第9話 アンマッチ

「かひゅっ……けほっ……」


 喉から歪な声を出しながらヘイゼルが咳き込む。

 胸から下は見るに耐えない有様だった。どこも皮膚は千切れ、筋肉や内臓、果ては骨まで見えている部分がある。どの部位にも歯型が付いていた。


「はあぃ、せっしー、ミーナ。そこまで☆」


 ぱん、と掌を合わせ咲良が上機嫌に答える。

 それを合図に肉を割いていたセシリアと肉を食べていたミーナの動きが止まった。

 どちらも肉だが。


「おま、え……たち、ぜった、ぃに……ころしてっ、がほっ、ごほっ。やる……ころす、ころ、す、ころしてやる……」


 ここまでボロボロになってもなお、驚くことにヘイゼルの意識があった。

 目の前の少女たちを睨み付け、声を掠れさせながらも呪詛を吐き続ける。

 その様子を見た咲良は上機嫌だ。


「えへへぇ、すごいや。ここまでされても正気を保っていられるなんて。いや、もうそれ正気じゃないか☆」


 自分の肉体を削がれ、それを生きたまま食べられる経験なんて常人に耐えられるはずがない。大抵はすぐに意識を手放すか、心が死ぬだけだ。

 だが、彼女はそれを憎悪だけでヘイゼル・ラドフォードという人格を支えた。肉を切られるほどに、齧り付かれるほどに、彼女の憎悪はより増していき自己を強く留めさせる。まるで愛しい人を強く想うように、しかしそれとは真逆の感情のベクトルで彼女の記憶に強く咲良たちが刻み込まれていく。

 ――――最早、彼女の精神は狂気の次元に届いていた。


「ころ、す……せしりあも、さらも、みー、なも……みんなにくい……ころしてやる、ころす、ころす……」


「うふっ♡ すごいや、その憎悪。いいねえ、滾るねえ。こっちもテストした甲斐があったもんだよ」


 咲良は愛おしそうにヘイゼルの体を優しく抱きしめ、髪を撫でる。

 耳元にそっと唇を近づけ、熱い吐息と共に甘く囁いた。


「ごぉかく♡」






 ※※※※






 ――――あれ、わたしどうなったんだっけ?

 確か、一人の女の子と出会って……。

 その子はわたしと同じ不死者で……。

 それから、わたしの血液で体中を貫かれて……!?


「っあ!?」


 声を上げながらわたしは飛び上がる。

 混乱する頭で周囲を見渡すが、何もなかった平坦な道ではなく、白い個室の中にいた。

 部屋の中にリコの姿を見つける。

 しばらく彼女は何度も瞬きし呆然としていたが、やがて涙をいっぱいに浮かべると、


「セラぁ!」


 と急に抱きついてきた。


「うわっ。ちょっと、どうしたのよリコ?」


「だってぇ、セラがっ、セラがぁ! ずっと、意識が戻らなくてっ、すごく心配したんだよ!」


 リコが泣きじゃくる。

 子供のように泣き続けるリコを宥めながら段々と状況を理解し始めた。

 ここは、軍本部の病室だ。恐らくわたしが意識を失っている間に運ばれてきたのだろう。どうやら長い時間気を失っていたらしく、窓の方へ目を向けると既に夜になっていた。

 

「だから言ったじゃない。この程度ならセレスティアは無事だって。大体、切断されたり木っ端微塵になったりしても再生するんだから、出血多量ぐらいどうとでもないわよ」


 今度は別の女性の声がした。

 顔を上げるとアイリスさんが向かいの机に座っていた。普段とは違い、眼鏡をかけている。これは診察するときの姿だ。

 アイリスさんの言葉にリコが泣きながら反論する。


「でも、ずっとセラが目を覚まさなかったから……。不死身っていっても、どこまで再生するのか知らなかったし……!」


「り、リコ落ち着いて。ちゃんと話してなかったわたしが悪かったんだし」


 リコとはこ……恋人同士であるがお互い隠している秘密を多く持っている。厳密に言えば秘密にしているのではなく、お互い詮索しないのを暗黙の了解としているだけなのだが。

 特にリコは過去を、そしてわたしは不死身であることを。だからわたしは彼女の過去はとても辛いことがあった程度しか知らないし、リコも不死身で再生するという大雑把な情報しか伝えていない。

 だからリコは目を覚まさないわたしを見て不安になっていたのだろう。

 

「心配かけちゃってごめん。見ての通りもう大丈夫だから、ね?」


「うん……」


 リコを抱きしめ何度も頭を撫でていると段々と落ち着いてきたのか、ようやく嗚咽が止まる。

 それを見ていたアイリスさんは「はあ」と大きなため息をつく。


「ここは病室よ。イチャイチャするなら外でしてきなさい」


「なっ……!? そういうつもりじゃないです! というか貧血気味で動けないんですけど!」


 意識が戻ったのはいいが、まだ血が完全に再生されてないからか頭がくらくらする。

 ……あの幼い不死者、とてつもなく恐ろしい敵だった。彼女の『権能』の効果がどこまで及ぶかは知らないが、たった一舐めで全身の血液を操れるなら現状では対処しようがない。ただでさえ高速で動ける敵に無傷で戦えというのだ。不死身を活かして正面からごり押しする戦法を取るわたしとはすこぶる相性が悪い。

