第14話 平凡で非凡な人生
わたしは小学生の時に通っていた学校の図書室に来ていた。
「あ、あのあの。ごご、ごめんください!」
受付の席に座っている図書室の先生が、怪訝な表情でわたしを見つめてくる。
わたしの心臓は、破裂しそうなくらいバクバク鳴っている。こんなに緊張するのは、生まれて初めての経験かもしれない。
「こ、これ……ずっと返し忘れてました! ごめんなさい‼」
わたしはその本を差し出して、大きく頭を下げた。
「……わざわざありがとうございます」
「いえ! それでは‼」
わたしは逃げるようにその場を去った。
学校の外に出て、ようやくまともに呼吸ができるくらいには、落ち着きを取り戻すことができた。
小学校に行って借りパクしていた本を返す。
それが、明日崩壊してしまうかもしれないこの世界でやり残したことだなんて、つくづく平凡な人生を生きてきたものだ。
「終わった?」
校庭で待ってくれていた隆君に、わたしはうなずいた。
すると、以前わたしを吸いこんだものと同じ宇宙船が、どこからともなく飛来する。
「姉さんは変わらないね。今も昔も、純粋そのものだ」
「みんなは違うの?」
「そうだね。僕の知ってる人は、みんな違うね」
じゃあ斎藤君はどうなのだろう。
斎藤君は、子供の頃から変わらないのだろうか。子供の頃に感じた世界に対する恨みは、ずっと変わらずあり続けるのだろうか。
宇宙船の中に戻ると、既にみんなは各々の準備を始めていた。
あれから、斎藤君が扉を復活させる時間を割り出したわたしたちは、斎藤君が現れる瞬間を狙って彼を確保するという作戦を考えついた。
非常に危うい作戦で、それだけに危険が伴う。
みんなからはわたしは避難しろと言われたが、ここまで来てのけ者にされるつもりはない。わたしだって、何かできることがあるはずだ。
「都内で地震の発生を観測。いよいよって感じだな」
おじさんがコンソールを前に、他人事のようにつぶやいた。
結局、地震と斎藤君の関与についてはわからずじまいだ。
隆君が言うには、斎藤君の何らかの力に反応して、吸い寄せられているんじゃないかという話だけど。
もしもそうだとしたら、斎藤君にはまだ、わたしたちが考えている以上の算段があるのかもしれない。
みんなが忙しそうにしている中、わたしも最後に、思い残していたことを実行するためにスマホを起動した。
ツイッターを起動し、猫姫ちゃんに向けたダイレクトメールを開いた。
『わたしは以前、猫姫ちゃんがなかなか動画を出してくれないことが寂しくて、猫姫ちゃんを非難するようなことを言ってしまいました。とても反省しています。でも今は、人には人の事情があるんだとちゃんと理解しています。今からわたしは、そのことを大切な人に伝えに行こうと思います。場合によっては、もう猫姫ちゃんの動画を観ることができないかもしれません。しかしそれでも、わたしは猫姫ちゃんのことが大好きだし、いつでも応援しています。これからもがんばってください』
わたしはその長いダイレクトメールを送信した。
これでもう、思い残すことは何もない。
斎藤君を止めるために、全力を尽くすだけだ。
「おーい、リカ。作戦会議始めるぞー」
「はーい!」
わたしは元気に返事をし、会議室に向かった。
◇◇◇
その作戦会議には、いつもの五人が集まっていた。
女神様はこの場にはいない。有事の際には異世界で陣頭指揮をとらなければならないという理由だった。
「これから作戦の最終確認に入る」
隆君がみんなを代表して言った。
「最初に話した通り、斎藤陽一は今日の午後6時13分に扉を復旧させるために姿を現す。僕達はそれを待ち伏せて、一気に叩くという作戦だ」
みんなの顔が、緊張で強張っているのがわかる。
