プロローグ2【幼馴染の消失】

「やっぱり、今年もここは人いないね」

「祭りからちょっと外れてるし、茂みの奥だしね。ちょっと待って、シート敷くから」

「うん、ありがと」

 茂みを掻き分け掻き分け、そこだけぽっかりと木々が開けて小高くなっている場所へと辿り着いた。祭りの喧騒が遠く聞こえる。悠希は手に持っていた携帯用のマグライトをボディバッグにしまい、代わりに小さめのビニールシートを取り出して、草の生えた地面に敷いた。二人してその上に腰を下ろす。花火が上がるはずの夜空を見上げると、いつの間にか曇っていて星は見えなかった。星も綺麗に見える場所なのに残念だ。

 ここは小学6年生の時に涼子と一緒に見つけた、花火が綺麗に見える穴場だった。祭りの中心である神社から少し離れていること、茂みの奥にあること、明かりが届かないことなどの理由からか、他に人の姿を見たことはなかった。

 ここなら人も来ないし告白できる、と思っていた悠希だが、実はこの場所に来るかどうか躊躇していた。涼子が浴衣姿だったからだ。今まで通りのラフな格好なら気にはしなかったが、さすがに浴衣は気を遣う。足元はそこまで悪くないとはいえ、履き物も下駄だ。どうしようか聞く前に、しかし涼子はむしろ先立って茂みを掻き分けていき、悠希は慌ててその後を追った。

「もうそろそろ?」

「かな」

 言われて悠希がスマホで時間を確認すると、花火打ち上げ開始時刻はもうまもなくだった。それは即ち、告白まであとわずかだということを意味していた。

 今更ながら、心臓の鼓動が激しくなってくる。今日の涼子の様子から、大丈夫だと、受け入れてもらえると頭では理解していても、それでも緊張はする。お腹まで痛くなってきて、涼子に気付かれないように、悠希はこっそりと深呼吸をした。

「花火の時間になると、もうお祭りも終わりだなーって思うよね」

「うん……」

「親と一緒に来てた頃は、花火の時間が帰る時間だったから余計にそう思うのかな」

「うん……」

「覚えてる? 帰りたくない、まだ遊ぶ、って1人はぐれて迷子になって、悠希泣いてたよね」

「うん……」

「って、ちょっとー、ちゃんと聞いてる?」

 ぎゅぅっ、と悠希の手を握る手に力を入れて涼子が抗議する。その柔らかくて温かい幼馴染の手の感触に、悠希は少し落ち着きを取り戻す。

「ご、ごめん」

「もー、しっかりしてよね。……まぁ、そうなっちゃうのもわからないでもないけどさ……あたしもそうだったし……」

「え?」

 途中から小声で聞こえず、悠希が思わず聞き返すと涼子は頭を振って、

「っ、な、なんでもない。花火早く始まらないかなって」

 涼子がそう言うや否や、パッ、と夜空が光った。少しだけ遅れて、ドーン、と身体にぶつかってくる音が届く。

 ――始まった。

 赤、黄、緑、青、紫――。

 最初のとりわけ大きな花火を皮切りに、次々と色鮮やかで大小様々な花が、夜空に華麗に咲いては儚く散っていく。花火の衝撃に目と耳を支配され、悠希と涼子はしばしその感動に身を委ねた。

 やがて続いていた花火が途切れ、束の間の沈黙が訪れた。祭りの喧騒ももはや聞こえない。空を見上げていた悠希が目線を戻し涼子を見ると、涼子もまた、悠希を見ていた。

 暗闇に目が慣れてくる。視線と視線が絡み合う。涼子の呼吸が聞こえる。鼓動はいつの間にか落ち着いていた。

 今ならするりと言える気がした。


「――好きです。付き合ってください」


 悠希の想いとして口から溢れたのは、なんの変哲もない、そんなストレートな言葉だった。頭の中で思い描いていた告白とは程遠く、気の利いたことも言えていない。

 けれど、それが涼子の胸には響いた。幼馴染の想いを受けて、視界がぼやけてくる。気付けば衝動的に悠希に抱きついていた。驚きで悠希の身体が強張るのを感じる。

 ――やっと言ってくれた。

 それが嬉しくて、抱きつく腕に力が篭った。そのまま、涼子は悠希の耳元で囁く。


「あたしも好き。これからは恋人として、ずっと一緒にいたい」


 涼子の言葉に、飛び上がりたくなるほどの感情を悠希は覚えた。派手に喜びたくなるのを我慢して、心の中でガッツポーズするだけに留めておく。

 抱き合ったままでいると、夜空が突如煌めいた。花火が再開される。沈黙がはじけて消えた。

 しかし、二人はそちらに目もくれず、身体を離してお互いを見つめていた。花火の音で会話もままならない中、まだ想いを伝えたりない悠希は、それでもどうにかして伝えようとして涼子に顔を寄せた。その意図に気付いた涼子が少し顎を上げて瞳を閉じる。目尻に溜まった涙が頬に零れた。