 と熟考しているとこんこん、とノックの音がした。


「こちらダッシュウッド少将。失礼する」


 そう言いながらカレンさんが入ってくる。

 彼女はわたしの顔を見て一瞬、表情を綻ばせたがすぐに神妙な顔に戻る。


「あー、セラ。せっかく目を覚ましてすまないんだが、作戦の報告をしなくちゃいけなくてだな」


「ちょっと。セレスティアは今安静の身よ。いくら不死身といえども無理をさせてはいけないわ」


 アイリスさんが詰め寄る。

 彼女の言葉にカレンさんが「あー」とバツが悪そうな顔をしながら頭を掻く。


「ごめん、それは分かってるんだけど総帥直々の命令でだな。ぶっちゃけ、すぐ側まで来てる」


 総帥、というのはエルメラド国軍の最高司令官、エレナ・チューベローズ総帥のことである。つまり、軍のトップであり事実上の国家元首でもある。

 いくら安静の身といえども最高権力者からの命令となれば断ることはできない。アイリスさんもため息をついて諦めたようだ。


「分かったわよ。セレスティア、くれぐれも無理はしないで頂戴。気分悪くなったらすぐに受け答えを中止するのよ」


「はい、分かってます」


 アイリスさんは態度こそ冷たいが患者には真摯に向き合ってくれる。良くも悪くも現実主義者なので誰よりも冷静で正常な判断ができるし、口は悪くても心配してくれる優しい人だった。

 まだ貧血で動けないのでこの部屋で話をするとカレンさんに伝え、彼女が部屋から退出して数十分。

 再びドアが開き、カレンさんと車椅子に乗った少女が入室する。

 常に目を閉じた白い髪の少女。

 彼女こそ、このエルメラド国軍総帥、エレナ・チューベローズである。

 驚くことに彼女はまだ13歳だ。そのうえ体はかなり病弱な模様で、足が動かせないために車椅子での生活を余儀なくされており、更に視力も失われている。常に瞼を閉じているのはそのためだ。

 国民は彼女が軍を統率している事実は知らされていない。当たり前だ。この国を動かしているのが、まだ十代半ばもいっていない体が不自由な少女だと判明したら混乱どころではない。

 だが確かに彼女は総帥である。軍に的確な指示を出し、国を確実に成長させている。それでも彼女の裏には強力な参謀がいるだとか、何代も彼女の魂を他の肉体に移動させて政治しているだとかの陰謀論が絶えないのだが。


「お疲れ様でした、ヴァレンタイン及び紅崎さん」


 口を開いたエレナ総帥が穏やかに話しかける。


「まずはここまで帰ってきたことを素直に労いましょう。作戦の成否に関わらず、貴重な戦力を浪費するわけには行きませんので。……最も、万全な状態とは言えないようですが」


「申し訳ありません」


 エレナ総帥の指摘に頭を下げる。

 とはいえ、まさか帰り道に不死者に遭遇して襲われるなど予測できなかったし、相手は圧倒的な力を持っていた。突然の襲撃に対策できるほどわたしたちは戦闘に慣れていないし強くもない。


「まあ、そこまで神妙にならなくても。お顔を上げなさいな。ゆっくりでもいいので作戦の結果をお伝えください」


 エレナ総帥が上品に微笑む。

 わたしは先日のセシリアとの戦いをエレナ総帥に伝えた。道中、ヘイゼルと出会ったこと。セシリアと戦闘を交えたこと。彼女に敗北したこと。そしてヘイゼルが連れ去られたこと。

 一通りわたしの報告を聞いたエレナ総帥がふむ、と頷く。


「そうですか……。一般の方が巻き込まれてしまったのは大変残念なことです。ですが彼女を想って悲しむのはもちろん大切なことなのですが、いつまでも下を向いてはいられません。お二人共そのことは分かってらっしゃいますね?」


