第4話
「先輩はいつもお昼は購買のパンなんですか?」
「そうだけど。河井さんのお弁当は自分で作ってるの?」
「はい。でも冷凍食品だったり晩御飯の余り物詰めたりしてるだけですけどね」
後輩――河井さんとの昼食は、思っていたよりも和やかな雰囲気で進んでいた。
他の人が来ないところがいいです、という河井さんの提案で場所は部室になった。
二日ぶりに訪れた部室は、たった二日来ていないだけなのにどこか懐かしく感じた。
実際にちゃんと話してみると、あたしのそっけない返事や変化の乏しい表情にも笑って返してくれるいい子だった。
先輩との関係も思い切って訊いてみた。ただの幼馴染ですよ? 久しぶりに会ったんで嬉しくて抱き着いちゃいました、と照れながら言う河井さんの様子に嘘はなさそうだった。
やっぱりあたしが、勝手に先輩との関係を勘ぐって敵視していただけなのかも。
そう思って、警戒を解いてガードを緩めた。
それがいけなかった。
「――ところで先輩って、中学の時、男をとっかえひっかえしてたのって本当ですか?」
その時を待っていたかのように。狙い澄ましたかのように。初めて会ったあの時に見せた、完璧な笑みを浮かべた河井さんはその言葉をあたしの胸に突き刺した。その一言であたしは石になる。
笑顔を張り付けたまま、河井さんは続ける。
「私の友達から聞いたんですけど、彼氏がころころ変わっていたらしいじゃないですか。すぐ付き合える軽い女って、かなり有名だったみたいですね?」
事実を突き付けられているだけにあたしは何も言えない。唇を噛む。
「そんな人がどうして賢にぃの傍にいるかわからないですけど……賢にぃで遊ぼうとしてるならやめてください」
河井さんの笑顔が消える。敵意を剥き出しにした眼差しであたしを見つめてくる。
「ち、違……」
「違う? 何がですか?」
「あたしは……先輩の傍にいたいだけ……」
ダメだ。どうしても声が震えてしまう。
「先輩がなんて考えていようが別にどうでもいいですけど、このことを知った賢にぃが、先輩のことを傍にいさせてくれますかね?」
あたしだってその可能性をこれまで考えなかったわけじゃない。
過去のあたしを知ったら先輩はあたしのことを嫌うかもしれない。
今まで告白できなかったのは振られるのが怖かったのもあるけれど、それが怖くて踏み込めなかった部分も確かにある。
「もう一度言います。賢にぃで遊ぼうとするのはやめてください、お願いします」
あたしの目をまっすぐに見つめ、河井さんはそうはっきりと言った。
先輩に対して後ろめたいことがあるあたしとは違う、先輩のことを心から想っているだろうそのまっすぐな目。
視界が歪む。
やっぱりこの子にあたしは敵わない。
あたしは思わず部室から飛び出して――
「――ぇ、」
「ふ、藤村……?」
どうしてだか部室のすぐ外にいた、先輩にぶつかってしまった。どうして先輩がここに、と思うものの、涙に濡れている顔を見られたくなくて、あたしは顔を背けて逃げ出した。
階段を二段飛ばしに降りて、廊下を駆けて。
予鈴と同時に、あたしは自分の教室へと戻った。
「彩華ー、次の授業――あんた、その顔どうしたの」
教室に戻るなり、亜里沙に泣いているところを思いっきり見られてしまった。五限目の生物への教室移動をし始めていたクラスメイトが、何事かとあたしの顔を見ては去っていく。
「……なんでもない」
「なんでもなくはないでしょ、そんな顔して」
亜里沙はやれやれといった様子で溜息を吐いて、あたしの腕を取った。
「ちょ、ちょっと、どこ行くの、授業……」
そのまま、生物の教科書やノート、筆記用具すら持たずに亜里沙はあたしを引っ張って教室を出る。
「あんたの今の状態で授業出ても、内容頭に入らないでしょ。まっ、骨拾うって言ったの私だし、五限目サボって話聞いたげる」
