第27話「お久しぶりです。先輩」

 夏帆が遼太郎の家にやってきて、そろそろ3時間が過ぎようとしていた。と言っても、ずっと話をしていたわけではなく、特にここ1時間ほどは、一向に話が進まず膠着状態が続いていた。


 夏帆は何度か「なんで、その秋本さんが怪しいと思ってるの?」とか「秋本さんに聞いてみたの?」と尋ねてみたが、答えは「あぁ」「いや」などと曖昧なものしか返ってこなかった。いつもだったら、もっと問い詰めてはっきりさせたい、と思うところだが、夏帆は今ひとつそれができないでいた。


 体の火照りは収まってきていたが、心は相変わらずグチャグチャだった。夏帆は本来、思ったことは言う、考えたことはすぐする、というストレートな性格だった。もちろん、深く考えたりすることもないわけではなかったが、こんな風に自分が何を考えているのか分からないというようなことは、初めての経験だった。


 遼太郎にしてみても、この状況は居心地が悪いらしく「もう遅いから帰れ」と何度も言ったのだが、夏帆は頑として動かない。困り果てた遼太郎は、ポケットからスマホを取り出すと、何かを入力し始めた。


 何度か「ポコーン」という、夏帆からすれば「間の抜けたような音」が鳴った後、遼太郎は「分かった。明日、茜に会いに行く」と短く言った。「私も行く」と夏帆は主張したが、遼太郎は「これは、俺の問題だ」とそれを拒んだ。


 少し寂しそうな顔になる夏帆を見て、慌てて「そうじゃない。お前には関係ないと言っているわけじゃない。ただ……もし、本当に茜が盗作の原因になっているとしたら、知らないヤツが一緒に来ていると、プレッシャーになるかもしれないだろ? それで余計に頑なになって、否定するかもしれない。だいたい、証拠なんてないんだ。茜が『知らない』と言ってしまえば、それで終わりだ。だから、俺だけが言って、それとなく話をつけてきた方が効率的だという意味だ」と一気にまくしたてた。


 その様子がおかしかったのか、夏帆はクスクスと笑うと「じゃぁ、後で結果は教えてね」と言い残し、立ち上がった。遼太郎は「送っていくよ」と言ったが「いや、いいよ。近くにバス停あるし。遼太郎は、明日何を聞くのかを考えておいて」と断った。



   * * *



 翌日のお昼前。遼太郎は秋本茜の部屋に来ていた。


 大学を卒業後、そのまま大学院へと進んだ茜は、実家の近くで一人暮らしを始めていた。2DKのアパートは、驚くほど荷物が少なく、遼太郎が通された6畳間の洋室には、小さなテーブルが中央にポツンと置かれ、座布団代わりのクッションが2つあるだけだった。キッチンでは茜がお茶を淹れてくれているカチャカチャという音が聞こえてきていた。


 高校卒業後も、小説を通しての付き合いはあったが、こうして家に行ったり来たりということはすっかりなくなってしまっていた。それどころか、ネットを通して以外で会うことすら、ここ数年はほとんどない。玄関で「お久しぶりです。先輩」と茜に言われて、なんだか微妙な気持ちになった。


「もう少し女子らしい部屋かと思ったが」ぼやきながら、壁にある小さな扉に目をやる。恐らくその先は寝室になっているのだろう。あっちの部屋は、多少は生活感のあるのだろうか。遼太郎は無意識にそんなことを考えて、四つん這いのままドアに近づく。


 ドアノブに手をかけたところで「何してるんですか?」という声が背後から聞こえてきた。その体勢のまま、そっと振り向くとトレーを持った茜が、ゴミでも見るかのような目で遼太郎を見下していた。


「あぁ、いや……。こっちは何の部屋かなぁ、と思って」

「寝室に決まってるじゃないですか」

「そうだよな、うん。そうだと思った」


 静かに後退し、再びクッションへと腰を下ろす。茜はテーブルにカップを並べると「昔、振った女の部屋でも、気にはなりますか?」と呆れながら言った。それを聞いた遼太郎は、ギクッという顔になり、そっとカップに手を伸ばす。


