだった。
いつの間にか人混みは減っており、周囲も異様に静かだった。
アイリスの言葉にカレンが立ち止まってその事態に気付く。
そして周囲を見渡してようやく置かれた状況を理解する。
――――辺り一面、死体が転がっていた。
ある者は血が抜かれたように肌が青白く、ある者は腹が裂けてを内臓を溢し、ある者は皮を剥がされ赤黒い血肉を覗かせている者がいた。
どれも皆、壮絶な死を遂げたのかその形相には苦痛が満ちている。その中にはカレンとアイリスの部下もあった。
「…………」
二人して絶句しているとかつん、と前方の方から足音が響いてきた。
この状況で奇跡的に助かった人がいるとは考えられない。恐らく、この惨状を作った張本人がこちらに向かっているのだろう。二人して警戒態勢を取る。
「くひっ、くひひひひひひひひひひ。ええ、ええ、驚きです。まだ異教徒が残っていたとは。それとも『神』のご加護を受けし信徒でしょうか」
一人の修道女が現れた。
緑色のロングヘアーにぎらついた紫色の瞳。
清楚な出で立ちをしているのにも関わらず、同時に残虐性も併せ持つ矛盾した雰囲気を抱える少女だった。
どう見ても碌な人物には見えない。
警戒を解かずにカレンが問いかける。
「これはお前がやったのか?」
「ええ、そうです。『神』のご威光を示していただくために『痛み』を与えてい頂いたのですが……。残念ながら皆様には『神』のお声を拒まれてしまったようで」
くひっ、と修道女は耳障りな声で笑う。
「ああ、申し訳ありません。
「!」
「せっ……!? カレン、それって!」
予想外の名前にカレンたちが驚く。
昨夜セラの報告に出てきた名であり、そして彼女たちが捕らえることができなかった不死者の名前だ。
セシリアを睨み付けカレンが問う。
「――――何しに来た」
「くひっ。そうですね、『
「ある人物だと?」
セシリアの答えにカレンが眉を
その問いにセシリアは体を揺らしながら「くひっ」と不快な笑い声をあげた。
「ええ、そうです。……セレスティア・ヴァレンタインさんはご存知ですか?」
「……答えると思うか?」
腰に掛けられた二つの鞘から剣を抜き、剣先をセシリアに向ける。
短く、大きく歪曲した刀身を持つ剣――――
対してセシリアは明確な敵意を向けられているのにも関わらず、彼女は嗤っていた。
「くひっ、そうですか。ええ、ええ、とても残念です。聞く耳を持ってくれないとは、実に嘆かわしいことです」
がしゃり、という音がした。
前方から一定のリズムで金属音が響いてくる。もう一人、誰かが近づいてきている。
「貴女のことは周知ですよ、カレン・ダッシュウッドさん。エルメラド国軍随一の実力者との噂ですね」
「それがどうした」
ニヤニヤと気味の悪い笑顔を見せるセシリアに物怖じもせずカレンが言う。
その間にも、がしゃり、という音は刻一刻と大きくなっていた。
その音の正体が、姿を現し始める。
「ねえ……」
「アイリス、下がってろ」
震える声のアイリス。
カレンも一目見て、戦闘態勢を取り一歩前に出る。
両の腕を大きく広げ、セシリアは笑い、哂い、嗤った。
「いくら我々不死者といえども、到底太刀打ちできない相手とは心得ています。ですから、相応の方を用意しました」
がしゃり、という音が止まる。
セシリアの隣に一人の少女が立っていた。
――――その姿は、異様の一言としか言いようがなかった。
まず、その顔は黒い
口にあたる部分は呼吸するためのものであろうか、弁のようなものが伸びており、『シュー』という奇妙な音を発していた。瞳にあたる部分は大きな黒いレンズが取り付けられており、金属でもゴムでもない奇妙な素材で出来ている面は顔全体から首元まですっぽりと覆われていた。
――――もう少し時代が進んでいれば、その仮面はいわゆる『ガスマスク』と呼ばれるであろう形状をしていた。
仮面の後ろでは髪が確認できたが、その金髪は足元まで届くであろうほどに異様に伸びていた。
そして首元から下は全身を締め付けるように鎖で覆われていた。
両腕は胸の前で交差され、鎖で拘束されている。
足首には枷が取り付けられており、そこからまた鎖が伸びて鉄球を繋いでいた。
まるで獰猛な獣を押さえつけるかというほどの拘束。
彼女が危険な存在であることは一目瞭然だ。
『……セシリア。そこの女か、強い「ヒト」というのは』
くぐもった声で少女がセシリアに問いかける。
その声はあまりにも無機質で機械のようだった。
「ええ、彼女がカレン・ダッシュウッド。この国の中でもかなりの強者ですよ」
『……フン。確かに咲良から「ヒト」とは強い者もいるとは聞いているが。
「言っている意味は分からないが……。私は無敗の記録を守り続けているんだ。今さらここで途切れるわけにはいかないね」
不敵に笑ってみせ挑発する。
いわば、これはカレンにとって戦闘前の『挨拶』のようなものだ。