そう言って、亜里沙は足早に歩いていく。引っ張られているあたしはついていくしかない。途中、亜里沙は自販機でジュースを二つ買った。屋上へと続く階段を上がり、屋上に出るドア手前の踊り場に辿り着いた時、五限目開始のチャイムが鳴った。ここまで来るのに先生と出くわさなかったのは運がよかったと思う。
「で、何があったわけ?」
階段最後の段に腰を下ろした亜里沙は、あたしにりんごジュースを渡しつつ水を向けた。それを受け取って亜里沙の隣に座ったあたしは、昼休みに部室で起きた河井さんとの出来事を話した。今さら、亜里沙に隠そうという気は起きなかった。
あたしの話を最後まで黙って聞いていた亜里沙は、
「――過去のことなんてどうでもよくない?」
と、あたしの悩みを一蹴したのだった。
え、とあたしは目が点になる。
「今のあんたはそんなことしてないんだから、胸張ってたらいいのよ」
「で、でも……」
「野木先輩は一年も一緒にいたあんたの過去を知って軽蔑するような、そんな白状な男なわけ?」
「そんなのわかんないじゃん……」
先輩のあたしへの気持ちもわかんないのに、とぽつりと漏らすと、
「野木先輩は好きだって言ってたよ、彩華のこと」
亜里沙はそう口にした。
「は?」
その言葉が信じられなくて、あたしは怪訝な顔になる。
嘘だ。先輩があたしのことを好きだなんて。もしそれが本当だとして、どうして亜里沙が知っているのか。あたしの知る限り、先輩との接点はほとんどなかったはずなのに。あたしを励ますために亜里沙がついた嘘と考えた方がよほど信じられる。
疑問をぶつけると亜里沙は、
「昼休み、あんたが行っちゃった後に野木先輩が教室に来たんだよ、彩華いますかって。その時に捕まえて色々と訊いちゃった。ごめん」
そう言って、あたしに頭を下げた。
反則っぽいしほんとは言うつもりなかったんだけど、と亜里沙は続ける。
「でも、このままだと多分、あの幼馴染ちゃんに野木先輩取られちゃうしさ。先輩の気持ちもわかったんだから、そうなっちゃう前にもう告白しない?」
亜里沙の言うことももっともだ。もしそれが本当なら、告白の成功はほぼほぼ約束されたようなもので、先輩と付き合えるかもしれない。答えをカンニングしてしまったような、後味の悪さを感じるけれど。
でも。
「先輩が、その……あたしのことを好き、っていうのがほんとだとしても、告白なんてできないよ……」
「なんでよ」
「だって、河井さんみたいにあたしはかわいくないし……先輩の前だと無愛想になっちゃうし……そんなあたしなんかと付き合うより、河井さんと付き合った方が――」
「それ、本気で言ってる?」
あたしの言葉を途中で亜里沙が遮る。その顔は今まで見たことがないくらい険しい。
「そんなあんたと接していた野木先輩は、そんなあんたを好きって言ったんだよ」
「でも――」
「――じゃあ、幼馴染ちゃんに野木先輩取られちゃってもいいんだね?」
「…………やだ」
絞り出すようにあたしは呟いた。
確かに河井さんはかわいいしあたしと違って愛嬌もあるし、そんな子と付き合った方が先輩も楽しいに違いない。
でも、そんな想像をしただけであたしの胸は痛む。
河井さんにあたしが勝るものはないかもしれない。
それでも。
嫌だ。先輩を取られたくない。
結局、それがあたしの本心だった。
「……私の前だとこんなに女の子でかわいいのにねぇ」
亜里沙があたしの頭を撫でる。気恥ずかしくなってあたしはその撫でる手を払いのけて顔を背ける。
「あんたが思ってること、あんたの気持ち、ちゃんと野木先輩に話しなよ」
あたしのその様子にも、優しい声で亜里沙は言う。
「うん……」
「中学の時のことはあたしもフォローしてあげるからさ」
「うん……亜里沙」
「ん?」
「……あ、ありがと」
照れながら言ったその言葉を聞いた亜里沙に、その後しつこく頭を撫でられた。
* * * * * *
スッッッパァァァァン!
