異世界で勇者をするよりも、幼馴染を探したい。

高月麻澄

プロローグ1【幼馴染と夏祭り】

「お待たせー。待った?」

「――ぁ、うん……」

 空気までもが赤紫色に染まった夏の夕暮れ時。田舎にしては珍しく多くの人でごった返す中、現れた幼馴染の涼子に悠希は目を奪われた。そのせいで反応が鈍くなり、呆けたような返事をしてしまう。

 悠希のその様子に涼子はムッとした表情になり、 

「ちょっとー、そこは『僕も今来たところだよ』って優しく爽やかに言うところでしょ? やり直しね。……お待たせー。待った?」

「うん……」

「もう何なの、さっきからぼーっとして。……! ははーん、さてはこの涼子ちゃんの浴衣姿に見惚れているなー?」

「うん……綺麗」

「っ、ちょ、ちょっと、そこで素直に頷かないでよ……こっちが照れちゃうじゃん……」

 浴衣の袖で顔を隠した涼子の姿から、悠希は視線を外せない。今年は神社の前で待ち合わせ、と言われてその意味がわからなかったけれど、まさか浴衣姿でおいでなさるとは思わなかった。生成り地に藍の撫子柄の浴衣は、スラッとして自分と同程度の上背がある涼子にお世辞抜きでよく似合っていた。いつもは下ろしているミディアムヘアをハーフアップのお団子にしていて、見慣れないその髪型にもドキドキする。

 この地元の神社のお祭りは、受験生だし、と自粛した去年を除き、毎年涼子と一緒に来ていた。一昨年までの涼子は、祭りだというのにいつも通りのラフな格好で、浴衣姿なぞ見たことがなかった。それが今年はいきなり浴衣姿で現れたものだから、目を奪われたのも無理はなかった。

 小さい頃から傍にいた悠希は、どんどん美人に成長していく涼子を見ていたが、最近、特に垢抜けたような気がする。高校生になったから、というわけでもないだろうが。通りがかる男がチラチラと涼子を見ていく事実が、美人というのが身内贔屓の感覚ではないことを物語っていた。

「浴衣着るなら言ってくれればよかったのに……そしたら僕も甚平着てきたのに」

 我に返った悠希は口を尖らせる。どうせ涼子もラフな格好だろう、とTシャツ、デニムにボディバッグという服装で来てしまったことを後悔し始めている。もっとも、物自体はこの日のために買った上等のやつだったりするのだが。