失敗したら世界が崩壊するような重要な任務なのだ。そうなるのも当然といえる。
「相手は斎藤陽一。それも三つの世界を形作った化け物じみた力まで持っている。まともに戦って勝てる相手じゃない。だから少数精鋭で奇襲をかける」
わたしは手元にあるスクリーンをタップしてページをめくった。
「ええと……、クミちゃんと隆君だけ? ちょっと少なすぎない?」
「いや、下手に力不足の人間を置いても人質に取られるだけだ」
「本来なら人質ごとぶっ殺すところだけど、変に他世界の奴を見殺しにすると政治問題に発展しかねないからね。まあ仕方ない」
さらっとすごいことを言ってのけるのがクミちゃんクオリティだ。
「じゃあわたしたちは?」
「バドは僕達の補佐をしてもらう。他はまぁ、待機かな」
世界の存亡を賭けた戦いでわたしにできること。それは待機だった。
「お、おーけーおーけー! わたしに任せて! わたし、待機は得意だから!」
「むしろ苦手な人間がいるなら見てみたいです」
自分が何か、とてつもなく重要な立場にいると勘違いしていたわたしにとって、今のこの状況は、穴があったら入りたくなるくらい恥ずかしかった。
「なんだぁ? 仕事したいのか? だったら俺の分を分けてやってもいいぜ」
「バド。サボッたら殺すぞ」
隆君の睨みに、おじさんは肩をすくめてみせた。
◇◇◇
「リカさん」
会議が終わり、どんよりと落ち込んでいると、レンちゃんが声をかけてきてくれた。
「その……元気だしてください。待機なのは私も同じですし、これだって立派な仕事です。何かあった時に動けるのは私達だけなんですから、しっかりしないといけないですよ」
「レンちゃん……。そうだよね。待機も立派な仕事だよね!」
レンちゃんの言葉で、一気にやる気が出た。
「それに、リカさんができないのは当たり前です。元々、いきなり巻き込まれた一般人なんですから。……私と違って」
わたしは目をぱちくりした。
レンちゃんの声は、いつにも増して沈んでいた。
「これでも、異世界ではけっこう頑張ってきたんですけどね。朝から晩まで勉強と訓練に時間を費やして、努力して。それでも、こういう重要な局面では何もできないでいる。……自分が恥ずかしいです。結局、私がやってきたことなんて──」
わたしはがしりとレンちゃんの両肩を掴んだ。
「レンちゃん。アイス好き?」
「へ?」
「今度一緒に食べに行こう! すっごくおいしいアイスクリーム屋があるの」
レンちゃんはぽかんとしていた。
「今ここにいるのはレンちゃんの実力でしょ。ここにいなきゃ、そのアイスクリーム屋のことも一生知らなかった。そう思ったら、がんばってきてよかったなって思わない?」
レンちゃんは、ぷっと吹き出した。
「今までの努力による収穫が、アイスクリーム屋一つですか」
「でもでも! それくらいおいしいの! 本当に人生変わるから‼」
「そうですね。楽しみにしておきます」
レンちゃんの顔に笑顔が戻った。
どうやら元気になってくれたようだ。
「そういえば、あの二人は大丈夫なんですか?」
そう言って、レンちゃんはクミちゃんと隆君を指さした。
「一番重要な役ですけど、協力し合えるとは思えませんです」
……確かにその通りだ。
任務中に喧嘩でもされたら、全てが無駄になりかねない。
わたしが声をかけようか迷っていると、ふいにクミちゃんが隆君に歩み寄った。
「ところで、お前のことはどう呼べばいいんだ?」
「……本名はクオだ」
「隆君と呼んでいいのはリカだけってか?」
隆君がじろりとクミちゃんを睨む。
フォローした方がいいのかと、わたしはやきもきしていた。
「冗談だよ、冗談」
「何か用が?」
隆君はため息交じりに言った。
「いや? ただ、部下に苦労させられてるなと思って」
