第3話
「賢にぃ、このボス倒せないよー」
「あぁ、そいつは戦闘中に特定の行動取れば弱体するから」
「えー、そんなのヒントなくちゃわかんないよ」
「いや、そのボス直前の会話イベントで思いっきり答え言ってたはずなんだけど……」
「え、そうだったっけ?」
しょうがないやりなおそー、と志乃がゲームをリセットする。パソコン前の、いつもの定位置を奪われた賢斗は今、志乃の背後の壁際にいた。部屋中央の机にさっきまではいたのだ。しかしパソ研が作ったゲームをやりたがった志乃に、ここはどうするの、とか、どこ行けばいいの、とか逐一訊かれて、その度に画面を覗きに行くのが面倒で座る場所を変えた。
時折、志乃の質問に答えつつも、賢斗はスマホの画面を見つめていた。
『今日は友達と遊ぶんで』
今日は来るの? という賢斗の問いへの、彩華からの返信がそれだった。ちなみに昨日は『バイトがあるんで』という返事を頂いていた。
志乃に気付かれないように、賢斗はこっそりと溜息を吐く。あれから二日。彩華はパソ研に一度も来ていないどころかその姿すら見ていない。避けられている気がする。
やはり志乃が原因なのだろうか。ゲームに熱中するその背中に目をやる。今日は髪を三つ編みにしていた。
あの日、志乃と一緒に部室に行った時の彩華の様子は明らかにおかしかった。こちらの話を聞かずにまるで逃げるかのように部室を出て行った。というかあれは逃げ出した。何が彩華をそうさせたのか、賢斗は考える。抱き着かれていたことか、志乃ちゃんと呼んでいることが知られたことか、それとも、そもそも志乃を連れていったことか。
しかし、考えれば考えるほどに、賢斗は混乱してくる。あの様子は確かに自分と志乃との関係を勘違いしていた可能性がある。だが普通に考えれば、勘違いしたとしても逃げ出す、などという突飛な行動は取らないはずだ。そもそも彩華の性格からするとからかわれる可能性の方が高いはずなのだ。普通に考えれば。そう、勘違いして逃げ出すという行動は、とある前提がないと成り立たないのだ。
――もしかして、藤村って僕のことが……好き?
まさか、と思って賢斗はその考えを打ち消そうとする。けれど、そう考えると辻褄があってしまう。打ち消せない。一年間何をするでもなく一緒に過ごしてきて、嫌われてはいないとは思っていた。でもだからといって好きだと決めつけるのは早計ではないか。
それに、好きといえば、と賢斗は志乃をもう一度見やる。
――泣いちゃってごめんなさい。
あれから少しして泣き止んだ志乃は、赤く腫らした目で謝ってきた。そして、今のは忘れて、と笑って言った。そう言われたのをいいことに、賢斗はあの告白をなかったことにしている。志乃にはやはり幼馴染以上の感情を持てず、かといって振ればきっともうパソ研にはやってこない。この期に及んで部員確保のことを考えてしまう、そんな打算的な自分が嫌になったが、後輩と二人で過ごしてきたこの場所がなくなるのはもっと嫌だった。
その結果、志乃はパソ研に入ることになって、同好会存続の人数は満たされていた。
その結果、彩華は来なくなってしまったのかもしれない。
あれから二日。時が解決してくれるならいいが、今日も来なかったことからその可能性は低そうだ、と賢斗は思う。このまま何も動かずにいれば、手遅れになってしまうかもしれない。
――とにかく、藤村と直接会ってちゃんと話をしよう。
志乃は高校で再会した昔の幼馴染であり、特別な関係ではないこと。そのことだけでも伝えたかった。その上で、どう転ぶかわからないけれど、いっそのこと告白してしまった方がいいのかもしれないと、悠希は思う。勇気がないなんて言い訳をせずに、覚悟を決めなければならないのかもしれない。
「ねぇ賢にぃ、これなーに?」
「それを作ったのはもう卒業してしまった先輩です僕ではありません」
バレないようにCドライブ奥の階層に作った隠しフォルダを見つけられて志乃に詰め寄られ、それを弁明しつつも、賢斗は明日教室まで行ってみようと決意するのだった。
ちなみに、全部消されました。
藤村はパソコンに触れなかったからバレなかったのに。
* * * * * *
「――で? あんたはこれからどーすんの」
「……どうしよう」
小さい木製の丸テーブルを挟んで向かい側に座る亜里沙にそう言われて、あたしは返答に窮した。とりあえず、注文したアイスカフェオレを飲んで喉を潤す。
