第4話 斎藤君が逃げる理由
「うーん……。うーん……」
わたしはダイニングテーブルに突っ伏して唸っていた。
あれから精霊さんに町中を連れ回され、悪霊退治をさせられていたのだ。
眠いし、しんどいし、とにかくテンションだだ下がりだ。
「姉さん、だいじょうぶ? ほら、これでも飲んで」
そう言って、弟の隆(りゅう)君がホットレモンミルクセーキをわたしにくれた。
わたしは両手でマグカップを持ち、ずぞぞと啜る。
たくさん入っているはちみつの甘さが口の中に広がり、ともすればしつこく感じてしまう部分をレモンがうまく中和してくれている。
これを飲むと身体がぽかぽかしてきて、頭も心もリフレッシュできる。
「隆君、ありがと~。すごくおいしいよぉ~」
「どういたしまして」
隆君はわたしの向かいに座り、にこにこしながらこちらを見つめている。
「どうしたの?」
「ううん。姉さんはいつ見てもかわいいなぁと思って」
「えぇ~。急にそんなこと言われたら照れちゃうよぉ」
隆君はとってもイケメンだ。
五つ下とは思えないくらい落ち着いているし、色々なことを知ってるし、頭も良い。
そういえば、どことなく斎藤君に似てるかもしれない。まあ、斎藤君に比べたら、まだまだ甘えん坊だけどね。
「昨日の夜はどこに行ってたの?」
わたしはハッとした。
隆君は、肘をついた状態で、掌に顎を乗せている。
だらだらと、冷や汗が流れてきた。
そうなのだ。
隆君はすごく良い子で、いつも優しくしてくれるけど、時々ママとパパに密偵を頼まれている時があるのだ。
今回も、きっと二人からわたしの動向を探るように言われているに違いない。
「べ、別になんでもないよ?」
ちょっとだけ、声が上ずってしまった。
「姉さん。僕は姉さんをいじめようと思って言ってるんじゃない。心配して言ってるんだよ」
なんて優しい弟なんだろう。
わたしはついついほだされて、本当のことが口から出てきてしまった。
「だってね。斎藤君がいなくなっちゃったから、心配で──」
「斎藤君?」
隆君の声が、険のあるものに変わった。
わたしが斎藤君の話をすると、いつも隆君は不機嫌な顔になる。
「う、うん。行方不明なんだって。わたしも恋人として心配だし──」
ガタン! と、椅子が動く音がした。
隆君はにこにこ笑っているが、いつもより顔が強張っているような気がする。
「恋人? いつの間にそんなことになってたの? 僕、何も聞いてないんだけどな」
「う、うん……ごめん」
なんだか隆君が怖い。
笑顔なのに、超怖い。
「つ、つい昨日のことだから。それに斎藤君、わたしと一緒に帰ってからすぐにいなくなっちゃったし……」
「……じゃあ何もしてないわけだね?」
「なにもって?」
わたしは首を傾げた。
「いや、なんでもないよ。それより、姉さんはその斎藤とかいう奴よりも自分の心配をした方がいい。真夜中に女の子が一人で出歩いて、何かあったら大変だろ?」
既に何かがあって魔法少女になりました、なんて言えない雰囲気だ。
「う、うん。気を付けるよ」
「姉さんは非の打ち所のない完璧な女性だけど、優し過ぎるという欠点があるからね。斎藤はきっとそこに付け込んだんだろう。ハイエナのように下劣な奴だよ」
誓って言うが、隆君はいつもとても丁寧な言葉遣いで、こんな風に人を悪しざまに言う子じゃない。
きっと今日は虫の居所が悪いのだろう。
「姉さんは小さい頃から天使のような人だった。自分の観たいテレビを我慢して、いつも僕にチャンネルを譲ってくれたのをよく覚えているよ」
「あはは。いいよぉ、それくらい。おかげで昨日は助かったしね」
「おかげで?」
「……ううん。なんでもない」
わたしは首を振って否定すると、椅子から立ち上がった。
これ以上お話していたら、どこかでボロを出しかねない。
「まだ学校まで時間あるし、ちょっとお風呂はいってくるね」
