第29話「変なことしてないわよね?」

 遼太郎と電話で話した翌日。夏帆は、嗣人と佳奈に事情を説明した。嗣人は「遼太郎さんらしいね」と苦笑いしていたし、佳奈は「でも、これで騒動が収まれば良いこと……ですよね」と少し心配そうに言っていた。


 昨日の今日のことなので、ネットでどう言われているのかは、夏帆も分からなかった。しかし、遼太郎がそう決めた以上、進むしかない。夏帆が「しばらく部活には出られないかもしれない」と頭を下げると、ふたりとも「そういうことなら、遼太郎さんに協力してあげて下さい」と快く了解してくれた。


「私がいない方が、ふたりにとっては良いかもね」と茶化すように言うと、嗣人は真っ赤になりながら否定し、佳奈は「そんなことないです!」とぷくーっとふくれていた。


 ふたりと別れて夏帆は遼太郎の家へと急ぐ。前回来たときはバスを使ったが、意外と近いことが分かったので、今回は自転車だ。残暑はまだまだ厳しいものの、この時間帯だと随分マシになってきている。30分くらいで着くかと思っていたが、その半分ほどの時間で家に到着した。少し息が切れていた。


 そんなに急がなくても、と自分にツッコミを入れながら、インターホンを押した。相変わらず返事はない。「もう、さっさと出てきてよ」とぼやきながら、ボタンを連打しようかと思っていると、庭の方に人の気配がした。


 門を少し開けて覗き込むと、ひとりの女性が庭の手入れをしている。「あら、あなた。この間の」と笑うと、女性は立ち上がり夏帆の方へと歩いてきた。前回、遼太郎の家を訪れた際、帰り際に会った。遼太郎の母親だ。名前は確か……そう、西浦恵子さんだ。遼太郎の母親ということは、もう40は超えているはずだが、若々しくとてもそんなふうには見えない。


「こんにちは」ペコリと頭を下げると、恵子は「遼太郎はまだ帰ってきてないわよ」と言いながら玄関へ向かい「ま、そろそろ帰ってくると思うから。中で待っててね」と夏帆を招き入れた。リビングに通されて「適当に座って」と言われたので、遠慮がちにテーブルへと腰掛ける。


「暑かったでしょ? 冷たいお茶で良い? あらあら、汗かいちゃってるじゃない」


 手早くお茶をカップに入れてテーブルへ置くと、廊下へと出ていこうとする。夏帆は「あ、お構いなく」と断ったが、聞く耳持たずという感じでパタパタと廊下を走る音が聞こえてきた。


 遼太郎といい、姉の柚葉といい、この母といい、西浦家の人々は似てないようで、どこか似ている。夏帆は思わずクスクスと笑ってしまった。ふと顔をあげると、恵子が「あら、何かおかしいことがあったの?」と不思議そうにタオルを手に立っていた。


「いえいえ。ごめんなさい。なんでもないんです」タオルを受け取って、礼を言う。

「それにしても、ええっと……上坂……さん、だっけ? そう、上坂夏帆さんね。高校生さんだったのね。この前来たときは私服だったから、もしかして……って思ってたけど」


 恵子は、柚葉から夏合宿のこととかは聞いていたんだけどね、と言いながら「ふーん」と夏帆の顔をまじまじと見つめた。「あはは」と苦笑いして、コップに口をつけると「ね、遼太郎が変なことしてないわよね?」と不意に言ってきた。


 ゴブっと飲みかけたお茶を吹き出して、夏帆はむせてしまう。恵子が慌てて「あー、ごめんなさい」とテーブルを拭いて、そのまま夏帆の口元も拭く。(あの、それ、もしかしてふきんでは……)夏帆は心の中でツッコみながら、心の中に留めた自分を褒めた。


「だ、大丈夫ですよ? 小説の仲間ですから」

「そう? まぁ、あの子にそんな甲斐性はないとは思ってるんだけど、一応男の子だからねぇ」

「大丈夫、大丈夫です! ちゃんとしてますから」

「ちゃんと?」

「あ、いえ。ええっと、ちゃんと小説を書いていますから」

「あはは、そうよね。そう言えば、上坂さんって凄いんだってね。柚葉から聞いたわよ。なんか賞を獲ったとか?」

「いえいえ、そんなにたいしたものじゃないですから」

「柚葉も刺激を受けているみたいよ。もちろん遼太郎もね」

「お母様は、遼太郎……さんが小説を書いていることには、反対じゃないんですか?」

「良いんじゃない? 追う夢があるっていうのは素敵なことだから」


 なるほど、この母にしてあの息子、というわけだ。夏帆はなんだか分からないが、妙に納得した。小説の話になったところで、夏帆は聞きたいことがあることに気づく。


「あの……。遼太郎……さんって、結構前からネットに小説を投稿したりしてました?」

「ネットに小説? うーん、今もしてるけど、前ってどのくらい前?」

「ええと……。3年前くらい……かな?」

「あぁ、そのくらいなら、確かしてたわよ。いつもうるさいくらいに聞かされてたから」

「それって、もしかして『B・B』、BookBoxっていうサイトじゃなかったですか?」

「うーん、どうかなぁ……。そんな名前だったような……」


 恵子は腕組みをして必死で思い出そうとしていた。夏帆は息を呑んで返事を待っていたが「ごめんね。ちょっと覚えてない」という答えを聞いて、少しがっかりし、少しホッとした。