「だって、言ったらビックリさせられないし。まぁビックリっていうかドキドキさせたかったんだけど、」

 にひひ、とイタズラな笑みを浮かべて涼子は悠希を見据え、

「ドキドキしてくれたみたいだし、浴衣着てきた甲斐はあったかな」

 そう言って、涼子はカラコロと下駄を鳴らせて悠希の隣に並ぶとその手を取った。浴衣姿を見た時に負けずとも劣らない胸の高鳴りが悠希を襲う。

「ほら、いこ?」

 指を絡めて握った手を引っ張るように、涼子が巾着を揺らしながら先導して歩き出す。

 その耳は、赤く染まっていた。


「じゃあまずはカタヌキね」

「え、今年もするの!? 僕らもう高校生だよ?」

「あったりまえでしょー。遊ぶための大事な軍資金なんだから。あ、悠希はやらなくていいよ、あたしに任せて。おじさーん、賞金3000円のやつ!」


「うーん、どの味にしよう」

「そういえば友達に聞いたんだけど、かき氷のシロップって味全部一緒なんだって」

「なんでわざわざ屋台の前でそれ言うの涼子……おばちゃんめっちゃ睨んでるじゃん……」


「げ、あの屋台は……」

「あー、今年も出してるんだ、値札のないイカ焼き屋台。思い出すなー、匂いに釣られて買ったらぼったくられて泣いた悠希」

「思い出さなくていいよ……」


「カメ! カメ狙って!」

「カメとかこんなポイで掬えるわけないだろ! っていうか掬ったら飼うの?」

「もちろん! ユウキって名付けてかわいがるよ!」

「それはやめて……」


「どうしてみんな、具がキャベツの芯しか入ってない焼きそばを買い求めるんだろ」

「僕らも買ってるけどね」

「お好み焼きも具がほぼキャベツのみなのに」

「僕らも買ってるけどね」

「こっちはキャベツを食べたいわけじゃないんだよー!」

「いらないなら全部食べるね」

「あぁん、ごめんって。食べる食べる」


「はい、またあたしの勝ちー。身を乗り出してまで撃ってるのに、1発も当たらないって逆にすごくない?」

「もっかい! もっかい勝負!」

「あたしは別にいいんだけど、あたしが取りすぎておじさん泣いてるからそろそろやめよ?」

「じゃあ、あのでかいクマのぬいぐるみ落とした方の勝ちってルールに変更で」

「……あれは絶対落ちないと思うなぁ……」


 2年ぶりの夏祭りは楽しくて、あっという間に時間が過ぎていった。すっかり夜の帳も下りた中、屋台の灯りが闇を照らしていた。

 田舎の夏休みに遊べる行事、といえば数が限られていて、このお祭りもその中の1つだった。なのでよく同級生や知り合いに会う。今も中学の時の同級生と遭遇してしまい、手を繋いでいるのをさんざんからかわれた。やっとくっついたか、なんて言われて、二人で苦笑した。

 涼子との関係はまだ恋人関係ではない。もちろん涼子のことは好きだし、恐らく涼子もまだ同じ気持ちでいてくれていると思っている。それでも付き合っていないのは、涼子と同じ高校にいけるかわからなかったから、という点に尽きた。

 涼子は頭が良く、県内有数の進学校が志望校だった。悠希は、といえば、成績は中の中。いつも平均点を微妙に超える程度の学力で、友人からは平均点の男、なんて呼ばれてたりした。加えて、涼子は陸上部で唯一県大会に進出したり、絵画コンクールで賞を取ったりと内申点も申し分なかったのに対し、悠希には特筆すべき点がまるでなかった。3年時の最初の進路面談で担任からこのままでは無理だとはっきり言われたのを今でも覚えている。

 勉強をしていなかったわけではない。しかし、要領が悪いのかそれとも物覚えが悪いのか、悠希の成績はいつも変わらず、平均を横ばい状態だった。

 小さい頃から今までずっと一緒にいたのだ、高校が違うくらいで疎遠にはならない、とは思っていた。その一方で、涼子と同じ高校に行けないようでは、自分は涼子に不釣り合いなんだ、と思う自分もいた。涼子は成績優秀で人当たりもいいから友達も多くて、運動もできて芸術のセンスだってある。そんな女の子とただ幼馴染というだけで傍にいる、何の取り柄もない自分が、その関係に甘えて涼子と恋人関係になってもいいものか。答えはノーに決まっていた。

 実は涼子に告白されたことがある。しかし今のままでは不釣り合いだから、と悠希は断ってしまっていた。それを聞いた涼子に、不釣り合いって誰が決めるの、あたしが悠希を選んだんだから、と真剣に怒られたが、劣等感を抱えたままでは胸を張って付き合える気がしなかった。せめて涼子が志望する高校に自分も行けたのなら少しは自分に自信が持てるかもしれない、と悠希は思った。

 だから、同じ高校に行けたら告白する、と涼子に宣言して、悠希は残りの中学生生活を勉強漬けの灰色に染めることを決めた。毎年一緒に行っていたお祭りすら行かず、時折涼子に勉強を見てもらったりしながら、今までの人生で一番勉強した。

 そして努力は実り、晴れて同じ高校に通えることになって、悠希は誓いを実行することにした。今年の夏祭りで告白しよう、と。

 すぐにでも恋人関係になりたいのをグッと堪え、夏祭りまで引っ張ったのにはもちろん理由がある。


 ――夏祭りの花火中に結ばれたカップルは幸せになれる。


 いつ頃から言われているのか悠希は知らなかっが、地元の学生の間では有名な話だった。涼子もこれを知っていたのだろう、告白されたのは中学2年の時の夏祭りだった。だからなのか、高校に受かったら告白すると宣言したにも関わらず、涼子から急かされたりするようなことはなかった。