放課後、今日もパソ研に寄らずに、先輩からのメッセージに『今日は友達と遊ぶんで』と送り返して帰ろうとしたところ、亜里沙に捕まった。奇しくも返信の通りになってしまった。
カラリ、とグラスの中の氷が音を立てた。店内にはジャズピアノのBGMとコーヒーのいい香りが漂っていて、店内には何人かの客がいるものの、よく行くファストフード店のように騒いでいる客は一人としていない。黒を基調とした落ち着いた内装に、適度に置かれている観葉植物。コーヒーはサイフォンで抽出されていた。正直、高校生が来るような喫茶店ではない気がして、制服姿のあたしは肩身が狭い。身長も胸もあって、ショートボブが似合う大人びた顔つきの亜里沙は制服を着ているのにも関わらず、この店の雰囲気が様になっているのが少し悔しい。あたしも亜里沙くらい美人なら、少しは自分に自信が持てるのだろうか。
亜里沙に半ば無理やり駅前に誘われ、またいつものとこか、と思ったら連れてこられたのがここ、裏路地の雑居ビル二階、小ぢんまりとした喫茶店だった。亜里沙曰く、ここなら落ち着いて話ができるから、とのことで、慣れた様子で席に着いたのを見る限り、何度か訪れているらしい。
席に着いて注文するや否や、あんた最近暗いけど何かあったでしょ、と亜里沙に根掘り葉掘り訊かれた。自分が思っているより弱っていたらしい、いつもなら突っぱねていたその質問に、あたしは答えてしまっていた。先輩が好きなこと(これは正直バレていたように思う)や、いきなり現れたあの女の子のことを話してしまって、ここ数日ぐるぐるしていた頭と心の中が少しすっきりした。したけれど、これからどうすればいいのかはわからないままだった。
「どうしよう、って。先輩のことを諦めるか、諦めないか。どっちかしかなくない?」
あたしにはあの先輩のどこがいいのか全っ然わからないけど、と亜里沙は言う。先輩のことを知るきっかけになった猫の件はどうにか隠し通したので言っていない。
「まっ、あんたが怖気づいて逃げちゃう気持ちもわからないでもないけど。だって、賢にぃ志乃ちゃんって呼び合ってて? 幼馴染かもしれなくて? しかも抱き合っていて? さらに巨乳?」
勝ち目ないなーあっははー、と亜里沙はわざとらしく笑う。確かにその通りだけど、一個だけ訂正させてほしい。抱き合ってない。あの女の子が一方的にくっついていただけ。
「……やっぱ胸なのかな」
己の平らな胸に手を当てつつ、あの女の子の胸の大きさを思い出す。身長はあたしとそう違わなかったのに、そこだけあたしの三倍はあった気がする。
「そこで女を選ぶような男なんてやめときなよ」
「先輩はそんな男じゃないし!」
「えー……めんどくさいなこいつ……」
呆れながら、亜里沙はコーヒーに手を伸ばした。亜里沙が頼んだのはブレンドで、当然のようにブラックで飲んでいた。ちくしょう、似合う。
カチャリ、とカップをソーサーに戻して、亜里沙は感慨深そうに口を開く。
「しっかし、来るもの拒まず男をとっかえひっかえしてたあんたが、好きな先輩のことで悩んじゃうなんて、立派な女の子になって……わたしゃ嬉しいよ」
「あはは。ねぇ亜里沙、殴っていい?」
「こわっ。あんたただでさえ顔が怖いんだから、真顔でそんな冗談言わないでよ」
「え、冗談じゃないけど」
「なお怖いわ!」
まさか本気で殴られるとは思っていないだろうが、怯えた表情をした亜里沙が椅子を引いて少し遠ざかる。
確かに先輩に恋をして、先輩の好みに合わせようとしたり、先輩のことで一喜一憂したり、自分でも女の子してるな、と思わないでもないけれど、亜里沙にそれを指摘されるのはむず痒いものがあった。
まぁ、と亜里沙は椅子を戻しながら、
「今のあんたの方が、私は好きだけどね」
「……それはどうも」
そう言われて照れ臭くなったあたしは、アイスカフェオレに助けを求めた。照れ隠しに、口をやや大げさに尖らせてストローでちゅーちゅーしていると、白い喉を反らしてコーヒーを飲み干した亜里沙はくす、と笑いを漏らして立ち上がった。
「一回、先輩とちゃんと話してきなよ。案外なんでもなかったりするかもよ」
伝票を手に取った亜里沙はそんなことを言った。もう出るのか、とあたしも立ち上がろうとすると、手で制された。
「あんたはもう少しここにいて、これからどうするのか、じゃなくて自分がどうしたいのかを考えなよ、奢ってあげるから」
