幕間1【夏祭り当日】

 ――今のままじゃ不釣り合いだから、涼子とは付き合えない。

 不釣り合いってなんだ、とあたしは思った。悠希があたしに劣等感を抱いていることは薄々気付いていた。でも頭の良し悪しや運動の出来不出来よりも、一緒にいて安心できたり、楽しかったり、ドキドキしたり、なんてことの方があたしは大切だと思っていた。幼馴染ということを差し置いても、あたしは悠希にそういった感情を持っていたし、人の好い悠希のことをいいよね、と言う女子だっていた。

 そもそもあたしにできなくて悠希にできることだってある。料理とか。それに悠希は自己評価が低いようだったけれど、何でもそこそこできるって、実はすごいことだと思う。

 だから、不釣り合いだから、なんて理由で告白を断られたのがあたしは納得できなくて、あたしが悠希を選んだんだから、と怒った。それでも悠希は首を縦には振らず、出た言葉が、

 ――同じ高校に行けたら告白するから。

 だった。

 その言葉を信じて、その日からあたしは、今日という日を指折り数えて待っていた。

 

 今日は、待ちに待った夏祭りの日。



「お母さーん、これでいいかなー?」

 座敷の姿見の前で浴衣と格闘すること三十分余り。着れたものの、これでいいのか心配になってあたしは母を呼んだ。はいはい、とエプロンで手を拭きながら台所から出てきた母は、あたしをその場でゆっくり回らせて状態を確認し、

「うん、まぁいいんじゃない? 上出来上出来」

 そう頷いた。やった、とあたしは小さく拳を握る。一人で着れた記念に、姿見にスマホを向けて自撮りをしておく。

「にしても、あんたが浴衣着たいなんて言い出すなんてねぇ」

 その様子をまじまじと見ていた母が、しみじみと言った。

「今まで、買ってあげるって言ってもいらない、って言ってたのに」

 確かに去年までのあたしは浴衣を着たことがなかった。着る必要がないと思っていたし、買ってもらっても精々一年に一回着るかどうかだ。それなら別の物を買ってもらった方がいい、と子供心にそう思っていた。両親にとってはさぞ可愛げのない子供だったろうな、と思う。

 でも今年は――。

「帰ってきたら、お父さんにちゃんと見せてあげなさいね」

 ――浴衣が欲しい。

 あたしがそう言ったのをとても喜んだのは父だった。その喜びぶりは尋常ではなく、即座にあたしを呉服屋に連れて行き浴衣を買い与えたほどだった。よほど娘の浴衣姿が見られることが嬉しかったらしい。

「うん、わかってる」

 一目見て気に入ったこの生成り地に藍の撫子柄の浴衣は、改めて着てみるとやはり自分によく合っていた。父が猛烈に勧めてきたどぎついピンク色の浴衣にならなくてよかったと心から思う。髪もちゃんとセットできたし、高校に入ってから度々するようになった化粧もした。薄くしただけだから、悠希は気付かないだろうけど。

 念には念を入れて、姿見で最終確認をしていると、

「――で? それだけ気合入れるってことは、今年は期待していいのよね?」

 にやにやとした表情の母が、からかうような口調でそう訊いてきた。

「もちろん……って言いたいとこだけど、悠希次第かな」

 母には幼馴染に恋していることを既に知られている。中学二年の夏祭りの時、帰ってきてから泣いているのを見られたのは不覚だった。それ以来母は、からかい半分応援半分のスタンスで、あれこれと口を出してくるようになった。反対されるよりはマシだし、時たまナイスアシストをしてくれることもあるので、嫌ではないんだけど。

「もしダメだったら、ちゅーしてやりなさい。ちゅーを。ちゅーしてしまえばこっちのものだから」

 なんて親だ、と心の中で苦笑する。でも確かにそれもありだな、と頭の片隅にメモしておく。

 ――同じ高校に行けたら告白するから。

 二年前の幼馴染の言葉を思い出す。それを信じたからこそ二年前は身を引いたし、それから悠希が受かるように勉強を見てあげたりもした。晴れて同じ高校に通えることになって、でもすぐには告白してこなくて。表には出さなかったけれど、内心やきもきして。あのジンクスを信じて夏祭りで告白するつもりなんだ、と自分に言い聞かせて今日まで過ごしてきた。だからこそ、今年は精一杯のおめかしをした。いつものラフな格好の幼馴染じゃなくて、ちゃんと女の子として見てもらうために。

 時計を見ると、待ち合わせの時間まであと少しだった。今から出ると、少し遅れてしまう。でもそれでよかった。時間に律儀なところがある悠希は、きっと先に行っているはず。待ち合わせの場所に着くまで、浴衣なのを知られたくなかった。

「じゃあ、いってくるね」

「はいはい、気を付けていってきなさいね」

 母の言葉を背に受けて、巾着をぶら下げ、下駄を履いて夕暮れ色に染まる外に出た。今までは迎えに来てくれた悠希と一緒に神社まで行っていたけど、今年は一人で行かなくてはならない。今年は神社の前で待ち合わせね、とあたしがそう提案した時、悠希はなぜそんな無駄なことをしなければならないのかと、最後まで疑問だったようだけど。

 家が近所のせいで外で待ち合わせてどこかへ行く、ということがなかったからしてみたかった、というのもあるけれど、一番の理由は、ドキドキさせたかったからだ。今までしたことがなかった待ち合わせに、今まで着て見せたことがなかった浴衣を着ていったら、幼馴染は弥が上にもドキドキしてくれるはず。その時が楽しみでしょうがなくて、思わず顔がにやけてしまう。神社に近付くにつれて人が増えてきて、あたしは慌てて表情を引き締めた。

 境内から漏れた屋台がちらほらと現れ始める。空腹をくすぐる香ばしい匂いや、屋台で楽しそうに笑い合う親子連れ、遠く聞こえる祭囃子。

 人の波の隙間から、何をするでもなく突っ立っている悠希の姿を発見する。走り出したくなるのを堪え、他の人に紛れて近付いていく。声をかけるその時までバレたくない。緊張で胸が高鳴る。落ち着こうと深呼吸を繰り返す。

 ――待ち合わせってこんなにドキドキするものなんだ。

 そして、ようやく、声が届く位置まで来た。最後にもう一度深呼吸をして、あたしは幼馴染に声を掛けた。

 さぁ、待ちに待った夏祭り。


「お待たせー。待った?」

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