第1話

 ――その時のことは今でもよく覚えている。

 受験生だから幽霊部員になるつもりだという先輩と、僕だけしかパソ研にいなかった新2年生の春。春休みも残すところあとわずかという時に、そんなわけでお前に任せるわー、と部活紹介が突如僕に投げられて、先輩がやると思っていたので何の用意もしておらず、日もなくてろくに準備もできず。

 迎えた部活紹介では当然失敗して。部室で一人、これからどうしようかと暗くなっていたあの日。

 部室のドアが控えめにノックされ、開けた先にいた女子は、今まで僕が交遊関係を持ったことのない種別の女の子のように最初は思えた。だって、背中まで流れてる髪は明るい茶色に染められていたし、スカートはそれ見えちゃわない? というくらい短かったし、右耳の軟骨部分にはピアスが付けられていたし。顔も化粧っけが感じられるほどしっかりと整えられていて、美人だな、とは思ったものの、半端ない目力の前に少しびびったのを覚えている。香水なのか、いい香りがしたものの、ちょっときつかった。

 第一印象がとにかく強烈で、なぜこんな派手な女子がこんなオタク向けな同好会に、と戦慄いていると女子が、

「野木 賢斗先輩っすよね?」

 と、ぶっきらぼうに僕の名前を呼んだ。なぜ名前を知っているのか疑問を口に出すと、

「いや、さっき部活紹介で名乗ってたじゃないっすか」

 とのことだった。正直、部活紹介で何を喋ったのかなど記憶になく、そうなのか、としか思わなかった。

 女子はパソ研の人員や活動内容を訊き、もはや誰でもいいこの機会を逃してなるものか、とパソ研の置かれている危機的状況を必死に説明したところ、

「入ってもいいっすよ。何もしないっすけど」

 と言われて、それはつまり幽霊部員ということなのかと問うと、首が横に振られた。何もしないのに入るのってどういうことなのか。

「だってあたしパソコンわかんないですし」

 あっけらかんとそう言い放つ女子は、

「先輩は部員増えて廃部回避できてラッキー、あたしは放課後にダラダラできる場所ができてラッキー。ウィンウィンじゃないっすか」

 と言葉を続けた。確かにお互い得しかないように思えて、僕はその申し出を受けることにしたのだったのだが――

「あたし、藤村 彩華っていいます。よろしくお願いするっすよ――先輩」


 ――この無愛想に思える後輩女子とのそれからの日々は、なかなかに筆舌に尽くし難いものがありました……。

 何しろ今まで関わりあいのなかったタイプの女子なので会話が続かない。話題がわからない。一応、姉や幼馴染のおかげで、女子にある程度慣れているとは思っていたのだけど、それは過信なのだと思い知らされた。

 週に何度か部室で顔を合わすものの、後輩は部室に来てはもっぱら携帯を弄るか、雑誌を読むか、勉強をするかで、さほど会話は多くなく。それでも後輩は部室に来なくなるということはなかった。僕もせっかく入ってくれた後輩の居心地が悪くならないように気を遣い、そうやって日々を共に過ごす内にお互いに慣れたのか。普通に話ができるようになった頃には、半年が経過していた。

 無愛想に見えていた態度や表情も、よく見ればどことなく感情が感じられるようになっていて、無愛想なのではなく、気持ちを表に出すのが苦手なだけだと知った。そして、いつしかそんな不器用な後輩に惹かれている自分がいた。

 しかしこの関係が変化してしまうのが怖くて、告白なんてできない。たまに一緒に帰るようになっていたり、休日に(半ば無理矢理)遊びに誘われるようになっていたりとか、嫌われてはいないと思う。けれど一歩踏み出す勇気が出ない。バレンタインにチョコをもらったものの、思いっきり義理って言われたし。お返しに思いきってキャンディを送ってみたけど、その意味もわかってなさそうだし。

 そして気付けば一年が経とうとしていた。幽霊部員だった先輩が卒業してしまったので、最低一人は部員を確保しなければならない。二人きりでなくなるのは正直残念だが、パソ研がなくなって今みたいに部室で顔を合わせられなくなるのはもっと嫌だ。