 そして、その時はもうすぐ訪れようとしていた。


「ねぇ見て悠希、アクセサリーの屋台だって」

 花火を見るために移動する道すがら、涼子が1つの屋台を指して言った。他の屋台から離れてぽつんとあるそれは光量が足りてないのか少し薄暗く、怪しくさえあった。そのためか客はいなかった。

 花火が始まるまでもうあまり時間はない。怪しいこともあり、できればスルーしたかった悠希だが、涼子の横顔を盗み見ると、視線がその屋台に釘付けになっているのが明らかで、寄らないわけにはいかないようだった。

「見てく?」

「いいの? ……じゃあちょっとだけ」

 未だ手は繋がれたまま、二人の足がその屋台へと向かう。

「――いらっしゃい」

 子供向けのちゃちな物を想像していたが、並べられている商品はきっちりとしたネックレスや指輪などのアクセサリーで、へぇと悠希は感嘆した。フードを目深に被り、口元をなぜかスカーフで隠している年齢も性別も不詳な怪しげな店主と違い、値札もつけられている上にその価格も良心的だった(この類いの物の相場はわからなかったが)。さすがにこの値段ではアクセサリーの石はイミテーションだろうと思うものの、薄暗い中、輝きを放つそれらは本物のようにも思えた。

 店主は怪しいが、ひとまずぼったくられることはないだろうと判断して、商品を見ることに気を向けた。涼子はといえば、店主のことなど意にも介さない様子で、先程からアクセサリーに目を奪われていた。低い陳列台に合わせてしゃがみ込んでいる涼子の隣に、悠希もかがみ込む。

「こんな屋台あったんだね、去年からなのかな。今まで見たことなかったよね?」

「うん。気付いてなかっただけかもしれないけど」

「あ、見て見て、これ綺麗じゃない? いいなぁ」

 そう言って涼子が手に取ったのは、シンプルな細い金色のチェーンに雫の形をした青色の石が取り付けられている、チャームブレスレットだった。華美ではない落ち着いたデザインが、涼子に合いそうだな、と悠希は思う。値札をチラリと窺うと、今の財布の中身でも買える値段だった。

 ――よし。

「それ、プレゼントするよ」

「えっ? い、いいよ、そういうつもりで言ったんじゃないし」

「ほら、受験の時に勉強見てもらったしそのお礼ってことで」

「……お礼ってもうもらってたような」

「はい、決まり! すいません、これください」

 四の五の言わせずに立ち上がって店主に商品と代金を渡し、会計を済ませてしまう。どうも、と値札を取ってもらったブレスレットを受け取ると涼子を立たせて、

「はい、つけてあげる。腕出して」

「うん…」

 左腕を差し出した涼子の手首に、ブレスレットをつけた。チェーンの長さもちょうど良く、手首から抜ける心配はなさそうだった。雫の石が控えめに光りながらゆらゆらと揺れた。

 思った通り、涼子によく似合っている。

「ありがとう……すごく嬉しい。大事にするね」

 涼子は右手でブレスレットを大切そうに包み、手首を胸の前で抱え込んだ。その喜んでいる様子に、悠希も嬉しくなる。

「じゃあそろそろ行こう。花火始まるし」

「うん。ありがとね、悠希」

 もはやそうすることが自然になっているかのように、涼子と手を繋いで屋台を出ていこうとすると、

「――君たちは、恋人同士?」

 いらっしゃい、以外に一言も発していなかった店主が、唐突に口を開いた。スカーフでくぐもっているにも関わらず、高くも低くもない中性的な声色は、不思議と通りがよかった。

 恋人同士か、と問われれば答えはノーだ。なので悠希がいいえと口を開こうとするよりも早く、

「……はい、そうです。だからプレゼントがすっごく嬉しくて……この綺麗なブレスレット、大切にしますね」

 涼子がはにかみながら店主にそう告げていた。まだ違う、と口を挟もうとした悠希だったが、微笑む涼子が本当に幸せそうに見えて、まぁいいか、と水を差すのをやめた。

 店主はそれを聞くと何か納得したかのように、うんうんと頷き、やおら背を向けてそこに置いてあった荷物を探り始めた。立ち去っていいのかいた方がいいのかわからず、どうしたものかと涼子と顔を見合わせていると店主が振り返り、開いた手をこちらに差し出した。見ればその手のひらには指輪が2つ載っている。

