第8話 童女

 ――――セシリアとの戦闘から三日後。


「なあんで、私たちが徒歩で帰らなきゃいけないのさー!?」


 何もない平坦とした道を歩きながらリコが叫ぶ。


「仕方ないでしょ。まさか線路が断線してるだなんて思わなかったし」


 彼女の愚痴に宥めるようにわたしが返す。

 しかし、その程度でリコの怒りは収まらなかった。


「でもさ、おかしいでしょ!? 橋を渡る線路が丸ごと崩壊しているなんて! 絶対誰かが爆破させたでしょ!」


「確かにこのタイミングでの断線は不自然だとは思うけどね。明らかな人為的要因だとは思うけど、だとしたら普通にテロ行為じゃない?」


 確かにエルメラド軍国周辺の情勢はよくないし、軍部が直接国を政治していることに不満を持つ民も少なくはないはずだ。それを考慮しても移動の生命線である線路を破壊するのはやり過ぎだとは思うが。

 だけど犯人に心当たりが実はわたしにはなくもない。


「こんなことできるのあいつだけだよね……。でもだとしたら何のために? いや、あいつは特に意味もなくこういうことするんだっけ……」


「で、何でさっきからセラぶつぶつ呟いてるの? 心当たりあったら恋人として色々心配になるんだけど」


 不意に横からリコが怪訝そうに顔を覗き込んでくる。

 というか近い! それに『恋人』を強調してくるし!


「そ、そんなことないよ? まずこ、ここここ恋人ってそんな強く言わなくても」


「明らかに動揺してるじゃん。それには事実でしょ、は」


「動揺してるのはリコの変な発言のせいだよ、あと恋人って二回も強調して言わないで!」


 みるみる体温が上がっていく。きっと今のわたしの顔は真っ赤になっていることだろう。

 昨日のデートもかなり恥ずかしかった。いくら同性愛に寛容な国とはいえ、街中で手を繋いで歩いたり一つのコップにストローを二つ入れて飲んだり、公園のベンチで膝枕をされた挙句キスされるのはたまったもんじゃない。全部嬉しかったし、幸せな気分になったけど!


「ちょっとセラ、何そのにやにやした顔」


「う、うるさい! ほら、『壁』が見えてきたよ!」


 そう言ってわたしは遠方を指さして誤魔化す。

 その先には巨大な『壁』が見えていた。

『壁』の内部にある都市こそがエルメラド軍国の首都である『ウォーデン』である。当然ながらここに軍の本拠地があるので安易に侵略されないよう、五十メートルにも及ぶ『壁』で市街を囲っている。一体全体、どうやったらこんな巨大な建造物が作れるのか疑問に思うのだが、こんなことを実行できるくらいにはこの国に力があった。

 

「『壁』が見えてきたっていっても……。見えてきただけじゃん。あとどれくらい?」


「二時間ぐらい?」


「むーりー! 死ぬ、足が先に死ぬぅ!!」


「何だかんだ言ってここまで五時間ぐらい歩いてきたじゃん。まだウルスから歩いてこないだけマシよ?」


 うだうだ言ってるリコの頭を軽く叩いて歩き出す。

 わたしだって足がへとへとなのだ。今すぐ休んでいきたい所だったが生憎予定が詰まっている。

 軍への報告、不死者の情報収集、次の戦闘に備えての鍛錬――――やるべきことはたくさんある。前回の過ちを繰り返してはならないのだ。必ず不死者を殺し、これ以上悲劇を生み出さないようにしなければならない。

 ――――そして最終的にはわたしが死ななければいけないのだ。

 と、リコの愚痴を聞き流しながら熟考していた時だった。


「そもそも、ここら辺何もないのが問題なんだよ! せめて景色が変わればもう少し歩く気にもなれ」


「リコ、待って!」


 なおも愚痴をやめないリコの前に手をかざし、制止を促す。

 向こうから、一人の童女がやってきていた。

 前髪を切り揃えたストレートの長い黒髪に赤い瞳。やや踵の高い木製の靴を履いており、こつこつと足音を鳴らしながら近づいてくる。外見からしてまだ十歳にも満たないであろう幼い少女だった。

 少し奇妙な外見だが、何よりも特徴的なのは――――。


「何、あの服……?」


 独特な模様が描かれた何とも形容しがたい形状の衣服だった。素材は絹でできているように見える。

 だが、リコには心当たりがあったようだ。


「嘘、着物……?」


「きもの? 何それ?」


「東の国の服だよ。向こうではあの服が一般的なの」


 なるほど、それならばあの独特な前髪と髪色にも納得できる。

 黒髪は東の国の人に多いと云われている。恐らく、あの独特な形状の靴も東の国では一般的に履かれているのだろう。

 だとしたら、何故このような所に子供が一人で……?

