第七章 使えない芸術

第七章 使えない芸術

なんとしてでも、あの二人に音楽をすることの楽しさを感じてもらいたかった。だって、音楽を愛している気持ちは、稲葉さんに勝ると思った。

松岡さんに、次の練習の時、二人を駅まで迎えに行ってやってくれないかとお願いした。そして、二人には、より専門的な発声を伝授しようと思うと告げた。松岡さんは、最初は戸惑っていたけれど、紀夫の熱心な依頼についに折れて、同意してくれた。まあ、きっと、あの人たちばっかりひいきしてとかいう声も出ると思うけど、そうなったらそうなったでまた考えればいいことだと思った。

とりあえず、ホテルまで送ってもらって、松岡さんと儀礼的な挨拶を交わして、足早にチェックインを済ませた。部屋はいつもと変わらないただの一人部屋であるが、なんだかこれだけでも贅沢しすぎのような気がする。

すぐにやることがあった。電池の残量なんか気にしないで、紀夫は蘭の家に電話を回した。

ベルが三回鳴ってガチャリと電話をあげる音。

「すみません。」

「はい、何でしょう。」

間違いなく蘭の声である。これだけでもよかったと思う。

「蘭さん、じゃないな、蘭先生と呼んだほうがいいのかな。あ、そうじゃないのか。芸名は彫たつ先生でしたっけ。」

「へ、あ、いや、紀夫さんから見たら、先生とは思わないのではないですか?」

「そうじゃないんですよ、先生。実はですね、あの、一人腕にでもお願いしてくれませんかね。日本の伝統的な柄についてはよく知らないのですが、どうしても自信をつけてやりたい者がおりまして、、、。」

電話口の蘭はどこか戸惑っているらしかった。

「自信をつけるって、どういうことでしょう。」

「ですから、お願いしたいんですよ。先生。そうでもしないと、かれは一生自信を持てない人間になってしまいます。それでは、あまりにもかわいそうでしてね。何か自信につながるような、日本の伝統的な文様というものはないんですか。どうも、そうしてやるしか、彼は救えませんよ。美容整形なんかして、傷跡を消そうというものなら、とんでもなく費用が掛かってしまうでしょう。」

「ああ、そういう事ですか。確かに、虐待なんかをされてトラウマとなるのを解消するために、彫ったことはありました。しかしですね、ある程度は、アウトローになってしまうという可能性もまた然りですからね、、、。」

あれれ、刺青師がそういう台詞を言うもんだろうか。

「そういうところもありますよ。少なくとも、極道と間違われる可能性が。」

どうも、日本の刺青というものはそうなってしまうらしい。外国人であれば、軽い気持ちというか、おしゃれの一部として彫る人は数多い。

「だけど、道を歩けば、外国人の多くは入れているじゃないですか。彼等の事を極道とは言いませんでしょう。それに、野球のカブレラ選手とか、ヨーロッパのサッカー選手なんかはほとんどが平気で見せびらかしていたりする。」

テレビを見れば、そういう外国人選手は結構いる。それに、最近はテレビタレントとか、ロックミュージシャンでも、刺青をした人は結構いる。

「だからですね。お願いできませんか。たぶん、先生の事だから、縁起のいい柄はいろいろ知っていらっしゃるでしょうし。いつでも縁起のいい柄を身に着けていれば、少し彼も自信を持ってくれるのではないのかと思うのです。」

自分でこういう事を言うのもどこか変だった。とにかく、友紀君に自信を持って、堂々と前向きに生きてもらいたい。それだけである。それだけの事である。

「いったいどうしたんですか?」

蘭が、静かに聞いてきた。こうなったら致しかないから、松岡さんにいわれたことをとにかく話してみる。

「そうですか。そういう人がまだいるんですね。本当にいつの時代になっても、学校とか家庭とかそういうもので、つぶされてしまう若い人がいるんですね。全く、そういう事にもっと気が付いてくれればいいんですけど。確かに、その目的で彫りたいという人は多くいます。ですけど、やっぱりこういう事は、多少アウトロー的なものがあるので、そこはやっぱり本人の理解と同意というものがないと。誰かが頼むというわけにはいかないんですよ。まあ確かに、自信というものはつく人は多くいますよ。僕、機械彫りはできないので、総手彫りということになりますと、相当痛いですから。半端彫という言葉もありますしね、、、。だけどやっぱり、一番大事なのは、本人の意思ですから。」