 カップには紅茶が淹れられていた。遼太郎は普段、コーヒー派だったので、滅多に紅茶は飲まないが、この紅茶は素晴らしく美味しいと思った。遼太郎がそのことを言うと、茜は少し赤くなりながら「べ、別に特別な紅茶じゃありませんから! そうっ! スーパーで20パック400円くらいで普通に売ってる。パックのやつですから」とまくしたてる。


 遼太郎は「へぇ、そんなのでも、こんなに美味しいんだな」と素直に感心した。茜もカップに口をつけると、少しだけ微笑んで「うん、やっぱり美味しいな」と小さくつぶやいた。


 その横顔を見ていた遼太郎は高校のころを思い出した。部室の長机で隣に座って小説を書いていた後輩。今は随分丸くなったが、当時は相当偏屈で、部員からも怖がられていた自分に、臆面もなく話しかけてくる唯一の後輩。自分の小説にも、容赦なく突っ込みを入れてくる後輩。一方で、とても頑張り屋で「もう十分だろ」と言っても聞かず、何度も何度も妥協することなく書き直しを行っていた後輩。


 そして、自分のことを好きだと言ってくれた後輩……。


「なんか、変なこと考えていません?」


 茜に突然話しかけられて、過去から現在へ引き戻される。「あぁ、いやいや」と苦笑いして再びカップに手を伸ばす。茜は疑いの目で遼太郎を見ていたが「それで、LIMEで言ってた用事って何ですか?」と聞く。


「ええっと……。俺の小説がネットで色々言われている件、知ってるか?」

「いえ? 何かあったんですか?」

「お前、本当に小説書く以外のこと、興味ないんだな」

「そんなことはないですよ。昔はそうだったかもしれませんけど……。今は、色々一般人並には興味は持っています」

「ふーん。そうは見えないが」

「もう! 私のことは良いですから。で、先輩の小説がどうしたんです?」

「あぁ。俺、今ネットの投稿サイトに小説を投稿してるのだが」

「ノベステ? 前に見せてもらった小説?」

「そう、それ。で、そこで盗作疑惑がかけられてるんだよ」

「盗作? 先輩が盗作してるんですか?」

「してないって! 俺がすると思うか?」

「うーん……」

「そこは考えないで、即否定しろよ」

「はいはい。それで、その盗作疑惑と、私に何の関係があるんです?」


 そこで遼太郎は息を飲んだ。昨晩、夏帆に言われるまでもなく、どういう風に切り出すのが良いか考えた。茜が盗作しているわけではないことは分かっている。しかし、どこからかデータが流れているのは確かだ。お前を疑っているわけでじゃない。だが……。どう聞けば良いのだろう? なんて言えば、茜を傷つけずに済むのだろう?


 結局、答えは出ずストレートに聞くしかないと思った。


「俺の小説のデータ。見せているのはお前ともうひとりしかいないんだ」


 茜の顔が微妙に引きつっているのが分かった。やっぱり聞き方が悪かったか。それはそうだろう。これではまるで「証拠はあがってるんだ。お前がやっているんだろう」と断定するようなものじゃないか。


「いや、違う」慌てて否定しようとした。しかし、茜はそれを手で制すると「分かっています。私を疑っているわけじゃないけど、状況的に私しか考えられないって言いたいんでしょ?」と言った。


「そう、そうなんだ。だから、もしかして、お前に渡した小説のデータ。どこかから流れたとか、誰かに見せたとか、そういうのない……かな……と思って……」


 ドンドン声が小さくなっているのを自覚した。そして激しく後悔していた。いくらなんでも、自分を慕ってくれた後輩を疑うようなことはすべきじゃなかった。今からでも遅くはない。いや、遅いかもしれないけれど、謝ろう。謝ってなかったことになるわけじゃないけど、こんな思いをするくらいなら……。


 そう言おうと顔をあげると、茜が真っ青になっているのが見えた。唇はキュッと固く結ばれ、眉間にはシワが寄っている。遅かったか……やっぱり相当怒っているのか……。遼太郎は何を言っていいのか分からなくなってしまった。


 しかし、茜の口が開き出てきた言葉を聞いて、遼太郎は思わず手に持っていたカップを落としそうになった。


「先輩、もしかしたら、それ私のせいかもしれません」

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