 普段の悠希なら怖じ気づいてそうしようとは思わなかっただろう。けれど、夜空を彩る花火は魔法だった。刹那の幻想的な雰囲気を創り出す光と音に、力をもらう。後押しされる。

 そして、唇が、重なった――。


 一際明るく夜空を照らした大輪と、それに伴う腹の底まで響くような音、そしてそれらが消えたあとに続いた遠くに聞こえる拍手の音で、魔法は解けた。

 すると、それまでのことがどうにも恥ずかしくなり、悠希は口早に、

「は、花火終わったみたいだね。帰ろっか」

「うん、そっ、そうだね」

 さすがに涼子も照れがあるのか、そそくさと立ち上がり、浴衣の乱れを直した。

 と。

「――……雨だ」

 まるで花火が終わるのを待っていてくれたかのように、ポツポツと雨が当たり始めた。雨粒は大きく、本降りになりそうな気配がする。どうせなら家に帰るまで待ってほしかったな、と悠希は思う。

 ボディバッグからマグライトを取り出して涼子に差し出し、

「ごめん、それ持ってて」

 いいよ、と頷く涼子に手渡す。手が空いた悠希は敷いていたシートをバサバサと払って汚れを軽く飛ばし、それを頭上に広げて掲げた。簡易的な雨避けだ。

「濡れないようにこっち来て」

 涼子を呼ぶと、シートの下に収まるようにピッタリと身体を寄せてきた。さすがに密着しすぎじゃないかなと悠希は思うものの、今はそれどころではないと思い直す。

「んじゃ、行こっか」

 寄り添って歩き出す。余韻が残っているのか、二人の間に会話はない。シートを叩く雨音と、離れたところから聞こえるざわめき。ガサガサと茂みを抜けていく。

 少しして、涼子があっ、と声をあげて立ち止まった。

「どうしたの?」

 悠希が隣の涼子に目をやると、しまった、という顔をしていた。それから非常に申し訳なさそうな顔をして悠希を見やり、

「ごめん、巾着置いてきちゃったみたい」

 言われてみれば、持っていたはずの巾着を涼子は持っていなかった。さっきのところに忘れてきてしまったのだろう。

 涼子が踵を返す。悠希がそれに続こうとすると、

「いーよいーよ、ここで待ってて。ちゃちゃーっと行って取ってくるから」

「でも、」

「忘れちゃったのはあたしだから。大丈夫。雨もまだ小降りだし、すぐ戻るから」

 待ってて、と言い残し、マグライトで先を照らしながら涼子は戻っていった。やっぱりついていった方がいいんじゃないだろうかと想いながらも、涼子に言われた通りに悠希は待つことにした。

 しかし涼子が戻り始めてややしてから、雨脚が強くなってきた。その上、ゴロゴロと空が鳴り出す。

 さすがにこれはやばいと悠希が涼子を追いかけようとしたその時、思わず目を閉じてしまうほどの強烈な光が世界を白く染めた。ほぼ同時に凄まじい轟音がびりびりと空気を震わせる。まずい。近くに落ちたのかもしれない。

 シートを放り捨て、悠希は駆け出した。涼子、と大声で名前を呼びながら、ぬかるみ始めている地面を懸命に蹴る。その間にも雨の勢いはどんどんと強くなり、痛さすら感じるようになっていた。瞬く間にずぶ濡れになる。

 そして辿り着いたその場所に、しかし涼子はいなかった。

 いない。涼子がいない。悠希の心に焦る気持ちが生まれる。行き違いになった? いや、あそこからまっすぐ戻ってきたはずだし涼子も道を変えたりはしないはずだ、ありえない。もしかしたら、この豪雨で動くに動けずどこか木の下で雨を凌いでいるのかもしれない。うん、きっとそうだ。

 そうだ、スマホ、と気付いて電話を掛ける。しかし耳に届いたのは電源が入っていないか電波が届かないことを告げる音声だった。メッセージアプリを起動して『今どこ?』と送ってみるも、既読がつかない。

 嫌な予感が膨らむ中、涼子、と叫ぶ声は雨音にかき消された。視界が悪い中、悠希は目を凝らして辺りの木の下を見

 気付いた。

 ぐにゅ、ぐにゅ、と一歩ごとに靴の中の不快な感触を味わいながら、ゆっくりと悠希は歩いていく。その足取りに力はない。そして、雨の中にあってなお照らす光が草に隠れて見えにくくなっていた、それを拾う。