蘭も、あまりはっきりしない性格である。なかなか、優柔不断になってしまうのだ。やっぱり、強くなるということは、そう簡単ではないのだなあ。懍のような人がよく遭遇すると思われる、「痛みに耐えることで大人の印とする」という文化がある民族がある意味うらやましかった。

「じゃあ、どうしたらいいですかねえ。このままでは、本当にダメになってしまいますよ。あの友紀君は、過去のトラウマというのかな、それをとって、自信をつけないと、もっといい歌い手になってはくれないんじゃないかなと思うんです。彼は、僕から見ると歌い手として、本当にもったいない人材なんですよね。その良さというものをトラウマが邪魔している。それをとるためには、何とかしてやらないと、本当にかわいそうでならなくて。」

多分きっと、自分が言いたいのはこっちだったんだと思う。たぶん、そういうアウトロー的なことじゃなくて。本当に人間というものは、本題を言いだす前に偉く時間がかかってしまうものだ。なんでまたこうなってしまうのかと思う。本当はね、すぐに言いだせたらどんなに楽だろう。でも、こうなってしまう。自分でも、どうしたらいいのだかわからなくなっていたのかな。

「自信をつけさせるですか。まあ、人間、自信のある奴なんて誰もいないから、安心しななんて安易に励ましますけど、そうはいかないってことも知ってますよ。誰でも、偉い人には逆らえないけど、その中でもどっかで批判すべきことを必ず見つけちゃうのも人間ですから。そこを共有できたら、きっと争うこともないでしょうよ。だけど、そういう事はどっかの原住民でないとできないですよねえ、、、。」

「そうなんです!やっぱりさすが、青柳先生のお弟子さんでいらっしゃる。」

「ああ、僕は製鉄にはかかわってはおりませんので。」

何か言ってほしいなあと思うけど、答えがない。

「何とか自信をつけさせてやりたいんです。何かありませんかね。」

「いや、わからないですね。具体的にどうしたらいいかなんて。かといってご自身でどうしろと命令を出せるような権利も僕にはないですし、僕もどういったらよいものか、わからないです。」

「じゃあ、どうしたらいいですかね。青柳先生であれば、答えをだしてくれますかね。」

「どうですかね。もっと厳しい人ですから、答えを出すどころか、相談すらダメかもしれませんよ。」

だめだこりゃ。

「何とかなりませんかね。」

ちょっと語勢を強くして言ってみる。

「僕も無理だと思います。」

蘭の答えもやっぱり同じ。何を言っても糠に釘だ。

「すみません。なんか、おかしな電話をしてしまって、、、。」

なんだか、余計にどっと疲れてしまった。

「いえ、かまいません。誰でもそういう事はありますよ。そういうことを言うなら、もっと意味不明なことを言う人は、いっぱいいますから、気にしないでください。」

うん、これはたぶんそうだと思うけど、そろそろ切ったほうがいいと思った。

「本当にすみません。きっとなんで電話なんかよこしたんだろうと、思われるかもしれないですよね。貴重なお時間を使わせてしまって、、、。」

「いいえ、大丈夫です。気にしないでください。相当悩んでいるのがわかりますよ。まあ、誰でも、悩むということはありますし、最近は悩んでいることを打ち明けるのって、相当勇気が要る時代ですから、本当に気にしないでいただければそれでいいです。」

自分の言いたいことは当の昔にお見通しだと思われる。もう仕方ないな。

「すみません。ありがとうございました。」

プツン。

電話が切れる。

あーあ、もうだめかあ、、、。

紀夫はがっくりと机に頭をくっつけた。なんか、もう仕方ない気がした。理論的に考えれば、こんな内容でなんで電話なんかしてしまったんだろうな、と思っても仕方ない。きっと、応答してくれた蘭は、きっと困っていたと思うし。たぶん蘭もああいう答えで精いっぱいだと思う。人が他人の事で悩んで、相談を起こすことは、多分、ご法度というか、やってはいけないんだよ。そういう事はね、贅沢というんだよ。そして、待っているのは批判と嫉妬しか用意されていないんだよ、なんて、誰かが教師みたいにそう呟いているのが聞こえてくる。