相手をその気にさせ、そして自身を鼓舞する。
――――カレンには少しばかり、戦闘狂の気があった。
対して煽りを受けた少女に変化は見受けられない。もっとも、仮面で顔を覆っているために表情など分からないが。
『そうか。どうやら貴様はよほどの強者か愚か者であるらしい。あまり
がしゃり、という音が響いた。
一体華奢な体躯のどこに力があるのか、一瞬にして少女を拘束していた鎖が引きちぎられる。
『セシリア。最後に一つだけ問うが力を行使して構わないな?』
「ええ、どうぞご自由に。セレスティア・ヴァレンタイン及び紅崎リコ以外には手出しをしても良いとの命令が下されていますので」
『了解。ではこれより出力を上昇。「臨界点」への到達まで残り八十パーセント。第一戦闘形態へ移行する』
特にその少女が何かしたわけでもない。
だが、雰囲気が一変する。
強烈な圧迫感。肌を焼きそうなほどの熱気。
今もなお、膨れ上がり続ける殺意。
びくり、と背後のアイリスが震えるのを感じる。
『
直後。
眼前にまでヒルドルが迫っていた。
「ッ!?」
咄嗟にカレンは左のカットラスで彼女の右腕目掛けて振り下ろす。
手応えはあった。
見事狙いは当たりヒルドルの柔肌へ刀身が食い込み、ごつり、とした硬い感触まで覚える。
その勢いに任せるままにカレンは体重を思い切り掛けて骨を貫き、ヒルドルの右腕を斬り落とした。
ぷしゃあ、と赤黒い血が噴き出しカレンの半身にもいくつか血飛沫を浴びせられる。
だが、ヒルドルは片腕を失っても苦痛に呻く声を上げることはなかった。
『見事』
背後からの声。
カレンが振り向くよりも早く、後頭部に激痛と衝撃が走る。
「ぐぁっ」
世界がぐるりと回転する。思考が吹き飛び、吐き気に襲われ、平衡感覚を失って地面に倒れ伏す。
だが今度は右腕のカットラスを乱暴に振り回し、ヒルドルの右足に刃が突き刺さる。
『…………』
深々と刺さる刃を気にもせずヒルドルは足を上げてカレンの頭を踏みつぶそうとした。
寸前で転がって回避、即座に立ち上がり間髪入れずに左のカットラスで左胸を躊躇なく突き刺す。
もう既に足元には血溜まりが出来ていて、カレンの半身さえ染め上げていた。
だがヒルドルは意にも返さず、片手でカレンの首を掴み、絞め上げる。
「ぐ、っぅ……!」
『その程度か、「ヒト」よ』
未だ表情が見えないヒルドルはどこか失望したような声で言う。
『
「う、ぐっ、ぁ…………」
ずい、と顔を近づけヒルドルはカレンの耳元で囁く。
『
「知る、かっ……!」
ヒルドルの言葉は図星だった。
確かにカレンも争いは心地いい。軍に所属しているのも戦場へ赴けるのが理由の一つだ。それは誰にも否定できない彼女が持つ一面だ。
しかし、だから何だというのだ。所詮は狂人の戯言。たとえ同じ快楽を得られたとしてもその本質は根本的に違う。
カレンは両腕でヒルドルの腕を掴むと勢いよく膝で蹴り上げた。いくら痛みを感じない身体でも所詮は人体。衝撃を加えれば力なんぞ簡単に抜ける。
「けほっ、はぁ……はぁ……」
絞首から解放され、苦しげに咳き込むもすぐに立ち上がりヒルドルを睨みつける。
その意志に喜びを覚えたのか、ヒルドルの体がわずかに震える。
『ほう……。まだ戦えるというのか、女。気に入った、少しばかり力を見せてやろう』
「……へっ。まだ力を出せるのかい。いいねえ、それなら私も滾る」
『……口だけは達者なようだな』
少し鬱屈そうにヒルドルが答えた直後だった。
ずぞぞぞぞ、と奇妙で不快な音が響き渡る。
そして、カレンは信じられないものを見た。
「!? まさか、これが……!?」
『ふむ。どうやら不死者を見るのは初めてなようだな」
音の正体、それは彼女の切断された右腕からだった。
初めは赤黒いもぞもぞとしたグロテスクな物体が切断面から溢れかえっていた。それは少しずつ伸びていき、繊維、血管、神経、骨、筋肉と形作られていく。
時間にして数十秒。傷一つない肌を持つ右腕が、そこにあった。
『これも邪魔だな』
そう言ってヒルドルは胸と足に刺さった剣を抜く。
同様に傷はなくなっていた。
『それでは、女。少しばかり痛い目に遭ってもらうぞ。――――更なる出力上昇。「臨界点」到達まで残り50パーセント。第二形態への移行』
がちゃん、という重々しい音が響いた。
彼女の顔を覆っていた仮面。その瞳にあたる部分であった黒いレンズが取り外され、地面に落ちていた。
少しだけ、彼女の顔が顕になる。
肌と同様に白い顔色。そして愉しげにこちらを見つめる赤い瞳。
少しだけ掌を開閉し、一言だけヒルドルは呟いた。
『では、良い眠りを。女――――いや、カレン・ダッシュウッド』
直後、カレンの視界からヒルドルが消え。
頬に強い衝撃と痛みが走り、一瞬にして彼女の意識が喪失した。
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