「じゃあ僕も一緒に入ろうかな」
「隆君ったら、もう中学生でしょ? そろそろお姉ちゃん離れしないとダメだよ」
「はははは」
わたしの姿が見えなくなるまで、隆君はじっとわたしを見つめていた。
よっぽどわたしとお風呂に入りたかったに違いない。
隆君は本当に甘えん坊だなぁと、わたしは思った。
◇◇◇
「アンタさぁ。今日はやけに疲れてない?」
学校の教室でお昼ご飯を食べていると、親友のクミちゃんがジュースのストローをくわえながら言ってきた。
「そうかな」
「そうに決まってるでしょ。何回授業中の居眠りを叱られたと思ってんの。いびきとかヤバかったよ」
マジか。
クラス全員に聞かれていたかと思うと、ちょっと……いやかなり恥ずかしい。
「それに、事あるごとに猫姫ちゃんの動画見てるし。それ見るときは大抵落ち込んだり疲れたりしてるときでしょ」
さすがは中学以来の大親友。超するどい。
魔法少女に関することが喉まで出かかったが、結局そこでストップしてしまった。
クミちゃんなら信じてくれるかもしれないけど、あんな訳の分からない世界に親友を巻き込むのは気が引ける。
「ま、なんかよく分からんけど、あんま気を詰め過ぎると良くないぞ。相談したくなったらいつでも言ってくれていいからさ」
わたしは思わず目を潤ませた。
「……なに? 泣いてんの?」
「ううん。わたしって幸せ者だなぁって思って。……抱きついていい?」
クミちゃんは小さくため息をつき、大きく手を広げてみせた。
わたしはクミちゃんの胸に飛び込んだ。
「よしよし。たんとお泣き」
「クミちゃんの胸の中って安心する~。なんだかたくましいっていうか。胸がないからかな」
「あ?」
そのドスの利いた声を聞いて、わたしはすぐさま飛びのいた。
「ごめんなさいなんでもありません」
わたしは深々と頭を下げた。
クミちゃんはさらさらロングヘアーが似合うスーパー美人さんだけど、怒ると超怖いのだ。
「……まあいいけど。んで、リカが悩んでるのは、もしかして斎藤のこと?」
そのものずばりだった。
否定しようにも否定できず、反論の代わりにあんぐりと口を開けてしまう。
「告白してからだっけ。アイツが学校を休んでるの。どうせただの風邪だろうけど、意味深過ぎるよな」
学校では、何故か斎藤君は病欠ということになっている。
もしかしたら、あの黒服さんが何か便宜を図ったのかもしれない。
「何も聞いてないの?」
「う、うん……」
「ふーん。恋人なのに、薄情な奴」
薄情。
確かにそうかもしれない。
恋人になって、デートも満足にしない内に『いろは歌』を盗んで失踪するなんて、薄情以外の何物でもない。
でもそう思うと同時に、じゃあわたしはどうなんだろうという気持ちが湧き上がってくる。
斎藤君と一緒に歩いた、十分程度の帰り道。
わたしは、斎藤君がどんな顔をしていたのか思い出せなかった。
自分のことを喋るのに精いっぱいで。この夢のような現実に一人浮かれていて。
斎藤君は、どうしてわたしと付き合ったんだろう。
どんな顔で、わたしが一生懸命話すことに、相槌を打っていたんだろう。
その時、急に校舎が揺れ始めた。
カタカタと机の上のものが音をたて、天井の蛍光灯が振り子のように小さく動く。
地震だ。そう思った時には、その揺れは収まっていた。
「けっこう大きかったね」
「ま、たぶん大丈夫でしょ」
クミちゃんは余裕の表情でスマホを弄っている。
今時、地震くらいじゃ女子高生でも動じない。
ふと教室の扉を見ると、そこに見知った女の子がいた。
ごしごしと目をこする。
どうやらそれはわたしの幻ではないようで、じっと教室を覗き込んでいる精霊さんが、確かにそこにはいた。
精霊さんは、ちょいちょいとわたしに手招きする。
わたしは慌てて立ち上がった。
「ん? どした?」