「はい」


 エレナ総帥の言葉にわたしとリコが頷く。

 エレナ総帥は満足げに微笑むと続けてこう言った。


「……それで、その連れて行ったという不死者はいったいどなたでしょうか?」


「えっと……」


 予想外の言葉に思わず言葉が詰まってしまう。

 咲良という人物はリコにも話していない。個人的な復讐の相手だから巻き込ませたくないし、彼女についてあまり知って欲しくないからだ。

 だが作戦の失敗の要因となる人物について黙っておくのは非常識だし怪しまれてしまう。軍事に個人の私情を挟んではいけないのが軍の規約だ。

 仕方なしにわたしは彼女の名前を口に出す。


「その不死者の名前は、咲良といいます」


「!」


「えっ!?」


 わたしの返答にエレナ総帥とリコ、それぞれが異なる反応を見せた。

 エレナ総帥はぴくりと眉を動かし、リコは心当たりがあるかのように反射的に叫ぶ。

 いや、本当に心当たりがあったのかリコがわたしに詰め寄ってきた。


「ちょっと、セラ! 咲良ってどういうことなの!? 何でそこでの名前が出てくるの!?」


「え、リコ?」


 パニックになってわたしに掴みかかりながらリコが必死に尋ねてくる。

 リコのこんな様子は初めてだ。確かに彼女は感情的な部分があるが……、怒りと恐怖をないまぜにしたようなこんな表情は見たことない。

 咲良といったいどのような関係があるのか。リコに聞き返そうとした時だった。


「おい、二人共やめないか」


 カレンさんの声が響き渡る。

 

「今は総帥に報告中だ。私的な話は後にしろ」


「すみません……」


「…………」


 カレンさんの言葉にわたしはすぐに謝るが、リコは何も言わずにわたしから離れてしまった。

 その様子を微笑みながらエレナ総帥が見つめていたが、彼女の世話役である女性が耳元に口を近づけ、そっと囁く。それを聞いたエレナ総帥は笑みを消し口を開いた。


「残念ながらお時間のようです。今回の作戦でセシリアを捕縛できなかったのは残念なことですが、次の機会といたしましょう。ヴァレンタインさん、それから紅崎さん」


「はい」


「……はい」


 名前を呼ばれたわたしは即座に返事をするが、リコはずっと咲良のことについて考えていたのか返事が遅れた。

 エレナ総帥は特に責めることもなく話を続ける。


「あなたたちへの処罰は特別になしといたします。今はゆっくりと羽を伸ばして休んでください」


「ありがとうございます」


「ですが、わたくしはあなた方をします。その立場にあることをくれぐれも忘れないよう」


「心得ています」


 所詮、彼女からすればわたしは死ぬことのない都合のいい兵士だ。

 だが、これは機会を得るためにわたしが選んだ道だ。咲良たちに復讐し、そして最終的にわたしが死ぬ機会を得るための道。

 だから、エレナ総帥の言葉に反論せず受け入れる。


「よろしいです。それではわたくしはこれにてお下がりします。皆様、ごきげんよう」


 最後にエレナ総帥は優しげに微笑むと世話役の侍女に押され、部屋を退室した。

 アイリスさんとカレンさん、そして未だ黙ったままのリコが残る。


「ねえ、リコ。さっきの話って……」


 リコに真相を突き止めようと肩に手を置いた時だった。


「ごめん、さっきの話は忘れて。外の空気吸いに行ってくる」


「え、でも……」



 はっきりとした拒絶。

 その有無と言わせない雰囲気にわたしは黙ってしまう。そのままわたしの横を通り過ぎてリコは部屋から出ていってしまった。


「……なあ。君、ちゃんとリコに話したのか?」


 そんなわたしたちの様子を見ていたカレンさんが尋ねてくる。

 話した、とはわたしの目的のことだろう。カレンさんに直接話したことはないが、とっくに気付かれていたようだった。


「……いえ」


「やっぱりな。あのな、いい加減話さないとこのまますれ違い続けて君たち二人共潰れるぞ」


「分かってます、けど……」


 言えるわけない。

 恋人に「死にたいから戦う」なんて言えるはずもない。


「そうやって先延ばしにしてもいずれ綻ぶ。今すぐとは言わないがなるべく早く話せ」


「…………はい」


 重々しく返事する。

 覚悟なんて決まるはずもなかった。


「……馬鹿馬鹿しい」


 アイリスさんがそっと呟く。

 本当に、わたしは馬鹿だ。結局、勇気が足りなくてリコに迷惑をかけている。

 病室内に、いつまでも重苦しい空気は続いていた。






※※※※






「はぁ……はぁ……っ!」


 リコはトイレの個室にいた。

 顔を青くし、呼吸を乱しながら必死に吐き気を抑えている。

 咲良の名前を聞いてから彼女は封じ込めたはずの過去トラウマが蘇っていた。何度も脳内にあの時の光景がフラッシュバックする。

 ぐちゃぐちゃになった少女の体。こぼれた腸にぶよぶよした肉、その周囲を飛び続ける虫たち。

 悲痛な少女の叫び声、響く血肉がひしゃげる音、狂った女の笑い声。

 激しい痛み、深い傷跡、殴られた衝撃、体中にできた痣。


「っ!? おえっ」


 喉元からせり上がった叫び声を抑え、代わりに胃液を吐き出す。

 そしてリコは脳裏に咲良と『』の笑顔を思い浮かべた。


「何で……。何でっ、あそこで『』の名前が出てくるの……!?」


 だが『姉』の笑顔はすぐに消え、咲良の狂笑が残る。

 再び逆流してきた吐瀉物を吐き出した。


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