 二人で困惑しているうちに童女がすぐ側まで来ていた。


「こんにちは、お姉さん方」


 少女は頭を下げて挨拶をする。

 その礼儀正しさからかなりの素養を受けていたと思われる。

 少し驚いたがわたしも、童女に挨拶を返し疑問をぶつける。


「えっと、こんにちは。どうして一人でいるの? 迷子……じゃないよね?」


 明らかに幼い子供が一人で歩いているのはおかしいことだが、それにしてはともて冷静でまるで迷子のようには思えなかった。

 童女に話しかけながら、どことなくリコと出会った日のことを思い出して懐かしい気分になる。

 だが童女はわたしの言葉には答えず、そっと笑みを作ってわたしの耳元に顔を近付けた。

 そして、甘く囁く。

 



「あなたが、セレスティア・ヴァレンタインね」




「リコ、離れてっ!!」


「え?」


 童女の囁きを聞いた途端、叫びながらリコの体を押し飛ばしていた。

 直後、わたしの首から血が噴き出す。

 ぴちゃ、と生暖かい返り血がわたしの頬にもついた。

 強烈な目眩を覚え、受身も取れずに倒れ込んでしまう。

 倒れ込んだ先は固い地面ではなく、やけに生暖かい液体だった。

 全部、わたしの血だった。


「ぅ……ぁ…………?」


 何が起きたのか理解できないまま、思考が曖昧になっていく。

 少しでも気を抜いたら意識が落ちてしまいそうだった。

 何とか顔を上げ、童女の方に視線を向ける。

 一本の刀が見えた。その刃には大量の血が付着している。

 その血をぺろりと舐め、童女は身悶えした。


「美味しい! 何これ、すごく美味しいわ! あなたの血は極上ね、セレスティア!」


「あなた、は……! まさか……!」


「ふふ、申し訳ありません、自己紹介が遅れましたわ」


 童女はにっこりと微笑んで頭を下げる。

 その笑みにはあどけらしさと、底知れない狂気が同時に浮かんでいた。


「わたくしの名前は霧乃きりの。あなたと同じ、不死者ですわ」


「!?」


 何で、こんな幼い子供が!? 

 信じられない言葉に、それ以上思考することを放棄してしまう。

 目の前の童女を、敵として認識することができなかった。


「わたくしは強い吸血衝動がありまして。少々強引なやり口ですけど、あなたの血を頂いて貰いますわ」


「ちょっと、まっ」


 言葉が続かなかった。

 何かが、わたしの全身を貫いた。

 文字通り、『』だ。余すところなく全てがに貫かれた。

 視界が真っ赤に染まる。耳が何も聞こえなくなる。口の中が鉄臭い味で満たされる。

 わたしは、すぐにの正体が分かってしまった。彼女の持つ『権能』を一瞬で理解してしまった。

 理解した途端、わたしの精神的許容が限界を超えた。かつてセシリアから受けた『痛み』など比ではない。もっと恐ろしく、苦しいものだ。

 すぐに、わたしは意識を手放してしまった。






※※※※






「セラぁ――――!!」


 吹き飛ばされたリコが起きた途端、視界に入ったのは首から血を噴き出すセラの姿だった。

 セラの足元に大量の血溜りができあがり、彼女はその中に倒れ伏す。

 誰がやったのかすぐに分かった。刀を手に持つ童女だ。

 彼女はセラの血を舐め取り、狂ったような笑みを浮かべる。


「よくも、セラを――――!」


 相手が不死者だとか、自分の力が弱いとか関係ない。愛しい恋人が斬られた。それだけでリコは躊躇なく童女の方に駆け寄っていく。

 だが、その戦意はすぐに失われることとなる。


「…………」


 童女が何かを呟いた。

 



 直後、セラの体が真っ赤な槍に串刺しにされる。


「っ!?」


 思わず、リコが歩みを止めてしまう。

 そして、その槍の正体を童女が饒舌に語った。


「わたくしの『権能』は『凝血』。一度舐めた血を固まらせ、自在に操る能力です。さきほど、あなたの血を頂いたので。ふふ、どうです、自分の血で串刺しにされる気分は。……最も、もう聞こえていないのでしょうが」


