第6話 - b
『はい』
家に帰ってから悩みに悩んでようやく送った『明日は部室来る?』というメッセージに対しての返事。後輩から送られてきた、たったその二文字だけのメッセージを見るだけで、僕の心は躍った。
自分の気持ちをようやく伝えられたものの、相手の口からは結局何も聞けなかった。それでもあの時の状況や出掛かった言葉で、返事をポジティブに考えていたけれど、時間が経つにつれネガティブの度合いも増してきた。そういえば好きとは言ったが、付き合ってほしいという肝心なことを言っていない。それを含めてちゃんと言おう――と、メッセージを送ることにした。どんな文面にしようか、むしろメッセージで伝えてしまうか、なんて思ったりもしたけれど、せっかくなら二人で過ごしてきたあの部室で伝えたい、と思ってとりあえず明日は来るのかどうか聞いた。震える指で送信ボタンを押して、割とすぐに既読がついたものの、返事は一向に来ず。それだけで嫌な考えに頭の中が支配されてしまい、寝ようと布団に入ってからもなかなか寝付けなかった。結局返事が送られてきたのはド深夜で、アプリの通知音でスマホに飛びついて確認したメッセージはたった二文字だけ。しかし、明日は部室へ来てくれる――そう思うだけで頬がにやけた。同時に再度告白することへの緊張が襲ってきたが、一度告白したという事実があるせいかそれほど強烈なものではなく、返事が来たことへの嬉しさの方が勝った。どちらにしろ目が冴えてしまったことに変わりはなかったけど。
しかし、そうして眠れず過ごす布団の中で、僕は藤村に再度告白する前にしなければならないことがあるのに気が付いた。なかったことにしてしまっている、あのこと。それにきちんと答えを返さなければならない。
結局眠れたのは空が白み始めた頃で、僕はいつになく重い
既に一度自分の教室へ行った後なのか、鞄も何も持っていない。そもそも一年生の昇降口と三年生の昇降口は別だ。誰かを待っているのは明白だった。なんとなく、僕を待っている、そんな気がした。ちょうどいい、僕も話がある。朝のホームルームまでまだ時間はある。放課後に呼び出すつもりだったけど、今できるならその方がよかった。
僕が志乃ちゃんの前で足を止めると、その気配に気付いたのか顔を上げた。つまらなさそうな顔が一瞬にして晴れる――というか、いきなり吹き出した。
「あはっ、ちょっ、賢にぃ、何その眼鏡……!」
あははは、と僕の顔を見るや否や声を上げて笑い出した志乃ちゃんに周囲の視線が集中する。僕の顔に指を指して笑っているせいか、次第に周囲の視線が僕の方へ向く。と同時に、皆一様に顔を伏せてその肩を震わせては去っていく。登校中にも同じようなことがあって、一体なぜなのかわからなかったけど、今の志乃ちゃんの言葉で謎が解けた。
……そんなに面白いですか、この眼鏡。
昨日、眼鏡が壊れてしまったので、今日は予備用に作った眼鏡を着用してきていた。予備のつもりだったので、フレームをデザイン度外視で値段が安い物で、と選んだ物だ。それに加え、視力がかなり悪いため、必然的にぶ厚くなるレンズをケチって薄くせずそのままにしたせいで、ひと昔前の漫画で眼鏡キャラが掛けているような眼鏡が出来上がってしまっていた。
作ってから掛ける機会もなく部屋で眠ったままだったので、人からどう見られるか、なんて完全に失念していた。道理で今朝、家族も微妙な表情をしていたわけだ。
「……っぷくく、っ、い、今時そんな眼鏡あるんだね……」
あー笑った、とひとしきり笑って、志乃ちゃんはようやく笑うのを止めた。その目には涙まで浮かんでいる。……むしろそこまで笑ってもらえるなら本望です。別に笑いを取るために作った眼鏡じゃないけど。
「それで、何か用?」
まだ微妙に笑いを堪えている志乃ちゃんを前に、このままでは話ができなさそうだと思い、眼鏡を外して問いかける。
「そうそう、賢にぃ待ってたんだった。ちょっと話があって。いい?」
