第6話:織鶴あんこの過去③

「なぁ、あんこはいつ俺のことを知ったんだ?」


 これからあんこが使うと思って、山のように持ってきたバスタオルの上にあぐらをかきながら聞いてみた。今なら答えてくれるかもしれないと思ったからだ。


「え、知りたいですか?」


 寝転んでいたあんこが、甘えるように身を寄せてくる。


「あぁ、知りたい」


「どうしても?」


 俺は答えの代わりに頭を撫でた。いい子だから、と言い聞かせる親のように。


「先輩は去年の春、資格試験を受けてましたよね。あの日ですよ」


「情報資格試験、だったか?」


 確か、二年生に進級したばかりのころ、受験した覚えがある。将来のため、ではなく自分の興味と腕試しでだ。

 その時に後輩の女子と知り合った記憶はないが、もしかするとあんこも受験していたのか?


「帰りに雨が降ったんです。天気予報のことまでは覚えてないですが、他の受験者は折り畳み傘を持っていて・・・・・・私は濡れながら帰っていたんです。小雨でしたし」


 記憶にないというのが顔に出ていたのか、あんこは優しく思い出させるように話を続ける。


「そんな折、先輩がやってきて傘に入れてくれたんです」


「んー、思い出した・・・・・・ような気がする。三ツ島の大学が会場で、試験が終わった後、受験者全員が一斉に駅に向かって行列をつくってた時か? どうせみんな駅に行くに決まってるしな。一本の傘で二人を雨からしのげるなら効率的だと思ったわけだ」


「先輩、なんていったか覚えてます? いきなり傘に入れてきて『一石二鳥だろ? 駅までだけどな』って。そしたらホントに駅でいなくなっちゃうし、ロクにお礼もできないままで・・・・・・」


 善意で傘の相乗りをさせ、何事もなかったように別れた、ということか。確かにそんなことをやったような気がしないでもない。


「効率主義の俺のベターなやり方だ。尾を引くこともないしな」


「コバンザメみたいにすり寄ってきて、風みたいに去っていった先輩のことを思い出すたびに興味が沸いて・・・・・・最初はホントに興味本位でクラスのこととか、登下校の様子を見てたんです。けど先輩、全然気づかないから・・・・・・だんだん家とかトイレに行く回数とか休日の過ごし方とかみたいな私生活にまでのめりこんじゃって・・・・・・。わ、悪いとは思っていたんですけど!」


 社会的な意識が強い俺のことだ、資格試験も学生服で受けていたのだろう。学校と学年は即バレし、ストーカーまがいのことをされていたわけか。

 めちゃくちゃ尾を引いているじゃないか。

 俺のことを知っている理由を話すのを拒んでいたのはこれか。

 他人に興味がないという性格も考え物だ。全く気付いていなかった。

 まぁ、あんこは罪悪感を持っているだけまだ常識的だろう。世の中には闇堕ちレベルの自己中心的な人間もいる。


「悪い子だな、あんこは。実にけしからん子だ」


「すみません、もうしないです。許してください」


「悪いあんこにはつぐないが必要だな。だから、これからも俺に尽くしてもらおうか」


 ピロートークとはいえ、軽口が過ぎただろうか。この物言いでは俺が性的な関係を要求しているみたいだ。そんなつもりは決してない。

 好きの反対は無関心とよく言うが・・・・・・あんこにとっての俺を無視できない存在にしたかっただけだ。お前のそばには俺がいると強く主張できれば、罪悪感が紛れるのではないかと思い、抱いた。

 以前の俺ではここまで大胆な行動には出なかっただろう。やはり、パンデミック直前に起きたあの出来事が俺を狂わせてしまっている。


「はい! 先輩にだったらお尻を叩かれてもいいですよ」


「誰もそんなことはしてないぞ。というか、人前ではそういうの言わないでくれよな、頼むから。絶対だぞ」


 慌てる俺を見て、あんこが笑い出した。この小娘はひやひやする冗談を言いやがる。

 そして二人の間にしばしの沈黙が流れる。


「先輩、もう今さらなんですけど・・・・・・。あの日、傘がなかったのは忘れたからじゃなくって、とられたからなんです」


 盗られた? こんな話を切り出すからには、知らない誰かに傘をパクられたことへの愚痴ぐちじゃないことくらい分かる。


「そういうのはあの日が初めてじゃなくて、以前から何度もありました。同じ学年に自己主張の強い子がいて。なんでこんなことをされるのか、わけがわからなかったけど。誰の仕業かは分かっていたので、聞いてみたことがあるんです。そしたら『知らない』、そう言われました。その次の日だったんです。傘がなくなったのは」


 あんこの話しぶりからすると、特定の誰かを狙ってではなく、気に入らないことがある度に、という具合で問題を起こす人間がいたようだ。

 女子の住む世界はよくわからないが、色々な苦労があることと思われる。


「またいつものことか、と思ったけどその日は違いました。やったのは私の友達だったんです。それまで親友だと信じていたのに・・・・・・裏切られて。もう私の味方なんていないんじゃないかと、落ち込んでいました。そんな時に、先輩が現れたんです。見ず知らずの私に、効率が良いからなんて理由で傘を分け与えて。そんな異世界からの使者みたいな人に・・・・・・私は傾倒けいとうしていったんです」


 あんこの友人は買収されたのか、脅しに屈したのか、とにかく自分の友であるあんこを捨て、困らせるために傘を盗んだということになるだろう。

 女のねたみはねちっこい、とよく聞くが、人間いつ誰に恨みを買うかなんてわからない。

 それが親友であればなおのことショックは大きいだろう。


 そのタイミングで俺が接触した、ということか。弱っている時に優しくされてコロッ、と。なんてのは大人ではよくある話だ、と父親から聞いたことがある。

 友達同士ですら利害、私怨で動くのに、俺の一石二鳥なんて行動理念はさぞ理解不能だったのだろう。だから陰から俺を観察し、行動を探った。そのうち、自分の中の気持ちが興味から恋心、あるいは慕情へと変わった。


「そんな背景があったのか。だが心配はするな。追っかけをしてたことについては、怒ってはないから」


「おかげで先輩と出会えましたから、むしろいいきっかけだったと思ってます」


 出会う、というのは互いの識別が一方通行のときに使う言葉ではない。

 話がかみ合っていないが、あまり言及するとこじれそうだからやめておこう。本人も嬉しそうにしてるしな。

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