「バドは優秀な癖に壊滅的に気が利かない」
「上司に合わせて仕事をするってことを理解しない奴らばかりだ」
隆君が苦笑する。
「本当にね」
心なしか、隆君が心を開いているような気がする。
こういう話をする相手が今までいなかったのかもしれない。
「ただまあ、馬鹿なことはするが馬鹿じゃないから、そこは安心してくれていい」
「誉めてるのか貶してるのか分からないな」
「どっちでもない。客観的な評価だ」
「ところで敬語」
隆君が苦虫をかみ殺したような顔をする。
クミちゃんが、ふっと笑った。
「これも冗談だ。本番は足引っ張るなよ」
「……こっちのセリフだ」
吐き捨てるようなセリフだけど、隆君の顔はやる気に満ち満ちている。
どうやら二人も、うまくやっていけそうだ。
これでもう心配事はない。
ふいに、ぴろんと音がした。
わたしのスマホが鳴ったのだ。
何の気なしに起動して、わたしは驚愕した。
「ああーー‼」
全員が驚いてこちらを見る。
「ど、どうしたです⁉ 何かあったですか⁉」
「ね、猫姫ちゃんが……猫姫ちゃんが、わたしをフォローしてくれてる……!」
わたしのスマホには、『猫姫さんがフォローしました』という通知と、猫姫ちゃんからのダイレクトメールが表示されていた。
『こちらこそ、いつも投稿頻度が遅くてごめんね。今、高卒認定を取って大学に行こうと思ってがんばってるところなので、あなたの話は他人事に思えなくて、こうしてメールさせてもらいました。状況はよく分からないけど、うまく乗り越えて欲しいな。そしてまた、私の動画を観て欲しいと思ってます。ピンチのピンチはチャンスだと思ってがんばって。それじゃあね。猫姫ちゃんからの応援メールでした♪』
スマホを持つ手が震える。
猫姫ちゃんから送られてきたメールを一字一句確認している今も、幻覚を見ているんじゃないかと思えてきてしまう。
猫姫ちゃんが、わたしのためだけに書いてくれた文章。
そう思っただけで、涙がこみあげてくるほどうれしくなる。
「か、感激だよ~!」
この想いを誰かに伝えたい。
そう思って周りを見ると、みんなが白い目でわたしを見ていた。
「はぁ……リカさんはあいかわらずですね」
「ま、姉さんらしくていいんじゃないかな」
どうやらみんなとわたしの間で、かなりの温度差があるらしかった。
「リカ」
クミちゃんがにっこりと笑いながら言った。
「な、なに?」
「後でシメる」
「えぇ~⁉」
そんなぁ。
わたしはただ、喜びをみんなで噛みしめたかっただけなのに……。
「おーい。馬鹿な話してる間に、例のポイントに到着したぜ」
おじさんの言葉で、みんなの顔が一斉に引き締まる。
こう見えて、わたし以外は世界でもトップクラスの凄い人達だ。
臨戦態勢に入っただけで、周りの空気まで変わった気がする。
「さて、じゃあ行きますか」
スクリーンが浮かび上がり、そこにはわたしが通い慣れた高校が映し出された。
既に避難が完了して誰もいない学校は、それだけでなんだかいつもと違う感じがする。
思えば、果てしなく長い道のりだった。
斎藤君に告白したかと思えば急にいなくなり、宇宙人に出会い、魔法少女に出会い、あれよあれよと言う間に、こんな世界存亡の危機に巻き込まれた。
未だ現実味の無い体験ばかりで、以前と比べてはっきりと何かが変わったという自覚はない。
けれど、わたしは変わりたいと思った。
世界のこととか、斎藤君のこととか。
そういう誰かのことを、ちゃんと考えられる人間になりたいと思った。
だから……
「待ってて斎藤君。わたしが、きっと止めてみせるから!」
わたしは決意を新たに、全力で待機することを心に決めた。
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