目元の涙を指で拭いつつ、志乃ちゃんがそう訊いてくる。断る理由はなく、むしろ願ったり叶ったりだ。頷くと、あまり人に聞かれたくない話なのか学ランの袖を引っ張られ、人がほとんど来ない校舎裏へと連れて来られた。朝の喧騒が遠く聞こえる。周囲に木々が茂っているそこは、陽があまり当たらず、朝だというのに薄暗い。
「――あのね、賢にぃ」
袖から手を離し、こちらに向き直った志乃ちゃんは地面に視線を落としながら口を開いた。しかしそこから言葉が続かず、やや間があったが、意を決したのか大きく息を吸った音が聞こえて、志乃ちゃんが顔を上げる。
「あの時は振られて気まずくなっちゃうのが嫌で、忘れて、なんて言っちゃったけど、やっぱり、私は賢にぃのことが好き」
だから付き合ってください――と、僕の目を見て、志乃ちゃんははっきりと告げた。
それは奇しくも僕が志乃ちゃんにしようと思っていた話でもあった。あの時なかったことにしてしまった話。志乃ちゃんを本当に大事な幼馴染と思うなら、ちゃんと答えを返さなければならないことだったのだ。それを宙ぶらりんにしたまま藤村と付き合おうものなら、きっと普通に振るよりもひどい傷をつけてしまう。
言ったきり志乃ちゃんは答えを待つかのように黙ってしまい、お互いの目を見つめ合ったまま時間だけが流れていく。
僕の答えはもう決まっている。
言わなければ。
「……ありがとう。志乃ちゃんに好きって言われて嬉しいよ」
それは本心だった。幼い頃から仲が良く、妹のように思っていた女の子に好きと言われたのだ。嬉しいに決まっている。
でも。
「僕も志乃ちゃんのことは好きだよ。でも……ごめん。僕の好きは志乃ちゃんの好きとは違う。だから付き合えない……ごめん」
ラヴじゃなくライク。僕が志乃ちゃんに向けている感情はそれだ。恋愛感情じゃない。
僕が言い終わると、志乃ちゃんは目を閉じて大きく息を吐いた。あーあ、と小さく呟くのが聞こえた気がした。
目を開けた志乃ちゃんの顔には笑みが浮かんでいた。
「――やっぱりダメかぁ。まぁ、賢にぃが私のことをそんな風にしか見てないって知ってたけどさ」
明らかに強がりとわかるその口調と表情。思わず僕は志乃ちゃんに手を伸ばそうと――
「やだー賢にぃ。振った相手に優しくしちゃうんだ?」
――して、その言葉で伸ばしかけた手を下ろした。今、僕が志乃ちゃんに優しくしたところで、逆に傷つけてしまうかもしれない。そう思って固まってしまった僕へ志乃ちゃんは言葉を続け、
「もう藤村先輩と付き合ってるんだし、優しくする相手を間違えちゃダメだよ?」
ん? と僕は引っ掛かりを覚えた。どうやら勘違いをしているらしい。たぶん、おそらく、きっと、そうなるだろうというか、そうなればいいなとは思うものの、まだ付き合っていないことだし一応訂正しておこうと、僕はおずおずと口を開く。
「いや、あの…………まだ付き合ってないよ……」
「えーっ!?」
志乃ちゃんが驚きの声を漏らす。その顔には油性マジックではっきり『信じられない』と書いてある。
「昨日抱き合ってたのに!? あの状況から何がどうなったら付き合うまでいかないの!?」
どうやら抱き合うところまでは見られていたらしい。もしかして告白まで聞かれていたのでは――、と恥ずかしさのあまり、顔が熱くなる。
呆れたように志乃ちゃんはこれ見よがしに溜め息を吐き、
「もー、信じらんない。しっかりしてよね、賢にぃ」
「はい、ごめんなさい……」
振った相手になぜか怒られた。
先ほどの強がっている様子はどこへやら。すっかりいつもの調子を取り戻した志乃ちゃんは、
「で、ちゃんと告白するんだよね?」
「それは、もちろん。……今日部室で会ったら言おうと思ってる」
「そっか。じゃあ私も部室行って邪魔しようかな」
「え。それは、あの、ちょっと」
「うそうそ。冗談だってば」
あはは、と僕の様子が可笑しかったのか志乃ちゃんが声を上げて笑う。
「今日のところはやめといてあげるから、ちゃんとするんだよ、賢にぃ」
「――うん」
振った相手であるはずの志乃ちゃんに励まされて、改めて告白の決意を固めていると、予鈴が鳴った。そろそろ行かないとホームルームに遅れる。そう思って志乃ちゃんに声を掛け、校舎裏を出て教室へ向かおうとする。しかし、背後から足音が聞こえてこない。不思議に思って振り返ると、志乃ちゃんはその場から動いていなかった。