「え、え、えっと……さっきの地震の被害状況を調べてくる!」
そう言い残して、わたしは教室を飛び出した。
◇◇◇
「悪霊が出たです」
人のいない屋上まで移動すると、開口一番に精霊さんはそう言った。
「学校に行ってる時は悪霊退治なんてできないって言ったでしょ」
「そう言うと思って、いくつか反応のあった悪霊は私が対応しました。しかし今回はこの学校にいるようなので、ちょうど良いかと思いまして」
「別に移動が面倒くさいから言ってるんじゃないんだよ……」
わたしはげんなりした。
悪霊退治をするのは別に構わないけれど、魔法少女キックはかなり疲れるのだ。
一日にそう何度も多用できないし、一度使用しただけでも、どっと眠気がくる。
「いいですか? 悪霊とは、モノや人に憑りつき文明を食らう化け物です。文明すなわち知性とも言い換えられます。一度暴れ始めれば、人間に直接被害を与えることもあるですよ」
そう言われると、反論しにくいから困る。
魔法少女って大変なんだなと、しみじみ思った。
「分かったよ。倒せばいいんでしょ、倒せば」
「分かればいいです」
仕方なく準備運動をしていると、ふいに精霊さんが声をかけてきた。
「ところでリカさん」
「なに?」
「斎藤さんについてですが、あなたは何か知らないです?」
またその話か。
正直、わたしはうんざりしていた。
「知らないよ。この前も言ったでしょ?」
「あなたのお話で、斎藤さんが警察組織なるものと宇宙人から追われていることは分かりました。しかしそうなると、おかしな話になるです」
「なにが?」
「斎藤さんが何らかの悪事を働いたとしましょう。そうした場合、普通は亡命先に逃げ込むことを考えます。特に斎藤さんは、三つの世界で多大な貢献を残した方なんですよね? 特に交渉する必要もなく、全力で守ってもらえることでしょう。しかし異世界を除いた二つの世界の住人は、斎藤さんを敵対視してしまっている。それも斎藤さんの行動によってです。私の世界に亡命しているなら話は分かりやすいのですが、実際は私達も行方が掴めていない状況です」
わたしは屈伸運動を始めた。
「斎藤さんが何を企んでいるのか分かりませんが、三つの世界から同時に逃げる理由がない。そうは思いませんか?」
「ふむふむ。なるほどなー」
「……ちゃんと理解してます?」
ぎくりとした。
「し、してるしてる! 斎藤君はどこに隠れてるんだろうって話でしょ⁉」
「まあそうなんですけど……」
あぶないあぶない。なんとかごまかせたようだ。
一度話が分からなくなると、意識が遠いお花畑の世界に飛んで行ってしまう癖が、わたしにはあった。
「ところでリカさん。その黒服さんやアルマジロさんが、どうして斎藤さんを追っているのか、詳しいことは何か知ってますですか?」
じっと、精霊さんはわたしを見つめながら聞いてきた。
アルマジロさんについてはよく分からないが、黒服さんからは色々と話を聞いている。
しかし未だそのことを、精霊さんには話していなかった。
……言っていいのかな? でも最高機密って言ってたし、わたしに教えたのも特別だって言ってたし。
そもそも、変なことを言ってテロリスト扱いされるのはとても困る。大学受験に影響するし、就職だって難しくなるかもしれないし。
そんなことをぼんやり考えていると、ピキンと電流が走るような感覚が駆け巡った。
悪霊の反応だ。
魔法少女になってからというもの、近くに悪霊がいるとすぐに分かるようになったのだ。
冬場は静電気が嫌でセーターを着るのも敬遠しているわたしにとって、この感覚には本当にうんざりする。
「悪霊が出た! 早速行ってくるね‼」
そう言って屋上をあとにして、はっとする。
悪霊の反応があるのは、わたしのクラスからだった。
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