 そう思って、去年の過ちは繰り返さぬよう、少しは真面目に部活紹介のための準備をしようと、春休みを使ってゲームを作ることにした。普段から作っておけば高校生活最後の春休みを使わなくてもよかったかもしれないけど、そういうことにしておけば春休みに毎日部室にいてもおかしくないし、もしかしたら会えるかもしれないし、という邪な理由もあった。こちらの思惑を知ってか知らずか、後輩は毎日部室に来てくれて、それがとても嬉しかった。

 日に日に想いが強くなっていく中、心の中では『このままぬるま湯みたいに心地よい関係』を望む勢力と、『勇気を出して一歩踏み込んでもっと深い関係』を望む勢力とがせめぎあっていた。今のところ拮抗していて、答えは出ていない。

 後輩――藤村は、僕のことをどう思ってるんだろ。

 ここのところ、そればかり考えている。


   *     *     *     *    *     *


「せんぱーい、きょうもだーれもこないっすねー」

 後輩の彩華が、定位置となっている窓際で暇そうに携帯を弄りながら気の抜けた声で言った。

 今日はまだ四月なのに夏日で、さすがに暑いのか彩華は上着のブレザーを脱いでいて白いブラウス姿だった。スカートは相変わらず短い。うっかり見えてしまいそうで賢斗はいつもハラハラしている。ただし初めて会った時と変わっていないのはそれくらいで、一体どういう心境の変化があったのだろうか、髪は黒くなりピアスも外され、香水の香りはほんのりになったし、化粧っけは感じられなくなった。もともと目付きがきついのか、目力はあまり変わっていないが、それでも今の彩華の方が賢斗は好みだった。今の姿を初めて目にしたとき、思わず見惚れてしまうくらいに。

 そんなだらけた後輩の声に、うん……、と同じく学ランを脱いでいる賢斗は頷く。その返事に覇気は感じられない。

 放課後。文化系部活や同好会の部室がひとまとめにされている部室棟は、新入生の部活見学で賑わっていた。しかし、その賑わいの波はパソ研まで届いていない。それはパソ研の部室が最上階の角部屋であること(しかも隣は空き部屋である)も理由の一つだったが、それよりも決定的な理由が――

 彩華は携帯から顔を上げると、パソコンの前でうな垂れる賢斗に声をかけた。

「まーまー、そんな落ち込まないでくださいよ先輩。運が悪かっただけっすよ」

「あれを運が悪かった、で片付けられるほど、楽観できる状況じゃないでしょ……」

「あたしらの番でプロジェクター壊れちゃっただけじゃないっすか」

「その『だけ』が致命的だったんだよ……」

 ――昨日行われた部活紹介での失敗、である。

 部活紹介ではプロジェクターの使用が認められており、賢斗はそれを用いて、あらかじめ撮っておいた突貫作成のゲームの動画を流すつもりだった。その上でこういう物が作れますよ教えますよ、というアピールをするつもりであったのだが。

 運悪く、パソ研の番でプロジェクターが映らなくなってしまい、使用不可に。突然のことに賢斗は完全にテンパってしまい、与えられた時間でしどろもどろに

部活内容を紹介するだけとなってしまった。賢斗自身、何を喋ったかよく覚えていないのだが、動画を流す役目を頼んで(ジュース三本で手が打たれた)会場内にいた彩華曰く「あたしが思い描くオタクそのものの喋り」とのことだった。

 そしてその結果が、昨日今日と閑古鳥が鳴いているこの状況だ。過ちはまた繰り返されてしまった。

「それでも先輩がちゃんと喋れてればよかったんすよ。あれじゃ男子はともかく、女子は絶対来ませんよ」

「……っ、じゅ、ジュースでも買ってこようかな! 藤村は何がいい?」

「あ、逃げた。……じゃあ牛乳で」

「え、牛乳?」

「別にいいじゃないっすか何飲んだって。最近ハマってるんすよ」

「いや悪いとは言ってないけど……牛乳ね了解」

 財布を持って、賢斗は部室を出た。ラインナップに牛乳が入っている自販機は一階の渡り廊下だ。遠い。

 道すがら他の部や同好会の様子をそれとなく観察していく。人数の多少はあるが、大体どこの部室にも新入生らしき生徒がいて羨ましい。見学に来てくれれば作ったゲームをプレイしてもらって勧誘もできるのに。あまりやりたくはないけど、ビラ配りでもやるべきか。

