File.2 現実世界セントラルNo.11
接続:テレサ・キサラギのホームシステムへリンク……成功。各所有電子デバイスとの連携を開始。ホームセキュリティシステムのログを取得。
問題があれば仮想空間内へ警告が来ることになっていますが、システムが正常に稼働しているか確認するためにもチェックは必要です。
保存された警備ログを参照しつつ、各所に設置されたホームカメラから情報を取得。現在進行形で異常がないかを確認。
普段通りの薄暗い灰色の室内には、最低限の家具、ベッド、ソファー、テーブルのみ。不審者及び不審物の気配は皆無。
警備ログの解析が完了。仮想空間へのログイン中も特段の異常はなかったようです。
安心していると、奥の一室から機械の作動音。
確認のため切り替えたカメラに映し出されるのは、部屋の半分を占有する黒い棺を思わせる巨大なマシン。
次の瞬間、機械の上部が白い靄を吐き出しながらゆっくりと持ち上がります。そうして、内部から現れたのは真っ白な半裸の少女。
白磁のような肌、肩口で切り揃えられた銀色の髪、けれど対照的に瞳は紅玉のように鮮烈な紅。
『お帰りなさい、テレサ。16時間ぶりの現実世界はいかがですか?』
真っ白な少女=テレサの生体情報を黒い棺から取得しつつ挨拶。
棺のような大型機械の名はKlein-1999、通称Wizards Coffin。それは夢と希望、欲望や野望に溢れた電脳仮想空間ザナドゥへ人々を誘う魔法の箱。
同時に、鉄壁のセキュリティで多くの天才的ウィザード級ハッカーたちを退け、真に安全な電脳仮想空間を世に広めた小さな要塞。
そして、かつてウィザードと呼ばれた彼らを敗北させ電子の墓場へと眠らせた、魔術師たちの棺。
「うぅ……少し頭がボーッとしますね。あとちょっとお腹が痛いです……」
下腹部に手を当て、コフィン内で小さく唸るテレサ。
『分かりました。少々待っていてください』
分析:コフィンより取得した生体情報から問題と原因を診断…………完了。
『頭部の不快感は一般的なログアウト酔いと思われます。腹部の痛みは女性特有の生理現象です。過去の記録と照らし合わせた結果、ちょうど周期に該当します。つらければメディカルドローンから鎮痛剤を処方可能ですがどうしますか?』
「薬は……いいです。我慢します。服用したらログアウト時間が延びるでしょう?」
『はい。候補に挙がった鎮痛剤を使用した場合、ザナドゥへ再ログインできるのは最短で12時間後からとなっています』
回答にため息をつきつつ、ゆっくりとした動作で這うようにコフィンから出るテレサ。重い足取りでソファーへ向かい、そのまま横になります。
『休むのならベッドのほうが適切かと思いますが?』
「ベッドだと寝過ごす自信があります……。だから、ここでいいんです……」
うつ伏せの状態で唸るように絞り出される声。
嫌な自信ですが、テレサは寝坊の常習犯……説得力があります。けれど、それほどつらいのならやはりメディカルドローンを呼ぶべきでは? そのほうが現実滞在時間を有意義に活用できるはずです。
要請:医療ブースへメディカルドローンと鎮痛剤の処方を申請。以後、8時間以内において連絡時は即時対応を希望。
これで必要時には1分もかからずドローンと薬品が届きます。
『テレサ、食事はどうしますか? 現在の身体データから算出された基礎代謝量は1306.3kcal、今日はコフィン内で600kcalを摂取しているので、残り約710kcalをこちらで取る必要があります』
電脳仮想空間ザナドゥで食事をすると、実際に各種栄養素がコフィンから使用者へ供給されます。その他にも排泄物の処理や身体衛生を保つ機能も備わっておりコフィンを使えば理論上、電脳仮想空間ザナドゥ内でのみの生活が可能です。
「うぅ……しっかり食事をしておくべきでした。こっちでなにか食べると気分が悪くなるんですよね……最悪です」
小声で漏れ出る不満。けれど、これがコフィンを使用し電脳仮想空間ザナドゥのみで生活できない理由の一端です。
コフィン内で身動きせず栄養素を送られるだけの生活を続ければ、現実世界の身体機能は例外なく低下します。
長期化すればもうコフィンから一生出ることができなくなるでしょう……。
そのため、一部の研究における特例を除きザナドゥへの永続的接続は世界中で禁止されています。
『分かりました。では、なにか消化に良いものを手配しましょう。体は大切にしてください、テレサ』
連絡:食品配給ブースへテレサの体調に合わせた食事を注文。必要カロリーは710kcalを厳守。
「うぐっ……遠回しに食べたくないって言っているのに……」
『お役に立てれば幸いです』
「はぁ……分かりました食べます。食べますよぉ……」
嘆息しつつ諦めた様子で起き上がり、ソファーに座り直すテレサ。
暫くすると食品配給ブースから白い卵型のドローンが注文した料理を運んできました。
テーブルに並べられる料理の数々は全てペースト状。どれも消化に良さそうです。
「ソフィア……これは?」
『テレサの食事ですが? 消化器系に不安があるようでしたので、負担を掛けないようにしてみました。見た目が気になりますか? ですが、味は保証します』
返答に同意するように頷く卵型ドローン。
ですが、テレサは顔をしかめ食事に手を付けようとしません。
「うぅ……今度からは普通のにしてください……。どうせ食べるなら見た目も美味しく食べたいです」
力なく言うとのろのろと料理の皿へ手を伸ばすテレサ。スプーンで食事を口に運ぶ動作もどこか憂鬱な気がします。
記録:本件の情報をテレサの基本データに追記。ペースト状の食品は不評。
これで今後はテレサの好みにより合った食事を提供できます。
「あぁ、そうです……ソフィア? 最新のニュースはどうなってますか?」
