第12話 大喧嘩の行く末


「へんし──ぶっ!」


魔法少女の姿に変身すると同時に、クミちゃんの膝がわたしの顔面を直撃した。

普通だったら鼻血を吹き出すところだけど、変身がなんとか間に合ってくれたので、大事には至らなかった。

しかしそれでも、痛いものは痛い。

わたしは鼻を押さえながら叫んだ。


「ちょっと! 今変身中!」

「だから?」

「マナーを守って‼」

「死ね」


クミちゃんが突進してきた。


「ひええぇ‼ 話が通じないよ~‼」


わたしは脱兎の如く逃げ出した。

しかしこれは逃走ではない。戦略的撤退だ。

こういう状況になった時のレクチャーは、隆君から受けてある。

わたしは近くにあったパイプ階段の手すりに足をかけた。


「とうっ!」


ぐるんと回転しながら後ろへ飛び、その勢いでクミちゃんに蹴りを放つ。


「魔法少女キ──」

「アンタさ。キックするたびにパンツ見えてるよ」

「え⁉」


思わず動きを止めてしまった。


「うそ」


クミちゃんの長い脚がわたしの肩に直撃したかと思うと、まるで自動車に撥ねられたかのように吹き飛ばされた。

地面をバウンドしながら転がり、わたしは思わずうなった。


「ひ、卑怯者~!」


擦り傷ができた時みたいに全身がヒリヒリするし、蹴られた肩もズキズキする。

あまりの痛さに、じんわりと涙がこみあげてきた。

小学生の時、隣の席に座っていたガキ大将の山田君に、何かと小突かれていた時の惨めさを思い出した。


「泣いて詫びをいれるなら、許してやらんでもない」


クミちゃんのその一言で、涙が引っ込んだ。

キッと渾身の力でクミちゃんを睨み、わたしは立ち上がった。


「ぜんぜん痛くないもんね! クミちゃん、けっこう弱っちくない⁉」

「そ。なら今度は全力でやらせてもらう」


クミちゃんの指がごきりと鳴る。

わたしの顔から血の気が引いていくのが、自分でも分かった。


「ひえええぇ‼」


再びわたしは逃げ出した。

ドゴンドガンと、後ろから人間の出す音とは思えない豪音が鳴り響いている。


『姉さん』


ふいに、頭の中に隆君の声が聞こえてきた。

ここにくる時に教えてもらった、魔法を使ったテレパシーだ。


「あ、隆君⁉ どうしたの?」

『いや。このままだと負けるだろうなと思って』


そんなことない……とは言えなかった。


『この状況でも、僕達の手は借りないんだね?』


わたしは少し迷ったが、すぐにうなずいた。


「うん。それをやっちゃったら意味がないと思うから」

『……分かった。まあこっちも、組織の連中と戦闘になっちゃってて、手助けしようにもできない状態なんだけどね。しばらく連絡できないと思うけど、一つだけ、あの強化骨格を打ち破れるかもしれない方法を話しておくよ』