「? どうしたの?」
「……私は後で行くから、賢にぃ、先に行っていいよ」
「え、でも授業始まるよ?」
予鈴が鳴ったということはホームルームまで五分を切っている。ここからお互いの学年の教室まで割と距離がある。一緒に出ないと間に合わない。
しかし、志乃ちゃんは動こうとせず、首を横に振る。どうしたのだろうか、と思っていると、
「――振られた女の子が一人でいる時間があってもいいでしょ?」
そう言われてハッとする。さっきまでの志乃ちゃんがいつも通りすぎて失念していた。そうだ。好きだった相手に振られて傷ついていないわけがない。それでも、明るく振舞って、僕の背中まで押してくれた幼馴染に感謝をしつつ、僕はそれ以上何も言わずにその場を後にした。
今日何度目かわからない
僕の頭の中は既に彩華への告白のことでいっぱいだった。昨日に比べれば幾分余裕はあるが、それでも緊張するものはする。
どう言おうか。どう伝えるべきか。そのシミュレーションを随時、頭の中で行っていたせいでホームルーム終了時の号令を聞き逃し、気付いてみれば既に放課後となっていた。
気まずさを感じつつ、学校から解放された土曜午後に盛り上がるクラスメイトを脇目に、僕はそそくさと教室を後にする。クラスメイトにもさんざん眼鏡についてイジられたので、今日はもう教室にはいたくなかった。あまりにイジられすぎて、眼鏡は二限目には既に外してしまっていて、まともに板書をノートに書き写すこともできなかった。明日の日曜は絶対眼鏡を買いに行こうと決意する。
ぼんやりした視界の中で、職員室でカギを借りて部室へと向かう。ほとんど何もできなくなるし、その顔もよく見えなくなってしまうけど、藤村に会う時にはこのまま眼鏡は外しておいた方が良さそう――なんて考えながら。
辿り着いた部室の前に、まだ藤村の姿はなかった。カギを開けて中へ入って机の上にリュックを置き、ひとまずパソコンの電源を入れる。静かなファンの音が室内を満たし始める。
とりあえずいつもの定位置、パソコンの前に座ってみる。しかし、そわそわしてしまってパソコンで何かしようという気にならない。自分で思っているよりも緊張しているのかもしれない。
いつ藤村が来るかわからず、落ち着かない気持ちで部室の中を見回していた僕だったが、ふと机の上のリュックに目を留めた。そのポケットを探って生徒手帳を取り出す。よく見ようと、外していた眼鏡を掛けた。
その生徒手帳には僕の名前が書かれている。昨日、藤村が走り去った後に拾った生徒手帳だった。てっきり自分が落としたのかもと拾った時点では思ったのだが――僕はさらにリュックを漁ってもう一つの生徒手帳を取り出す。それにはもちろん、自分の名前が書かれている。同じ名前が書かれた生徒手帳が二つ。中の学生証を覗けば多少の違いはあるものの、同じ顔の写真が貼られていた。
まだ新しく見える片方は、去年の春休みに生徒手帳を失くしたと思って再発行した生徒手帳だ。
まるで水に濡れて乾いた後のように、ヨレヨレになっているもう片方。これはきっと僕が失くした生徒手帳だ。
それがなぜ、昨日、あんな裏路地で、唐突に見つかったのか。
昨日見つけた時から考えているが、考えれば考えるほど、答えは一つしかないように思えてくる。
――藤村が持っていて、藤村が落としていった。
どうして藤村が持っていたのか、という疑問は残る。部室に忘れていったのを藤村が見つけて返すのを忘れていたのかもしれないとも思ったが、春休み中にわざわざ再発行の手続きをしたのを覚えている。その線はない。
ヨレヨレの、失くした方を手に持って眺める。裏返してみたり、ページをカサカサと
本当に藤村が持っていたのか、告白の後にでも訊いてみよう。
そう思って、生徒手帳をリュックへとしまおうと――
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