「うぁっ!? うっ……おえええええええええええ!!」


 全部、あの槍がセラの血。それを理解してしまったリコが嘔吐する。

 全身の血液。つまり、今のセラは余すところなく全ての皮膚から貫かれている状態だ。

 不死身であるセラは恐らく、あの状態になっても死なないし意識があったのかもしれない。だが、仮に意識があったとしてもこの状態を理解して正気を保てるだろうか。

 想像しただけで気がおかしくなりそうだった。胃の中の吐瀉物を全てぶちまけてもなお嘔吐は止まらず、胃液を吐き出し続ける。

 

「さて、もう意識が無いでしょうしあなたの血を頂きましょうか」


 直後、セラの体を突き刺していた槍全てが液化する。

 ぱしゃり、と血の雨を受けたセラの体が真っ赤に染まった。

 体をぴくりとも動かさないセラに童女が近付いていく。


「ふふ、ああ、あなたの血。とっても甘美ですよぉ。ふふふ、久しぶりだ、こんなに美味しい血は」


 舌なめずりをしながら童女はセラの首をそっと撫でる。

 そのまま吸い取ろうと口元を近づけた時だった。


 ぱぁん、と乾いた銃声とともに。

 童女の左肩に穴が空く。


「セラに、セラに触れるなっ!」


 リコが拳銃を構えたまま、怒号をあげる。

 顔は青く全身を震わせいたが、無理をしてでも彼女は童女が許せなかった。


「ああ、せっかくいい所でしたのに。興醒めです」


「ひっ!?」


 そう言って振り返った童女の表情を見てリコが恐怖におののく。

 無表情だった。その瞳には何も映していなかった。


「わたくしがセレスティアに用があって来たのです。邪魔しないで」


 直後、ひゅんと短く風を切る音がする。

 次の瞬間には眼前に刃が迫っていた。


「ぁ…………」


 何も反応できない。何かの感情を持つ暇もないまま、ここで終わる。

 それほどの速さ。迅速に殺し、羽虫に構う無駄な時間を少しでも省略しようとする。童女にとってリコはその程度の認識しかなかった。

 だから。

 リコがようやく死の恐怖を抱いたのは、すぐ数ミリ先で刃が止まった時だった。


「ひぁ……!?」


「ちっ」


 リコが上擦った声を上げる傍ら、童女が舌打ちをする。

 構えていた刀を鞘に納め、振り返った。


「残念ながらお時間です。今日はここまでで許してあげます」


 そう言って童女はリコの方に目だけ向ける。

 その目には明確な強い殺意があった。


「ただ、これだけは覚えておきなさい。――――次はないと」


「は、…………」


 リコはただ息を漏らすことしかできなかった。

 次の瞬間には、童女の姿はどこにもなかった。


「…………、そうだ、セラは!?」


 呆然としていたリコだが、すぐに我に返りセラの方に駆け寄る。

 血で真っ赤に染まったセラは未だ目を開けていなかった。


「セラ、セラ! しっかりして! お願いだから起きてよ!!」


 必死に揺さぶって声をかけてもセラの意識は戻らない。

 セラは、不死身だ。いくら体を千切られようが吹き飛ばされようが再生する。

 だが、リコは不死身がどこまで通用するか知らない。肉は再生しても、失われた血液がどうなるのか試したことも見たこともないのだ。

 ――――もしかしたら、セラは死ぬかもしれない。


「嫌だ、嫌だよ! セラ、お願いだから返事してっ!!」


 リコがいくら揺さぶってもセラは目を覚まさない。

 涙を流しただ体を揺するリコはそこで荷物の中身を思い出した。


「そ、そうだ、発煙弾……」


 まだ、イグラドシルまでは程遠い。だが、『壁』が見えているのなら信号が見えるのかもしれない。

 リコは震える手で発煙弾を銃に込め、空に向けて発砲した。

 すぐさま赤い煙が空に吹き上がる。


「お願いします。どうか、セラを助けてください……」


 リコは特別宗教に入っているわけではない。だが、今回ばかりは祈らざるを得なかった。

 誰かが救助にかけつけてくれるのを信じ、リコはひたすらセラに声を呼びかけ続けた。


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