 次の一手に考えを巡らせつつ、賢斗は自販機に辿り着いた。この渡り廊下の先は武道場で、一階を空手・柔道、二階を剣道・卓球が日替わりで利用している。今日は空手と剣道なのか、それぞれの部の掛け声の残響が聞こえてくる。部室棟からもざわめきが遠く聞こえてきていて、周囲に誰もいないこともあり、一人だけ取り残されたような気分になる。賢斗は武道場の掛け声を懐かしく思いながら、自販機に野口英世を送り込み、紙パックの牛乳とりんごジュースを買う。

 ちゃりん、ちゃりん、とお釣りが出てくるのを待っていると人の気配を感じて、賢斗は武道場の入口を見やった。そこには髪を後ろで二つに結った小柄な女子がいて、武道場から出てくるところであった。暑いのにきっちりブレザーのボタンを止めたその女子は、こちらへと向かって歩いてくる。

 お釣りが全部百円で出てくるという地味な嫌がらせがようやく終わり、賢斗はお釣りを財布へとしまう。そうこうしている間に女子は賢斗の横を通り過ぎ――

「…………あれ、賢にぃ?」

 ――ようとしていた足が止まって、女子の口から問いかけが漏れた。まだあどけなさの残る顔立ちの、賢斗を見るそのぱっちりとした目は、さらに大きく見開かれている。

 ――賢にぃ。

 自分のことをそう呼ぶ女の子に心当たりは一人しかいない。

「……志乃ちゃん?」

 もし違っていたらどうしようかと、恐る恐る記憶に残るその名前を呼ぶ。

 賢斗が名前を呼ぶと志乃ちゃん、と呼ばれた女子は訝しげだった表情を一転、ぱぁっっっと輝かせ、

「やっぱり賢にぃだー! わぁ、久しぶりー!」

 抱き着かんばかりの勢いで賢斗に詰め寄った。記憶にある小柄な体格はそう変わっていないが、一部明らかに成長している部位があり、それが当たってしまっていて、賢斗はやんわりと両肩を掴んで二人の間に空間を作る。その動作に一瞬きょとん、とした志乃だったが、何か思い当たったのか、にやりといたずらな笑みを浮かべ、

「ちょっ――!?」

 ぎゅぅっ、と賢斗に抱き着いた。先ほどよりもしっかりとした感触にさすがに狼狽する。さらに髪からの、鼻先を女の子特有の甘い香りがくすぐり、目の前が少し眩んだのを感じた。

「あれぇ? どうしたの賢にぃ?」

 賢斗の反応を面白がり、志乃はさらに強く抱き着くと、より感触を与えるように、ぐりぐりと上半身を動かした。その衝撃的な柔らかなマシュマロ感に身体の一部分が反応しそうになり、賢斗は慌てて振りほどいて身体を離した。女子と話すことは緊張しないにしても、こういう直接的な刺激にはさすがに耐性がない。

 その様子に傷ついた素振りもなく志乃は、あはは、と屈託なく笑う。

「賢にぃ変わってないね」

「わかってるんならやめてよ……」

「ごめんなさーい、昔のクセでつい」

 つい、で年頃の女の子が抱き着かないでもらいたい。

 昔のクセ、と言われた賢斗の脳裏に、何かと志乃に抱き着かれて恥ずかしがって振りほどいていた、過去の日々が蘇った。あの頃はまだお互い子供でそういうことをしても周囲からは微笑ましく流されていたが、今はそうはいくまい。立派に成長なされたみたいだし。昔とは感触が段違いだった。

 志乃ちゃん――河井 志乃はいわゆる幼馴染で、志乃が中学入学前に隣の市に引っ越していくまでは、家族ぐるみで付き合いがあった。引っ越していった当初こそ連絡を取り合っていたのだが、それもだんだんと少なくなって疎遠になり、志乃がこの高校に入学したことも賢斗は知らなかった。

