第12話 刺客
――――午後三時、エルメラド軍国本部。
「ああ、もう! さっきから何の騒ぎよ!?」
苛立ったアイリスが悪態をつく。
昨夜、突如苦しみだしたセラの姿がどこにもないのだ。確かに、不死身である彼女は傷の再生が早いし精神面はともかく、肉体面の疲労の回復も早い。だから、もう動けると判断した彼女は勝手に病室から出て行ってしまったのだろう。
しかし、アイリスは衛生兵である。たとえセラがどれだけ回復しようと患者であることには変わらず、たとえ軍の規律で決まってなかろうと、アイリス自身の目で判断しなければ部屋から勝手に出ることは許されないのだ。
さらに彼女を苛立たせる原因はもう一つあった。
「ああもう、何でカレンに繋がらないのよ!?」
さきほどから回線が混み入っており、中々電話が繋がらない。
外の慌しさから察するに各部署が一斉に連絡を取り、混線してしまっているのだろう。
一体何があればこれほどの混乱が招かれるのだろうか。
アイリスがそこまで考えた時だった。
「ハーバード大尉! 緊急事態だ!」
突如、医療室のドアが開きカレンが入ってくる。
ぜえぜえ、と荒い息を吐きながらずかずかと距離を詰めてくる。
『ハーバード大尉』という名前で呼びかけてきたということはつまり、任務があるという意味だ。状況に応じて素早く公私の立場を変えるのも彼女が『忠犬』と呼ばれる由来だろう。
「うわっ、驚いたじゃない!」
「すまない、でもとにかく大変なんだ! 急いで来てくれ!」
「えっ、ちょっ!?」
カレンに手を引かれ軽く顔を赤らめるアイリス。
しかしカレンの切羽詰った表情を見たアイリスがすぐに状況を尋ねる。
「さっきから軍の中が混乱してるけど……何かあったの?」
「エレナ総帥が暗殺された」
「は!?」
突拍子もないカレンの言葉に驚く。
それもそうだ。国のトップが殺される、だなんてあまりにも現実味が薄い。
だが近年エレナ総帥の政策、というより軍が政治を仕切ることに不満を抱く者も徐々に増えていた。だとすると今起きているこの混乱は……。
「まさか、クーデターでも起こしたって言うの!?」
「ああ、そのまさかだ。軍の内部でもエレナ派と反エレナ派の二つに分かれて各地で争いが勃発している」
「嘘でしょ!?」
「それに加えて市街の方では複数の身元不明の人物が暴れまわって被害を及ぼしているようだ。こちらは既に私の部下に命令を下して対処に向かっている」
「なっ……」
次々と伝えられる情報にアイリスが言葉を失う。
それからこの混乱で増えるであろう犠牲者の数を予測して目が眩みそうになった。
「全ての衛生兵をかき集めても絶対に足りないじゃない……!」
「ああ、かなりまずい状況だ。過去最悪の内戦になるぞ」
カレンの言葉が本当なら軍どころか国自体がまともに機能していないことになる。
「状況は把握したけど、今どこに向かってるの!?」
「オリヴィア・ミッドナイトという女だ」
カレンが短く答える。
その名前にはアイリスも聞き覚えがあった。エルメラド国軍屈指の狙撃手ということもあって、軍内ではそこそこ名が広まっている。
確かにエレナ総帥を暗殺できるのも彼女しか該当しないだろう。
「あいつを捕まえて情報を聞く。それからだ」
「ちょ、ちょっと! あんた曲がりなりにも少将でしょ! この混乱をどうにか抑えるために動くべきなんじゃないの!?」
アイリスのもっともな意見にカレンはにっと笑って答えた。
その笑顔を見たアイリスは諦めてしまう。あの笑顔を見せたときは大抵碌なことを考えていない。
「なあに、『策』があるだけだ。私を信頼してついて来いって」
「もう知らないわよ、馬鹿」
※※※※
――――同時刻、『ウォーデン』北部にて。