「芸術って何だろう。」

時折思うのだが、今回ほどこの問題がどしんとのしかかった日はない。

何をやっているんだろうな。

あれだけやりたいというか、やりたいことがあったって、必ず何かに妨害されて。

若い人というだけでも悪人扱いされる地方が、またこんなに残っていて。

そういうところでは、一度躓くと、二度と帰ってくることはできないようになっている。

若い時に芸術を志すと、周りに叩かれて、人生をすべて潰されて、すべて、本人の責任で受け流す。

本当は、周りの責任もあるのではないかと思う。だって、周りが、友紀君の事を否定しないで肯定的に育てて行けば、音楽に救いを求める必要がない。きっとね、そうなったほうがかえって幸せだと思われる。というより、そう考えたほうが、この地方ではすべてうまく行く。彼がもし、大人たちのいうことを従順に聞いて、音楽を志すことをやめていれば、きっと発狂もしないし、正常な生活ができて、自信だって持てたはず。それが、そうしたばかりに、周りはすべて敵と化し、家族も友達も支えてくれる人をすべて失くし、ただの社会に適応できない不要品として生きることを強いられる。そして、一生、幸福になることはできない。周りの人が、もっとそういうところを打ち出していれば、彼もあきらめたのかもしれない。でも、人間というのは、そういうことはできないようにできている。なぜなら、機械ではないから。

「俺は、友紀君に比べて、贅沢すぎたなあ、、、。」

そんなことをつぶやいてみる。

ついでにもんや爺さんの場合はどうだろうなと考えてみる。爺さんの若かったころは戦争真っ盛り。もちろん紀夫は、そういう事は全く知らない。ただ、学校で戦争があったしか聞かされていない。年寄りが身近にいたわけではないから、戦争の被害の事なんて聞かされたこともない。だから、戦争なんて、戦場でピストルの撃ち合いをする程度だと思っていた。広島長崎に大きな爆弾が落ちたのは知っているが、この静岡では、そういう歴史的な大戦争が起きたわけではないと思っていた。

でも、爺さんは、戦争で明らかに傷ついた一人。

きっと、音楽が大好きだなんて発言したら、もしかしたら刑務所にぶち込まれた可能性もあったかもしれない。だって、敵国のものだもの。今でこそ音楽は平気で行われているけど、その当時は、みんな西洋に勝つために必死だったんだから。国一丸となって、西洋を敵視するように仕向けないと、戦闘意識というものはできない。テレビゲームや小説にある戦争のように、明らかに善悪があって、それをやっつけるとかっこいい秘宝がえられるとか、そういうものではない。秘宝なんてどこにもないんだもの。ただ、国家が勝手に資源とかほしさで始めてしまっただけのこと。そういうもんだから、中にはこの戦争は間違っていると主張した人だっているのかもしれないね。それに西洋かぶれという言葉もあり、西洋には、多かれ少なかれ、憧れの気持ちを持っていた人もいただろうね。そういう人全部を動かさなければいけないから、西洋を悪と思わせる工夫が必要だ。その中で敵国の音楽とは何事だ、という言葉ができた。そんなわけだから、もんや爺さんは、大変な悪人とされていたに違いない。それに、耐え続けて音楽を好きでい続けてくれたんだから、なんかすごい人だなと思わざるを得ない。

「あーあ、俺は何をしているんだろうな。」

急にむなしくなる。本当にむなしくなる。だって、こういう事があるって誰からも知らされなかった。同じ日本というところなのに、なんか別の民族が住んでいるところに行かされたような気もする。

「きっと、あそこをうまくすることは、できないだろうな。」

そういう事である。

結論から言ってしまえばそういう事。

ここでまた分かれ道は二つある。そのまま、稲葉さんのしんがりになっていくか、それとも、都会風を入れて、稲葉さんを排除してしまうか。

前者であれば、何も軋轢は生じないで合唱団運営はうまくというか平和に続いていき、紀夫も含めて、メンバーさんたちは静かに年老いていく。でも、紀夫にとっては、自分はただいるだけの存在になり、友紀君やもんや爺さんのような有力な存在を成長させたくても、成長させることはできないまま、終わる。なんとも砂を噛むようなつまらない生活である。