『リストアップしますので少々待っていてください』
作業:各ニュースサイトから最新トピックスを取得。テレサの嗜好に合わせ選択。
『情報の取得が完了しました。随時展開します』
頷く姿を確認し、室内に大小様々なホログラムウィンドウを投影開始。
『Klein-1999のシステムアップデートに関して、各セントラルでは――、』
『近年、現実空間における高齢者の自殺者は増加の一途を辿り――、』
『解離性ストレス障害による現実感喪失症候群は依然として社会問題であり――、』
『ナチュラルのテロ行為は過激化しており、セントラルNo.2~4では――、』
『為替の値動きです。現在、1ビットドルは113.25ビット円、前日よ2.4円の――、』
「最近の社会、経済は不景気なニュースばかりですねぇ……次に変えてください」
『分かりました。ウィンドウを切り替えます』
料理を美味しくなさそうに淡々と食べつつ頷くテレサ。
それに合わせ、先ほどよりは随分と明るい内容のウィンドウが表示されます。
『今日の運勢、一番は天秤座のアナタ! ラッキーアイテム&カラーは――、』
『オーウェン氏による仮想空間への連続接続時間は1028日13時間を突破し――、』
『オーウェン氏の研究チームは今回のデータを今後の電脳仮想空間維持の――、』
『ついにオープンまであと3日! ザナドゥ内最大のテーマパーク――、』
『セントラルNo.5とNo.8を直通で結ぶチューブトレインが開通! 移動時間は――、』
ニュースの内容に時折手を止めながらテレサの食事は黙々と続きます。
この間にコフィンのシステムチェックをしておきましょう。テレサが仮想空間内で快適に過ごすために必要な仕事です。
作業:Klein-1999のシステムログを取得。システム及び各消耗パーツの状況を確認。必要に応じて工業ブースへ部品を発注。
そうしてチェックを続けていると、外部からの通信が……。
『テレサ、アイラからの呼び出しです。プライベート回線なので職務外の案件と思われます。繋ぎますか?』
「もぐもぐ……いいですよ。繋いでください」
『分かりました。少々お待ちください』
チェック作業を一時バックグラウンドへ移行。
通信の安全性を確認……問題なし。アイラとの通信を接続。映像通話用ホログラムウィンドウをテレサの前に投影。
『やぁやぁ、ご機嫌いかがっすかぁ、テレサっち? アタシは今ジムで運動中なんっすけど、そっちはぁ……ってなんっすか、その吐瀉物っぽいモノは?』
アイラのデリカシーのない一言に顔をしかめると、無言でテーブル上の料理を脇に寄せるテレサ。
「気にしないでください。で? なにか用事ですか? もうザナドゥに戻ってるとばかり思ってましたけど?」
『いやー、あのあとすぐログインするつもりだったんっすけどねぇ? 戻ろうとしたら、セレクタリーシステムに今日の必要運動量を満たしてないって指摘されたんっすよ~。だから、頑張ってカロリーを消費中っす』
笑いながらポニーテールにまとめた銀色の髪と息を弾ませるアイラ。
そんな彼女の様子をさして興味がなさそうに見つめながらテレサは再度問いかけます。
「へぇ~。それで? 用件はなんですか? 特に用事がないなら切りますよ?」
『えぇ!? なんか今日はピリピリしてないっすかテレサっち? あ! もしかしてアレの日――!? ってビックリするじゃないっすか!』
アイラが全てを言い終わる前に手元にあったクッションをホログラムウィンドウに投げつけるテレサ。
「本当に切りますよ?」
『あー、待って! 待って! 謝るっすから! えっと……それで、テレサっちって次のログイン予定時間は何時間後っすか?』
「次ですか? 次はぁ……」
『6時間58分後です、テレサ』
「だそうですよ? それがどうかしたんですか?」
『あ、だったらそれを4時間ほどずらしてもらっていいっすか? 久々にテレサっちと遊びに行きたいからログイン時間をそろそろ合わせたいんっすよぉー。ほら! 3日後にオープンするザナドゥ最大のテーマパーク! ブラックラットパークに一緒に行けたらなぁ~って』
理由を説明しつつ、お願いっすよぉー、と両手を合わせ上目遣いでこちらを見つめてくるアイラ。
そういえば先ほどのニュースに関連情報が流れていましたね……。アイラは意外と新しい物好きのようです。
「う~ん……いいですよ。テレサも少し興味がありましたし」
暫く考え込んだのち、了承するテレサ。
メモ:3日後、7月17日にアイラとブラックラットパークへ。保存。
『わぁ~! よかったっす! 利用登録とかはこっちで手配しとくっすね! じゃあ、あとの詳しい予定とかはログイン後に! ではでは~、また11時間後~』
嬉しそうに手を振りながら通信を切断するアイラ。
さて……ブラックラットパークの施設情報でもまとめておきましょうか……あとあと必要になる気がしますし。
バックグラウンドで作業していたコフィンのチェックをフォアグラウンドに戻しつつ思案していると、
「ソフィア……鎮痛剤をください。あと11時間もこっちに拘束されるなら、飲まないとやってられません……」
コテンッとソファーに倒れ込みながらそんなことを呟かれます。
『分かりました。1分ほどお待ちください。すぐにメディカルドローンと鎮痛剤が届きます』
やはり要請を出しておいて正解でした。このケースデータは今後の対応にも活かすために保存しておきましょう。
ほどなくして届けられた鎮痛剤を服用し、テレサはベッドで横になります。
さて、それでは各タスクを適宜終わらせていきましょう。主人の休息中も休まず働く、それがセレクタリーシステムの仕事です。
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