「それにしても賢にぃ見つけられて良かったよ。お母さんからここに入ったっていうのは聞いてたんだけど、いるかなと思って行った部にはいないし」

「あー、うん、怪我して続けるの辛くなっちゃってさ……」

「怪我!? 怪我って、賢にぃ大丈夫なの!?」

 怪我、という言葉に過敏に反応して、志乃は思わず前のめりになる。賢斗はそれを手で宥めつつ、

「もう何年も前のことだから大丈夫だよ。普通に生活してる分には支障ないしさ」

「そっか、良かった……って、良くはないよね、部活辞めちゃってるんだし」

「どうだろ、あのまま続けてたら勉強しなくてこの高校入ってないだろうし」

 部活を辞めてやることがなくなって、勉強でもするかと思ったおかげで、進学校であるこの高校に入れてるのだから、人生何が起きるかわからない。この高校に入れたおかげで、好きな女の子もできたし。

「じゃあ結果的には良かったのかな? ところで賢にぃ、こんなところで何してたの?」

「あぁジュース買いに来てて」

 そう言いつつ、取り出し口にあるままだったパックを2つ取り出す。

「高校は校内でジュース買えていいよねー。でも、賢にぃって牛乳飲めたっけ?」

 志乃は賢斗が手にした牛乳パックに目をやり、そう指摘する。子供の頃からの付き合いなので、何が苦手なのかは知られている。

「これは部活の後輩の分。ジュース買いに行くって言ったら買ってきてって言われてさ」

 ほんとは部活紹介の手伝いの報酬なのだが、それは黙っておく。しかし結局動画を流せなかったのに、ジュースを奢ることになっているのは何か釈然としない。

「部活? 賢にぃ今何か部活してるの?」

「正確には部じゃなくて同好会だけどね。パソコン研究会。っていうか昨日の部活紹介に出てたんだけど……」

「昨日はちょっと……体調悪くて休んでたから」

「そっか。もう大丈夫なの?」

「うん。お腹痛かっただけだから。心配してくれてありがと、賢にぃ。そういうとこ、変わってなくて安心した」

 えへへ、と記憶に残っているのと同じ笑顔を見せる志乃を見て、昔から活発で生傷が絶えなかったことを賢斗は思い出す。その主な原因が自分の姉だったということもあって、よく志乃のことを慮っていた。やたら懐かれていたのはそのせいかもしれない。

「賢にぃいるんだったら私もそのパソコン研究会? 入ろっかなー。ね、ね、今から部室行ってもいい?」

 しめた、と賢斗は内心ガッツポーズする。志乃に入ってもらえば勧誘活動をする必要がなくなる。さらに全く知らない生徒が入ってくるより断然気楽だ。そう思って、志乃のその提案に二つ返事で首を縦に振った。

「やった。じゃあ賢にぃ、部室まで案内よろしくね」

「了解……と、その前に。志乃ちゃんもジュースどうぞ」

 部室に戻っても志乃だけジュースがないのはさすがに気まずいだろうと、自販機に硬貨を滑り込ませながら言った。

「いいの? ……じゃあ遠慮なくいただきます」

 目下の懸案事項が解決しそうなのだ。ジュース一本くらい何ともありません。

 やや間があってから、志乃が押したのは牛乳だった。

「志乃ちゃんも牛乳? え、なに、実は女子の間で牛乳流行ってたりするの?」

 彩華もそうだったため、ついそんな疑問が賢斗の口から零れた。

「え、そんなことはないと思うけど……ふーん、そっかぁ、賢にぃに牛乳頼んだ後輩って女の子なんだ……これは何がなんでも部室にお邪魔しないと……」

 何かまずいことを言ったのだろうか。志乃が何やら暗い笑みを浮かべてぶつぶつ言っているのを見て、賢斗は首を傾げた。お邪魔とかなんとか聞こえたような。

 パック牛乳を自販機から取り出すと、志乃は賢斗の腕に抱きつき必要以上に身体を寄せた。柔らかい感触と甘い香りに賢斗が戸惑って何か言うべきか思案していると、

「ほら、早く行くよ、賢にぃ」

 有無を言わさぬ強い口調の志乃に引っ張られ、その様子に戦いた賢斗は結局何も言えず、部室への道を戻り始めるのだった。

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