っていうかもう告白してしまえばいいのに、と呟かれたのは聞こえなかったふりをしておく。
じゃあね、と支払いを済ませて出ていく親友の背中を見送り、あたしは椅子にもたれかかった。
「自分がどうしたいのか、か……」
これからどうすればいいのかはわからない。でも自分がどうしたいのか。そんなの、考えるまでもなく答えは決まっていた。
――明日、先輩とちゃんと話そう。
そう決めたあたしは、せっかくだし、と追加でケーキを注文する。
感じていた肩身の狭さは、いつの間にかなくなっていた。
「藤村さん、なんか一年生の子が呼んでるんだけど」
昼休み。亜里沙と一緒に購買で買ってきた昼ご飯を食べようとしていると、クラスメイトの女子にそう声を掛けられて、あたしは教室の入り口を見た。
一年生、と言われて猛烈に嫌な予感がしたが、その予感は正しく、こちらを見つけてひらひらと笑顔で手を振るあの女の子が廊下にいた。思わず亜里沙に視線を送る。誰に呼ばれたのか察した亜里沙は肩を竦め、
「いや、私を見られても。まっ、骨は拾ってあげるから、やりあってきたら」
そう言って一人パンにかぶりついた。
入り口に背を向け、目を閉じて深呼吸をしてから、あたしは廊下へ出た。行き交う生徒も多く、昼休みの喧騒が教室にいる時よりも一段と大きく聞こえた。
女の子はあたしを見ると、手に持っていた恐らく弁当袋であろう物を掲げ、
「先輩、良かったら一緒にお昼食べませんか?」
「……なんであたしと?」
「なんで、って、先輩と仲良くなりたいからですよ。せっかく私もパソコン研究会入ったのに、先輩あれからパソコン研究会来てないじゃないですか。私のせいだったら申し訳ないなと思いまして。賢に……野木先輩も寂しがってましたよ」
パソ研に入ったんだと知って、心がズキリと痛む。それと同時に、先輩が寂しがっていたと言われて、本当かどうかわからないのにも関わらず、嬉しく思うあたしもいた。
「……だめですか?」
おそるおそる、といった感じの上目遣いで見られる。その様子に思う。もしかして、あたしが勘違いしていただけで、本当はいい子なのかもしれない。
あたしは後輩の申し出に頷くことにしたのだった。
* * * * * *
「藤村さんなら、さっき一年生の子に呼ばれて一緒にどっか行っちゃいましたよ」
昼休み。賢斗はちゃんと会って話そうと、意を決して二年生の教室に来てみたものの肝心の彩華がおらず、空振りに終わっていた。答えてくれた女子にありがとう、とお礼を言い、賢斗は踵を返す。
――一年生の子って誰だろう。
一年生、と聞いて真っ先に頭に浮かんだのは志乃の顔だった。まさかな、と賢斗はその考えを振り払おうとするが、振り払えない。自分の与り知らぬところで何かが起きている気がする。まずい予感がする。
どこへ行ったのか。さっき、というからにはまだそこまで遠くへは行っていないはず。走れば追い付けるかもしれない。
もし志乃と一緒なら、向かう先は恐らく部室。そう考えて賢斗は走り出――
「――ぐぇっ」
――そうとして、学ランのカラーを後ろから引っ掴まれて賢斗は急停止させられた。襟が首に食い込んで変な声が出た。
「廊下は走っちゃだめですよ、野木先輩」
誰だこんなことをするのは、と振り返った賢斗は、何度か見たことのある顔をそこに認めた。彩華の友達で亜里沙、と呼ばれていた気がする。自分とほぼ同じ目線の高さに加え、顔が近いせいもあって、気圧された賢斗は言葉に詰まる。
亜里沙は手に持った牛乳を一口吸い、
「彩華に会いに来たんですか?」
そう、賢斗の目をまっすぐ見て言った。ものすごい美人に至近距離から見つめられて、思わず目を逸らしそうになる賢斗だったが、何かを試されている気がして堪えて見つめ返して、頷いた。
「……野木先輩、ちょっと訊きたいことがあるんですけど」
でもここじゃまずいからちょっと場所を変えましょう、と亜里沙に言われ、返答を聞かずに歩き出したその背中を、賢斗は追った。
賢斗が連れてこられたのは屋上へ出るドア、その手前の踊り場だった。屋上は原則立ち入り禁止のため、もちろんドアには鍵がかかっている。その上、薄暗く埃っぽい場所なので誰も来ない。内緒話するにはもってこいの場所だった。
とりあえず、と亜里沙は壁にもたれながら口を開いた。