隆君の説明はとても簡潔で、馬鹿なわたしでもよく理解できた。


「作戦タイムか? まあ待たないけどな」


ふいに、そんな声が上空から聞こえてくる。

わたしが見上げると、そこには既にクミちゃんの姿はなかった。

クミちゃんの代わりにいたのは、大量の鉄柱だった。

わたしはあんぐりと口を開ける。

当然それらは、重力に従ってわたしの方へと降り注いだ。


「ふおおお⁉」


踵を返して逃げ出すも、鉄柱達は容赦なく降りかかる。

わたしの真横に突き刺さり、目の前に突き刺さり、ありとあらゆる場所にランダムに降りかかる。

もはやどう避けようかなどと考える余裕もなく、がむしゃらに走り回って鉄柱の雨を避け続けた。



最後の一本が地面に突き刺さった時、わたしは既にクタクタだった。

あれだけの数の鉄柱を全て避けられたのは奇跡に近い。

その達成感で、思わずその場にへたり込む。

そしてその時、突き刺さった一本の鉄柱に腰掛けるクミちゃんと、目がった。


にこりと、クミちゃんは笑顔を向ける。

わたしも、遅ればせながら、引きつった笑みを浮かべた。

クミちゃんは瞬時にわたしへと肉薄し、首を掴んだ。


「捕まえた」


クミちゃんの手は、容赦なくわたしの首を締め上げる。

頭がぼーっとしてきた。

徹夜で猫姫ちゃん動画を漁った翌日の授業の時みたいに、眠くて仕方がない。

いつもなら欲求に従ってぐうすか寝るところだけど、今回ばかりはそうも言っていられない。

さっき隆君から聞いた話を思い出す。

わたしは渾身の力を振り絞った。


「魔法……少女……」

「懲りずにまたキックか? 相変わらず物覚えが悪いな。前に一度防いでやっただろ」

「それは……お互い、様!」


わたしは隆君に言われたように、自分の両足に力を込めた。


「魔法少女……ダブルキーック‼」


わたしはそれを、クミちゃん……ではなく、自分の足と足にぶつけた。

その瞬間、一瞬辺りが眩しく光ったかと思うと、轟音と共に身体が一気に吹き飛んだ。

魔力と魔力をぶつけた爆発は、聞いていた以上に凄まじい威力を発揮した。

ゴツンと、壁に頭をぶつけて、わたしは止まった。

あまりの衝撃で変身が解けてしまっていたので、驚くほどに痛い。


どうやらわたしは、爆発の衝撃で工事用の足場にまで吹き飛ばされたようだ。

下を覗くと、地面までかなりの高さがあることが窺える。

吹き飛んだ場所次第では死んでいた可能性があるなと冷静に思い、一拍置いてからぞぞぞっと背筋が寒くなった。


そういえば、クミちゃんはどうなったんだろう。

強大な粒子爆発はヘリックス粒子を消滅させる効果を持つと、隆君は言っていたけど。


カツン


そんな音がして、わたしは思わず横を向いた。

そこにはクミちゃんがいた。

強化骨格は解除され、頭からだらだらと血を流している。


「なるほどね。情報爆発で強化骨格を相殺するのが狙いか」


クミちゃんは目を血走らせながら笑った。


「ひょえ⁉」


笑った反動で、ドクドクと出血している。

下手なホラー映画よりよっぽど怖い状況だ。


「……ね、ねぇ。もう勝負はついたよね?」

「あー……」


クミちゃんはふらふらしている。

まるで酩酊状態だ。割と危ない状況なんじゃないかと思うんだけど。


「そう思ったけど、やめた」

「え?」

「アンタの態度を見て、やめた」


クミちゃんは一歩ずつ、わたしの方へと近づいて来る。


「虫唾が走る。未だにアンタは、誰とでも仲良くできると思ってる。喧嘩しても仲直りできると思ってる。そういうお花畑みたいな頭の中が、憎くてしょうがない」


わたしは黙って、クミちゃんの話を聞いていた。


「人は誰だって、他人なんかどうでもいいと思ってるんだよ。自分さえよければそれでいい。自分の利益に合致しているようなら仲良くしてやってもいい。本来、人間関係ってのはそうやってできてるんだ。他人が何を考えてるかなんて、みんなどうでもいいんだよ」


わたしはその言葉を否定できなかった。

だって、わたしもそうだったから。

ただの一目ぼれで斎藤君に恋をして、ただ誰かと喧嘩したくないから仲良くなって。

でもそれは、本当にその人のことを想ってるわけじゃない。

そんなことすら、わたしは分かっていなかった。


「わたし、クミちゃんに謝らないといけない。わたしって馬鹿だから、そうとは知らず、ずっとクミちゃんの言うように生きて来たんだと思う。クミちゃんが本当は何を考えてたのかとか、隆君がどういう気持ちでわたしと接してくれてたのかとか、何も考えてなかった」


きっと、本当にみんなのことを考えていたら、こんなことになる前に気付けたはずだ。

斎藤君のことをちゃんと見ていたら。こんなことになる前に、止められたはずだ。


「クミちゃんが言ってること、ぜんぶ正しいよ。わたしは馬鹿だし、卑怯だし、臆病者で、何もしなくても、みんながにこにこ笑って暮らせたらいいなって、勝手に思ってるだけの人間だよ」