セラと喧嘩別れし、気分を落ち着かせるためにリコは外を一人で歩いていた。
その時、彼女の耳にあの声が入ってきた。
『ぴんぽんぱんぽーん。はいどうもー、皆さん。わたくし、咲良がお送りいたしまーす☆』
「!? いやああああああああああああああああっ!?」
その声が誰の者なのか認識した途端、即座にリコは耳を塞ぎ拒絶するように叫んだ。
体中から汗が吹き出て目尻に涙を浮かべる。極限の恐怖に心臓がおかしいぐらい鼓動が早くなっていた。
「うそっ、なんで、なんで『お母様』が!?」
トラウマを刺激され、徐々に血の気が引いてくるリコ。
懸命に吐き気を抑えながら、とにかく逃げようと走り出す。
だが、
『という訳で、自己紹介は時間ないからしないけど、不死者全員に来てもらいましたー。さあ皆さん、思う存分ぶっ壊しちゃって☆』
再び響き渡る咲良の声。
その言葉の意味を完全に理解する前に、目の前の光景が指し示してくれた。
ぴちゃり、という音と共に水溜まりを踏む。
「……?」
ここ数日は雨など降っていなかった。だから、思わずリコは足元が気になってしまったのだ。
そして、視線を下に向けてリコは直視してしまう。
「ひあっ!?」
血溜まりがあった。
まだ出血してそれほど経っていないのだろうか。妙に暖かく、それでいて強烈に生臭い匂いが鼻腔を刺激する。
どこから血が垂れているのか。リコはその血痕の先を目で追って正体に気付く。
ぱっくりと。
首が裂けた男が倒れていた。
「っ!? う、あ、ああっ」
それだけじゃない。
周囲を見渡すと女も男も、大人も子供もみな首が切られていて、そこから大量の血を垂れ流していた。
あまりの凄惨さに言葉を失い立ち尽くしているとこつ、こつと正面から足音が聞こえてきた。
「どれもこれも美味しい血ですけど……やはりセレスティア・ヴァレンタインには程遠いですね」
幼い少女の声が響き渡る。
どこかで聞き覚えがある声。
姿を現した人影の正体を見たリコは恐怖に体が硬直した。
黒いストレートの髪に赤い瞳。
赤い着物を着込み、左手に刀を携え。
あの時、セラを串刺しにした童女が立っていた。
「うああああああぁぁぁぁぁぁああああああ!!!?」
彼女の姿を認識した途端、リコは振り返り半狂乱になりながら走り出した。
眼前にまで刃を向けられたことを思い出し、一切の思考が吹き飛んだ。
強い生存本能に突き動かされ、必死に彼女から逃げようとする。
だが、運命はそこまで甘くない。
すぐ耳元で声が聞こえた。
「言ったでしょう? 次はないと」
瞬間、首筋に痛みが走った。
直後に強烈な目眩を覚え、リコは倒れ込んでしまう。
「……ぁ?」
頬に生暖かい感触。
付着したそれを指で拭い、視界に捉えた瞬間背筋が凍った。
赤黒くべっとりとこびり付いた液体。
目線を下げると、赤黒い液体が地面に大量に溢れ体の半分を染め上げていた。
「……ぃ、ゃ…………」
急速に体温が低下していく。
ぱっくりと裂けた首から血が零れるたびに体から失われてはいけない何かが流れ出ているような感覚を覚える。
それでもリコは彼女から逃げようと体を這わせる。
「いや、だ…………しにたく、……な、ぃ…………」
視界がおぼろげになる。
意識が朦朧とする中、リコの脳裏に『姉』とセラの顔が浮かび上がる。
――――そうだ、私はここで死ぬわけにはいかない。
生への執着。それだけでリコはかろうじて命を繋ぎ止めていた。
しかし、現実は非情であった。
「……せ……ら、おねがい、たす、……けて…………」
「さようなら」
直後。
容赦なく、リコの胸に刀が突き刺さった。
※※※※
「これ、やばいっスね先輩! 全然前に進めませんよ!」
「ごめん、これはわたしも予想外だった!」
ジリアンと共にわたしは街に出ていた。