「単刀直入に訊きます。野木先輩は彩華のこと、どう思ってるんですか」
本当に単刀直入だった。真剣な表情と落ち着いた声色から茶化すつもりではないようで、賢斗は真面目に返答することにする。
「好きだよ。藤村はどう思っているか知らないけど」
賢斗の答えを聞いて、ひゅぅ、と亜里沙が口笛を鳴らした。
「へぇ……潔いですね、野木先輩。ちょっと見直しました」
何をどう見直されたのかはわからないが、返答には満足してもらえたようだ。
次、と亜里沙は再び賢斗に問いかける。
「先輩がパソ研に連れてきた女の子って誰なんですか? 彼女?」
亜里沙にここに連れてこられた時点で察したが、やはり彩華から色々聞いているらしい。賢斗はまさか、と首を横に振る。
「ただの幼馴染だよ。って言っても、ここ何年か会ってなかったけど」
「――何年も会ってなかった幼馴染に抱き着かれて嬉しかったんですか?」
何かを窺うような鋭い眼差しで、亜里沙は賢斗を射竦める。美人がするそんな表情に少し恐怖を覚えつつも、賢斗は正直に答える。
「そりゃ嬉しくなくはなかったよ、久しぶりに会った幼馴染なんだし。でも、僕にとって志乃は妹みたいなものだから。それ以上の感情はないよ」
その返答に、亜里沙はなんとも言えない微妙な顔をした。妹みたいなもの、ね。と呟く声が聞こえた。
「ふーん……まっ、正直に言ったことに免じて、今はその言葉を信じてあげます」
もう訊きたいことは聞いたとばかりに壁から背を剥がし、亜里沙は階段へと向かう。階段に足をかけたところで賢斗を肩越しに見やり、
「彩華を泣かせるようなことになったら、あたし許しませんから」
そう言い残して、亜里沙は階段を下りて行った。
――あ、そうそう。彩華ならその幼馴染ちゃんと一緒に部室でご飯食べてるはずですよ。
階段の下から亜里沙に教えられ、賢斗は部室棟の階段を駆け上がっていた。
息を切らして上り切り廊下に出る。部室の前まで辿り着き、ドアを開けようとしたその時、ドアが急に開いて賢斗は身体に衝撃を受けた。勢いがそこまで強くなかったので、どうにか踏み止まる。
「――ぇ、」
「ふ、藤村……?」
ぶつかってきたのは彩華だった。彩華は、ぶつかったのが賢斗だと知るや否や、顔を背けて脱兎の如く階段を駆け下りていった。
――今の、泣いてなかったか?
目元と頬が濡れていた気がする。志乃と何かあったのか。今になってまずい予感がぶり返してくる。
今度こそ追いかけようとした賢斗の背中に、
「あ、賢にぃだ。どうしたの?」
志乃の声が投げかけられた。振り返ると、志乃が弁当袋と部室のカギを手に持って廊下に出てきていた。その様子に変わったところはどこにもない。志乃は部室にカギをかけると、やおら賢斗に抱き着いた。
「ちょっ――」
先ほどの亜里沙との会話が思い起こされ、慌てた賢斗が振り払おうとする前に、志乃が自ら身体を離した。
「えへへー、賢にぃ分補充ー。これでお昼からも頑張れそうだよ」
そう言ってにこやかに笑う志乃に、賢斗は何も言えない。
志乃に気を取られて時間が経ってしまったが、今からでも追いかけよう、そう思った賢斗の耳に、昼休み終了残り五分のチャイムが届いた。
「あ、予鈴だ。賢にぃ、戻ろ? 授業遅れちゃう」
その場に立ち尽くしたままの賢斗は、せめて何があったかだけでも訊いておこうと、歩き始めた志乃に声を掛けた。
「部室で、二人で何してたの?」
立ち止まり反転、
「お昼一緒に食べてただけだよ?」
かくん、と可愛らしく志乃は小首をかしげる。本当にそれだけしかなかったかのようなその仕草。でもそれだと彩華が飛び出していった説明がつかない。
賢斗がその疑問を口にすると、
「、先輩、五限目体育なんだって。着替えないといけないから急いでたんじゃない?」
鍵返さないといけないしもう行かないと、と志乃は先へ行ってしまう。一人残された賢斗は、先ほどの彩華の様子が頭から離れず、その場から動けない。うまく誤魔化された気がするが、やはり何かあったと見て間違いない。志乃に気を取られず、追いかけるべきだった。臍を噛む。
せめて、と賢斗は学ランのポケットからスマホを取り出す。
『会って話がしたい。放課後、教室に行くから待ってて』
彩華にそうメッセージを送り、賢斗は足早に教室へ戻るのであった。
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