 涼子に手渡したマグライトだった。

 なぜ、これが落ちているのか。

 どうして、持っていたはずの涼子はいないのか。

 立ち尽くす悠希の疑問に答えてくれる人物はついぞ現れなかった。



 ――幼馴染が、恋人がいなくなっても腹が減る自分が心の底から情けない。

 病床で悠希はそうめんを啜っていた。味はしない。

 あれから1週間だ。涼子は未だ見つかっていない。ずぶ濡れになったからか、涼子が消えたことによる心的要因か、はたまたその両方か、あれから悠希はひどい高熱を出して寝込んでしまっていた。一昨日一応の改善を見たが、警察の事情聴取やら現場検証やらに無理を押して協力した結果、熱がぶり返し、ベッドに戻る羽目になっていた。

 涼子の行方不明は、地元では知らぬ者はないニュースになっていた。一体どこから嗅ぎ付けてくるのやら、家の前には数人の記者であろう人物が張り込んでいて、隙あらば悠希に取材を試みようとしているようだった。

 世間では行方不明事件でも、地元の人間の、特に年寄りの間では、涼子は神隠しにあった、というのが共通の見解だった。悠希が祖母に聞いたところによると、祖母がまだ若かった頃や、父がまだ子供の頃にも神隠しとしか思えないような行方不明事件が、あの神社周辺であったということだった。やはりというべきか、その人たちは見つかっていない。

 それを知って、悠希は臍を噛んだ。

 ――どうしてあの時、無理矢理にでも涼子と一緒に戻らなかったのか。

 目が覚めている間中、心を埋め尽くしていたのはそんな後悔の念だった。涼子を一人にしなければ。なぜ一人で行かせてしまったのか。

 もはや涙は涸れ果てるほど流したはずなのに、ふと気を抜くと頬が濡れる。自分の感情がうまく制御できない。涙を流して沈んでいたと思ったら、次の瞬間には癇癪を起こして手足を振り回したい衝動に駆られたりする。

 膝の上に置いていた、つゆが入ったガラス容器と麺を空にした丼が乗ったお盆を床に置いて、悠希は横になる。熱のせいか、頭がぼーっとする。

 枕元に置いているあの雨で濡れたにも関わらず壊れなかったスマホには、友人や知人からのメッセージが届いているようだったが、悠希はそれらに目を通していなかった。見るのは涼子との会話画面だけだった。あの時涼子に送った『今どこ?』というメッセージは今も既読がつかないままだった。

 天井に手をかざし、あの日からつけたままの指輪を眺める。指輪の輝きが、今ではどこか色褪せてしまったかのように感じた。

 もはや何をする気力も沸かず、手を下ろして悠希は目を閉じた。辛い現実から逃げ出すように、意識はすぐに闇の中へと落ちていった。


 窓を叩く雨の音で悠希は目を覚ました。どれくらい眠っていたのだろう。日はすっかり落ち、部屋の中は暗かった。上半身を起こしてスマホのライトで部屋を照らすと、床のお盆には空容器ではなくおにぎりが乗っていた。

 やはり既読がついていないことを確認してスマホを枕元に戻した。カーテンが開けっ放しだった窓から外を見る。雨が降っていた。その勢いはまだそれほど強くない。これから激しくなるのだろうか。

 ――あの日もいきなり雨が強くなったな。

 悠希は衝動的にベッドから跳ね起きた。タンスから適当に服を引っ張り出して着替える。自転車の鍵を掴み、マグライトをポケットに突っ込んで部屋を飛び出した。転がるように階段を下り、磨りガラスから明かりが漏れているリビングには寄らず、玄関へ向かう。靴に素足を突っ込みドアを開けた。ドタドタとした足音で気付いたのか、背後で母親が呼ぶ声が聞こえたが無視した。ガレージとは名ばかりの実質物置にある自転車に、鍵を外して飛び乗る。ペダルを踏む。雨だからか、家の前にはもはや誰もいなかった。

 1週間寝込んでいた身体に、自転車の立ち漕ぎ全力疾走は辛かった。それでも悠希は速度を緩めない。息が切れる。

 馬鹿げたことをしていると悠希は思う。それでも、万に一つの可能性を信じて、自転車を漕ぐ。既に全身、雨なのか汗なのかわからないがずぶ濡れになっている。

 神社に着いた。自転車を乗り捨てて、悠希は走る。誰もおらず、静寂と暗闇が支配する神社の敷地内を、ポケットから取り出したマグライトの明かりを頼りに進んでいく。目指すはあの場所。ガクガクし始めた脚がもつれそうになるも、ひたすら前へ。

 そして、辿り着いた。

 辿り着くのと雨が強くなるのはほぼ同時だった。あの時と同じように空が唸りをあげ始める。あの日、マグライトが落ちていた場所に近付く。たしかこの辺りだった。

 とその時、頭上から誰かの声が聞こえた気がした。

 思わず空を仰ぎ見た悠希だったが、次の瞬間、白い光に包み込まれていた。あまりの眩しさに目を閉じても、その強烈な、あの日見たのと同じ光は隙間から入り込んできて悠希の目を白く塗り潰した。


 轟音と共に光が消えた時、悠希の姿はどこにもなかった。

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