市民たちは混乱し、一斉に逃げ惑いもみくちゃになっている。この区域ではまだ被害は出ていないようだが、それも時間の問題だ。
このままでは
――――そして、考える必要すらもなかった。
「……先輩、何スか、あれ…………?」
ジリアンが前方を指差し、もう片方の手で震わせながらわたしの裾を掴む。
言われた通り、前方を見て正体を視界に捉える。
一人の幼い少女が立っていた。
金髪のショートボブに爛々と輝かせる青い瞳。小さく覗かせる八重歯が活発な印象を持たせる。
これだけ見れば可愛らしい少女だった。だが、その雰囲気があまりにも異常すぎた。
確かに外見だけ見ても特別変わった様子は見当たらない。だが何故か少女の姿を捉えた途端、胸に強烈な圧迫感を覚えた。
「こんにちは! ぼく、ミーナ。ミーナ・グレンデルっていうの、よろしくね!」
ミーナ、と名乗った少女が笑顔で近づいてくる。
どこからどう見ても無垢な少女そのものだった。なのに、何故か危機感が拭えない。
そしてようやく彼女の目線に気付く。爛々と輝いていたその瞳は異様にぎらついていた。――――まるで獲物を見つけたかのように。
八重歯を覗かせ、首を傾げながらミーナが問う。
「ところで、おねえさんたちは食べてもいい人間?」
「……!? まずい、こいつ、まさか――――っ!?」
直後、ミーナが大口を開けて飛びかかってきた。
わたしは寸前の所で躱し、抜刀した勢いのままに彼女の胸を躊躇なく突き刺す。
驚いていたジリアンもすぐに応戦し、すぐに細剣を抜き彼女の下腹部を貫いた。
血が止めどなく溢れかえりミーナの体が宙吊りになる。
幼い少女を突き刺したことに罪悪感を覚えるが、すぐにその感情は失われることになった。
「んー? おねえさんたち、ぼくはしなないよー?」
ぞわり、と背筋に悪寒を覚える。
ミーナは。体を二箇所貫通されてもなお。
笑っていた。
「これじゃからだうごかせないや。じゃまだからこれどかすね」
そう言いながらミーナは躊躇なく刀身を掴みとり、掌が血で染まるのを気にもせず胸から抜き取ろうとする。
その様子に恐怖を覚えるが、彼女を逃すまいと貫通させたまま壁に押し付けた。
しかし、ミーナの笑顔は絶えない。
「あれれ、ぬけなくなっちゃった。しょうがない、こうするか」
そう言うとミーナは体を勢いよく捻り、突き刺さった箇所から引きちぎって脱出した。
腸と血をこぼしながら地面に倒れ込む彼女を見たジリアンが悲鳴を上げる。
いくら不死身とはいえ、躊躇なく自分の体を引き裂くミーナにわたしは戦慄した。
そして、これだけボロボロになってもミーナは苦痛に呻くことはなかった。
ようやく、その様子を見てわたしは確信する。
「まさか……痛覚がない!?」
「んー? 『つうかく』っていたいってこと? ぼく、それよくわかんなーい」
地面に倒れ込んだままミーナが舌足らずに喋る。
そして、わたしは信じられない光景を見た。
引きちぎれ、内蔵が見えていた彼女の傷が一瞬にして塞がっていく。胸から肩にかけて骨まで見えていたのにすっかり元通りになって、少女特有の瑞々しい肌が現れていた。
こいつ、明らかにわたしの再生速度を凌駕している――――!?
「えへへー。こういうふうにね、ぼくってからだがもとにもどるんだぁ」
ミーナは立ち上がり、再び大口を覗かせる。
「じゃあ、もういいよね。――――いただきます」
その時、わたしは何が起きたのか理解できなかった。
ジリアンの悲鳴が背後から聞こえる。
深々と、喉に何かが突き刺さる感覚と激痛にようやく事態を理解する。
ミーナが、わたしの喉笛に喰らいついていた。
――――わたしは本当の狂気を知る事になる。
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