「私のアクセサリーを買ってくれたおまけ。双子石の指輪。試作品だしデザインは地味だけど、効果はちゃんとあるから」

 効果、という言葉が引っかかる。効果ってなんだろう。いや、それよりも――

「あの……こんな高そうなの受け取れないです」

 涼子が慌てて手を振って断っていた。悠希も同感だった。店主の手のひらに乗っているその2つの指輪は、白銀色でストレートのアームに埋め込みの石が1つという、確かにデザインはシンプルな物であったが、それがむしろ石を際立たせていた。高校生の審美眼などたかが知れているだろうが、悠希にも涼子にも、薄暗い中にあって輝きを放っているその石が本物に見えて仕方がなかった。

 ただでさえ怪しい店主から、こんな高そうな物を受け取ってしまったら、どうなってしまうかわからない。それこそ店を出た後、怖いお兄さんが暗闇から現れてもおかしくはない。

 難色を示す二人に店主はあはは、と笑い、

「あとでお金請求したりもしないし、怖いお兄さんも出てこないから安心して。君が彼氏からプレゼントされて嬉しそうにしてるのを見て、私のアクセサリーでもまだ人を笑顔にできるんだなって、忘れてたことを思い出させてくれたからね。そのお礼」

 それに、と店主は声のトーンを落とし、

「私のアクセサリーを綺麗だ、なんて純粋に言ってくれたのなんて、もう記憶にないくらい久々だったから、嬉しかったんだ」

 だから気にしないで受け取って、と店主は手のひらをさらにこちらに突き出した。こうなると受け取らないのも悪い気がして、悠希と涼子はおそるおそる指輪をそれぞれ手に取った。

 ありがとうございます、と二人でお礼を言うと店主は手をひらひら、

「それじゃ、仲良くねお二人さん。あと少年、頑張ってね」

 意味深げに悠希に言い残し、店主はアクセサリーを片付け始めた。もう店仕舞いするようだ。

 最後にもう一度お礼を言い、二人は屋台を後にした。

「頑張って、って何をだろ。悠希、わかる?」

「さぁ……?」

 もしかして色々とバレていたのかもしれないな、と悠希は思うものの、それを口には出さない。

 立ち止まって、もらった指輪を改めてまじまじと見る。やはり石は本物のようにしか見えず、アームの材質はもしかしてプラチナなのではないかと思う。本当にこんなものをもらってもよかったのだろうか。

「ね、せっかくもらったんだし、指輪つけてみる?」

 涼子にそう言われて、悠希は頷いた。小さい物だ、つけていた方がなくさないだろう。さすがにもらってすぐ失くすのはしのびない。

 さて、どの指につけるべきか。悠希が涼子を窺うと、涼子はすでに左手の薬指に指輪を嵌めていた。そこなんだ……と悠希がうれしはずかし状態になっていると、

「わ、すごい、ピッタリ。それになんかつけ心地よくて、つけてる感じがしないかも」

 涼子が己が指に嵌めた指輪を見つめて、表情を明るくしていた。その様子を微笑ましく見ていた悠希だったが、ふと思う。涼子の指でピッタリなら、自分の指に指輪は嵌まらないんじゃないか。

 その心配は杞憂に終わった。試しに涼子と同じ指に嵌めてみると、まるで元から自分のサイズに作ってあったんじゃないかと疑いたくなるほどに、ちょうどよく嵌まった。なるほど、確かにつけ心地がいい。指に違和感がない。

 悠希が自分と同じ指に指輪を嵌めたのを見て、涼子は目尻を下げた。えへへ、と思わず照れ笑いが漏れた涼子を悠希が見返し、視線が交錯する。しかし唐突に恥ずかしくなり、どちらからともなく、顔を背けた。

「い、いこっか。花火始まっちゃう」

「う、うん」

 涼子に促され、その手を引いて悠希は歩き出す。

 少し歩くとすぐに人の波に遭遇した。先ほどの屋台とはまるで世界が違うのではないかと思えるような祭りの賑やかさ。はぐれないように涼子の手をしっかりと握って、悠希はその中を歩いていく。

 目的地まではもうすぐだ。

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