クミちゃんが、再び一歩、こちらに近づく。

その瞬間、ガチャンと音がして、クミちゃんがいる足場がいきなり崩れた。

さっきの爆発の衝撃でガタがきていたのだ。

クミちゃんの身体が地面へと落下する。

わたしは咄嗟に身を乗り出し、クミちゃんの手を掴んだ。

宙づりの状態で、クミちゃんはこちらを見上げている。


「でもわたしは! やっぱりあきらめられない! みんながにこにこ笑って暮らせたら、それが一番でしょ⁉ だからこれからは、わたしがんばるから! 馬鹿も卒業するし、みんなの話もちゃんと聞くし。世界のこととか、難しいけどちゃんと考える! だからクミちゃん、仲直りしてよ。また一緒に、笑いながらお話しようよ」


少しずつ、クミちゃんの重さに負けて、わたしの身体が引きずられていく。

それでもわたしは、懸命にクミちゃんの手を掴んでいた。

ようやく掴めたこの手だけは、絶対離しちゃいけない。

だってわたしは、誰が何と言おうと、クミちゃんの親友なんだ。


「……アンタ、本当に馬鹿だな」

「そんなの、言われなくてもわかってる」


わたしの上半身が、既に宙に浮いている。

このままだと二人とも落ちてしまう。

そんな危機的状況なのに、クミちゃんは冷静だった。


「手を離しな」

「な、何言ってるの⁉ そんなのダメだよ‼」

「リカ」


クミちゃんは、まっすぐわたしの目を見つめた。


「大丈夫だから、手を離しな」


その優しい目を見て、わたしは思わず手を離してしまった。

クミちゃんの身体が落下する。

足場が落ちた時の衝撃で、近くに掴めるようなものはない。

終わった。

そう思った時、クミちゃんが身体をぐるんと回転させた。

根元から折れてしまっている鉄パイプを見つけると、そこに自分の手首を思い切り突き刺した。


「いったぁ‼」


思わずわたしが叫んでしまった。

しかし当のクミちゃんは顔色一つ変えず、刺さった手首を軸に、あれよあれよと言う間に登って来て、軽々と跳躍しながらわたしのいる足場に着地した。


「すご……」


思わずわたしはそうつぶやいた。

クミちゃんは髪をかき上げると、ぐいとわたしの胸ぐらをつかんだ。


「アンタは馬鹿だ。……でも私は、何が悪いかを分かっていながら、それを変えようともしない大馬鹿野郎だ」


わたしは驚いて、目をぱちくりさせていた。


「本当はみんな知ってる。互いに理解し合える世界の方がいい。みんなが笑って暮らせた方がいいに決まってる。でもそれをするには、誰かに裏切られたり、苦しい思いをし続けなくちゃならない。だからみんな、そんな当たり前から逃げるんだ。そんなことできっこないって、周りや自分に言い訳してな」


クミちゃんは手を離した。


「でもリカ。アンタは逃げないって言った。騙されたり、裏切られたりしたにもかかわらず、逃げないと言った。私は逃げたけど、ならせめて、逃げないと言ったアンタを支えてやらなきゃ嘘だろ」


クミちゃんは、わたしの隣にどっかと座った。


「斎藤の件は悪かった。正直、むかついてたんだ。斎藤がリカを巻き込んだこととか、それに気づかず浮かれてたリカとか、本当のことを言えない自分とか、色々なことに」


わたしは放心していた。

にもかかわらず、ぽろぽろと涙が流れていた。

拭っても拭っても、拭いきれないくらいの涙が。


「わたしもごめん。クミちゃんの秘密に気付いてあげられなくて」

「いや、それ気付かれたら私クビだから」

「……そっか」

「まあでも、そう言ってもらえて肩の荷は下りたかな。これでも一応、罪悪感はあったから。ほんのちょっとだけだけどな」


わたしは思わず笑った。

そういう強がりも、クミちゃんらしい。


「でもやっぱり猫姫はニートだと思う」

「もぉ! そんな風に言わないでって言ったでしょ!」


わたしはクミちゃんの手を叩いた。


「いってぇ!」

「あ、ごめん……」


手首に怪我をしていたのを忘れていた。

馬鹿を卒業すると言ったそばから……。


「あーくそ。いってぇ……。涙が出てきた」


クミちゃんがわたしに背を向け、そっと目尻に指を持ってくる。

それを見て、わたしも再び涙がこみあげてきて、思わずクミちゃんに抱きついた。


「だから痛いって言ってるだろ‼」


脳天が割れるかと思うようなチョップを食らわされた。

……どうやら、本当に痛かっただけらしい。


このとてつもない頭への衝撃で、ちょっとは馬鹿が治るといいなと、わたしは思った。


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