今日も長かった一日がようやく終わる。誰もがほっとするそのホームルーム終了を知らせるチャイムが鳴り出したのと、教室の前の扉がものっそい音を立ててものっそい勢いで開いたのはほぼ同時だった。『キンコンカンコン』の『キ』くらいで開いたのではないだろうか。
何事かと、教室にいた全員の視線が集中した。
実はまだ、得意技は無駄話でそのせいでホームルームが長くなるので担任になるのを生徒から嫌がられている三年二組担任三十八歳独身国語教師筒路の話は終わっていなかったのだが、突然の
鳴り響くチャイムの音、他の教室から机や椅子の擦れる音や、ようやく訪れた放課後への安堵や喜びの声が聞こえる中、三年二組にだけは異様な沈黙が訪れていた。
沈黙や視線を気にしようともせず、失礼します、と闖入者は背筋を伸ばしてツカツカと教室の中ほどまで侵入し、そこにいた眼鏡をかけた男子生徒の腕と鞄をやおら掴むと、無理矢理立たせて引っ張って連れていく。無理に立たせたせいで机と椅子が倒れ、周囲の生徒たちがその音で尻を一瞬浮かせた。
――失礼しました。
スッッッパァァァァン!
その言葉と再びの轟音により、三年二組の教室はようやく沈黙の支配から解き放たれたのだった。
これが後に『乱入美女眼鏡強制連行事件』と呼ばれ、クラス制作の卒業文集においてまでイジられることになろうとは、その男子生徒にはまだ知る由もなかった。
* * * * * *
「ちょ、ちょっと、待って」
ズンズンと進んでいく闖入者――亜里沙に腕を引っ張られつつ歩いていた賢斗だが、その勢いは全く遠慮がなく強引で、さらに学ランの上から食い込む爪が痛くて、たまらず賢斗は腕を振り払って立ち止まった。教室から蜂の巣をつついたかのように出てきている生徒たちが何事か、と視線を送っては立ち止まった二人を追い抜いて歩き去っていく。
「藤村に話がしたいから放課後教室に行くってメッセージ送ってあるんだけど」
だから訳も分からず連行されている場合ではないのだ、と賢斗が訴えると、亜里沙は手に持っていた賢斗の鞄を持ち主に押し付け、
「いいから、今は黙ってついてきてください。ちゃんと彩華と話させてあげますから」
再び賢斗の腕を掴んで、半ば引きずるように亜里沙は歩き出した。
それぞれの放課後へ向かっていく生徒でごった返す昇降口にて、靴を履き替えるよう指示されて賢斗は校舎の外へ出た。三年生と二年生は棟も違えば昇降口も違う。先に外に出て亜里沙を待つ。一体自分はどこへ連れていかれようとしているのだろうか。藤村と話をさせてはくれるみたいだし、今は従うしかないようだった。
二年生の昇降口から小走りにやってきた亜里沙と合流し、先に立って歩き始めたその背中を賢斗は追う。もう逃げないと判断されたのか、それとも別の理由か、学校の外でまで腕を引っ張るようなことはなかった。
下校する他の生徒に混じりながら歩くことしばらく、駅前へと向かっているようだと賢斗が確信した頃、亜里沙がようやくその歩みを少し緩めて賢斗の隣に並んだ。男子平均程度には身長がある賢斗だったが、亜里沙とはほとんど目線が変わらず、その背の高さに今更ながら驚嘆する。背の高さに比例するかのようにその顔は大人びていて綺麗で、藤村と同じ制服を着ているようにはとても思えない。
「で、どこ行くの」
隣に並んだことで、ようやく答えてくれそうだ、と判断して賢斗は亜里沙に声を掛けた。
「駅前に『ロージーカフェ』って喫茶店あるの知ってます?」
「いや、知らないけど……」
「でしょうねー、結構行きますけど、私以外に高校生見たことないですもん」
亜里沙が苦笑しながら、だからそこがいいんですけどね、と言う。そんな高校生が行かないような喫茶店をなぜ知っているのだろう。
「彩華には先に行っててもらったんで。そこで存分に二人で話してください」