後者であれば、自分が歌の楽しさを伝えていくことはできる。あのメンバーさんたちに歌ってほしい歌はいっぱいある。もし、稲葉さんが洗脳していなかったら、高田三郎だって歌える可能性は十分にあると思っている。それができれば、もっとすごい合唱団として、定期演奏会を行うとか、どこかの施設に慰問演奏に行く事も出来るし、もしかしたら今はやりのアマチュア合唱団のコンクールに出場して、表彰台に乗ることだってできる。でも、それをやるには、まず稲葉さんの洗脳からメンバーさんを解き放つこと、そして、稲葉さん自身にも、支配的な態度をとることをやめてもらう必要がある。

「どちらも贅沢だな、、、。」

その通り。贅沢というよりはリスクが大きいだろう。稲葉さんのような人を動かす力というのが、自分にあるかどうかも定かではないし、彼らに稲葉さんが悪人であることを伝えたら、きっとどこかで自分を非難する人も少なからず出る。そうなると、自分は四面楚歌のまま、音楽を続けて行かなければならなくなるんだと思う。

そもそも、音楽って何なんだろう。

追求すればするほど、むなしい気持ちになることが多いし、獲得するには非常に高度な体力と時間と経済力が必要であるのに、いざそれを使おうとなると、使う媒体というか、需要は大幅に減る。そうなると、音楽を獲得する前に、大量の金を出してくれた親には、その報いが非常に少ないことから、女はそれを嘆き、男は怒りを生じる。でも、一度とらえられてしまうと、二度と離れることはできなくなることもまた確かで、それと現実に獲得する報いのあまりにも少なさとの落差から、「音楽家は貧しい」という定義が発生する。そういう生活は、昔の人だったら、特に西洋の人であったら、歴史的にいえば、貧しくても飛躍した音楽科はいろいろいるから、多少は許容されていたかもしれないけど、この日本ではまず、そういう文化はない。日本というところでは貧しいということは、馬鹿にされる要因の一つである。個性の強い人、他人と違うものを好む人は徹底的に敵になり、殺すまで攻撃し続ける。そして、子供を思う気持ちというのは、西洋の人より強いので、「攻撃される」ことを過剰なまで恐れる。だから、「苦労をさせたくない」という感情が強くなる。そういう事が大前提としてあり、音楽というのは何にも役に立たないものであると解釈してしまう人が圧倒的に多いんだと思う。日本人は、攻撃を仕掛けるときに罪の意識を持つことは薄いが、攻撃されたときの傷つきやすさは西洋人より強いものがあって、そうなってほしくないばかりに、対象物を悪く言って、それを避けさせようとする技術だけはやたら優れている。そして、多くの人が、それを愛情と勘違いしていて、対象物を悪く言う自分を強くてかっこいいと勘違いしている教育者は数多い。

紀夫は、こういう事を人生の中で感じてきたことはないが、きっとそれは、都会の人間だったからかなと思う。田舎の人間は、こういう感情ばかり持っているから、若い人が成長しにくいなと大学で教授が言っていた時も、ピンとは来なかった。

でも、友紀君は、こういう環境のせいで傷つき、本来の能力を発揮する場所を喪失している。

そして、もんや爺さんに至っては、国家的なプロジェクトのせいで、ダメな人間というレッテルを貼られている。

多分そうなのかな。

そういう気がしてきた。

あの二人は、傷ついているからやってくる。

そして、松岡さんも含め、メンバーさんたちも、多かれ少なかれ何かしら傷ついているからやってくる。

もし、それがなかったら、きっとあの合唱団方舟は結成されなかったのではないかな。

それが、メンバーさんたちが持っている物かもしれない。

美しい声とか、美しい和声とか、そういうものも勿論音楽をやっていくには必要なんだけど、それだけではやっぱり成り立たない。

人が集まるというのは何か共通のものがないとできないから。

それがきっと、傷ついているという事なんだと思う。

そして、稲葉さんは、それをうまくつかんでいて、それを利用して自身の権力欲を満たす場所にしてしまっている。

それをメンバーさんたちは、救ってもらったと勘違いしているのだ。

勿論、みんな歌が好きなんだ、という事なんだろうけど、きっと合唱団方舟の根底にあるものは、多かれ少なかれ、心に傷を受けているという事だと思う。

何かを掴んだ。

何かを。

これをうまく使えば、合唱団としてやれるんじゃないかな。

何も高田三郎とか、そういう難しいものを歌えるというだけが、合唱団の売りでもないのである。

そんな気がするよ。

「よし、俺、もう一回頑張ってみよう。」

そう思った。



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