「ごめんなさい。変なこと聞いちゃいました」

「ううん。良いのよ。でも、それがどうかしたの?」

「あー、えーっと……それはですねぇ」


 夏帆が困っていると、玄関から「ただいまー」という声が聞こえてきた。ドアの閉まる音に続いて、廊下を歩くペタペタという音。リビングのドアが開いて「今日も忙しかった」と言いながら遼太郎が入ってくる。


「ってか、夏帆!? なんでお前がここに?」

「昨日、行くって言ってたでしょ」

「言ってたけど、早速今日からとは……」

「時間ないんだから。1日でも無駄にはできないでしょ」


 不思議そうにしている恵子に、夏帆が簡単に事情を説明した。遼太郎は「別に言わなくても良い」と言っていたが、構わず話し込む夏帆と恵子。話を聞いた恵子は「そうなんだ。なんか、悪いわね。上坂さん……夏帆ちゃんって呼んでいいかしら? うん。あんまり気を使わないでね。この子、どうせバイトくらいしかやることないんだから」と夏帆の手をポンポンと叩いた。


「先に行ってろ」と遼太郎が言い、恵子が「偉そうに言わないの」と注意しているのを苦笑いして聞きながら、夏帆は階段を登っていく。部屋に入ると、机の上にパソコンが置いてあるのが目に入った。


「人のパソコンを勝手に見るのはマナー違反」言葉とは裏腹に、パソコンを開く。パスワード画面が表示されるが、夏合宿のときに教えてもらっていたので、その通りに入れてエンターキーを叩くと、起動音がして画面が表示された。


 もはや、マナー違反の言葉が脳裏からすっかり消え去っている夏帆は、迷わずブラウザを立ち上げる。ブックマークをクリックすると、さくさんのサイトが登録されていた。上から順番に見ていくと、ノベステの下に「B・B」という文字があった。すかさすそれをクリック。


 個人が運営していた小説投稿サイト「B・B」は、閉鎖後も閲覧だけはできるようになっていた。以前夏帆も試したことがあったのだが、ログインなどは今でもできる。新しく小説の投稿などができないが、削除だけはできるようにしていたためだ。


 画面の右上に表示されている「ログイン」のボタンをそっとクリックしてみる。ブラウザの機能で、自動的にIDとパスワードが入力された。もう一度、ログインをクリック。ユーザーの情報画面が表示された。それを見て、夏帆の瞳が大きく見開く。


 そこには”筆丸先生”というペンネームが載っていた。


 やっぱり……。


 夏帆は以前遼太郎と話していたときのことを思い出していた。夏帆がノベステの編集、小畑に「担当から外れる」と聞いて落ち込んでいたとき。遼太郎は励ましてくれた。夏帆はB・Bの話をした。そのときは、遼太郎の反応に何の疑問も浮かばなかった。自分の中で悲しみの感情があまりに大きくて、深く考える余裕がなかった。


 しかし、後で思い返してみると、B・Bで出会った”筆丸先生”と遼太郎は似ているということに気がついた。いつも自分が落ち込んでいるときは話を聞いてくれる。いつでも、自分を励ましてくれる。B・Bのログを見返してみて、それは確信へと変わっていっていた。


 遼太郎が”筆丸先生”なのだ。


 その確信が、今や事実として目の前にある。画面を見つめながら、夏帆は気が動転し始めていた。少しクラクラっとして、椅子に腰掛ける。廊下を歩く音が聞こえてきた。慌てて、マウスを掴んでブラウザを閉じると同時にドアが開いて、遼太郎が「お茶、持ってきてやったぞ」と入っていた。


 パソコンを抱えるように持っている夏帆を見て、遼太郎が「ちょっ! 何してるんだ!」と真っ青になる。


「い、いや。べっ、別に変なことはしてないよ?」

「変なことって……。もしかして、見たのか?」

「……え。あー……うん」


 部屋の中に微妙な空気が流れる。そこで初めて、夏帆も勝手に人のパソコンを見たことを反省し始めた。遼太郎とは随分仲良くなったものの、それでもやって良いことと悪いことがあるだろう。夏合宿のときは、小説のやり取りなどをしていたので、パスワードを教えてもらって、勝手にログインしたりもしていたが、それとこれとは別の話だ。


 気まずくなり流石に謝ろうかと思っていると、遼太郎がゆっくりとテーブルにトレーを置く。コップを手に取りテーブルへと移すが、何故か震えているらしくカタカタと鳴っている音が聞こえてきた。


 なんとかコップを並べ終えた遼太郎は、額に手を当てながら「違うんだ」とポツリと言った。夏帆は状況が飲み込めず、黙ったままじっと遼太郎を見つめる。


「それは……その……。何と言うか……出来心? 別に普段から、そういう画像を集めているというわけではなくて」


 夏帆は「はぁ?」とパソコンの画面に振り返る。デスクトップに『秘蔵』というフォルダがあった。さっきは必死になっていたので気が付かなかった。フォルダをダブルクリックして開く。


 新しくウィンドウが開き、20枚ほどの写真のサムネイルが表示された。それらは全て、あられもない女性の姿のもので、それぞれ夏帆を誘うかのようなポーズを取っている。


「あー、そういうこと」


 夏帆は小さくつぶやいた。

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