「なんでわざわざ喫茶店に……部室でいいと思うんだけど」
賢斗のその言葉を聞いて、亜里沙はこれ見よがしに溜息を吐いた。
「部室にいて二人きりで話せると思ってます?」
言われて、賢斗の頭の中に幼馴染の姿が思い浮かぶ。うん、無理だ。
思い返せば初めて部室へ連れて行った時といい、今日の昼休みといい、どうもあの幼馴染は藤村との関係を邪魔しているような節がある。
そういえば、と賢斗は気になっていたことを亜里沙に尋ねる。
「今日って五限目なんだった?」
「え、生物ですけど……いきなりなんですか」
「あー、うん、なんでもない」
やっぱり。賢斗は内心溜息を吐く。
自分のことを好きだと言ってくれた志乃からすると、彩華は遠ざけておきたい存在なのだろう。体育だと嘘をついたんだ、昼休みに彩華に何かしたのは間違いなさそうだ、と賢斗は確信を持つ。
「すいません野木先輩、無理矢理連れてくるような真似しちゃって」
歩きながら頭を下げて、亜里沙が賢斗に謝る。
「幼馴染ちゃんに見つかる前に学校を出たかったので」
「なるほど、それで急いでたんだ」
合点がいく。確かに志乃に見つかればそのまま部室へと連れていかれそうだ、と賢斗は思う。
「ところで先輩、彩華と話がしたい、って何話すつもりなんですか?」
「あー……まぁ……」
言葉を濁す賢斗だったが、彩華のことを好きなのはもう白状してしまっているし言っちゃってもいいかと開き直って、
「……告白しようかな、って」
色々考えた末の結論だった。志乃とのことを話して言い訳がましくなるよりも、もういっそのことそうしてしまった方が良い気がした。好きだと伝えてまたパソ研に来てほしいと伝える。もし振られてしまって藤村が本当にパソ研に来なくなってしまっても、どうせ今も避けられているような現状だ。そう変わりはしない。このまま何もしないでなし崩し的に藤村との関係が終わってしまうことだけは避けたかった。せめて自分の気持ちは伝えたい。正直、さっきから心臓の鼓動が激しくて仕方がない。
賢斗のその言葉に、亜里沙は意味ありげに含み笑いをしつつも何も言わないのだった。
* * * * * *
――私が野木先輩を連れて行くから、先に行ってなよ。
先輩と話す場所はあの喫茶店に決まった。先輩から話がしたいとメッセージがあったことを亜里沙に伝えると、学校だと幼馴染ちゃんに邪魔されるかもしれないし、と喫茶店で話すことを提案してきた。それに乗った形だ。
亜里沙に言われて、あたしはホームルームが終わるとすぐに学校を出た。先輩と一緒に行くことも考えたけれど、緊張して道中うまく喋れる気がしない。それに、先輩と一緒にいるところを見られたらきっと河井さんに邪魔されるし、かといって先輩を一人でいさせたらやっぱり河井さんに部室へと連れていかれるだろう。横槍を入れられる前に先輩とちゃんと話したかった。だから、私が先輩を連れて行く、という亜里沙に甘えることにした。
駅前まで足早に移動して、あたしは喫茶店を目指す。早く着いて先輩が来るまでに少しでも落ち着きたかった。しかし路地裏にあることはわかっているものの、どこの裏路地に入ればいいのか思い出せない。正直、昨日は亜里沙に連れられるままだったから、その道順を気にしてはいなかった。
場所を検索しようと、鞄のサイドポケットからスマホを取り出す。と、同じところに入れていた生徒手帳――あの日拾った先輩の物だ――が目に付いた。思わず手に取って眺める。そこに書かれた先輩の名前を目でなぞる。
野木 賢斗
好きな人の名前。
それを見て、あたしが改めて先輩とちゃんと話そうという決意を固めていたその時。
「――あれ、彩華じゃん?」
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