第26話「10月だっていうのに、暑いのか?」

 夏帆はそれきり黙ったまま、遼太郎の返答を待った。しかし、遼太郎もじっと卓上の麦茶を眺めたまま、口を開かない。


 業を煮やした夏帆がトートバッグからスマホを取り出した。指で操作すると、そのまま耳に当てる。コール音が数回鳴って「はい、ノベルステーション編集部小畑です」という声が聞こえてきた。


「あ、小畑さん。ご無沙汰しています。上坂夏帆です」

「夏帆ちゃん、こちらこそご無沙汰。その後どう? 小説書けたのなら、また送ってもらったら」

「あぁ、いえいえ。今日はその件じゃなくって……。ええっと、ノベステの授賞式のときに、私に噛み付いてきた人いたじゃないですか」

「あー……。西浦君?」

「です。西浦遼太郎。その人のことなんですが」

「盗作のこと?」

「そうですそうです。その件について教えてもらいたいことがあるんです」

「ごめん、夏帆ちゃんでも、他の作者さんのことはちょっと……ね」

「今、目の前にいるんです」

「――えっ?」

「西浦遼太郎が、今私の目の前にいるんです」

「ええっ!? そうなの? いつから君たち友達になって……って、あれ? もしかして、付き合っ――」

「違いますっ!!」小畑の言葉に、若干顔を赤くしながら、夏帆は全力で否定する。遼太郎は、突然の大声にビクッと身を縮め「なんだっ!?」と慌てていたが、すぐに平静を装い「なんでもない感」をアピールしていた。


「あぁ、確かに西浦君の声だね……。まぁ、本人以外に言うのも良くはないんだけど……」


 小畑はそう前置きしてから、現状を説明し始めた。


 盗作疑惑のことはネットに上がった頃から把握はしていたが、全文をコピーしているわけでもないので、しばらくは静観していた。しかしここ数日、ネット再び騒ぎが大きくなってきているのを受けて、編集部内でもどうするかという協議が始まっている。遼太郎にメールで問い合わせたものの返事がなく困っている。”黒騎士”にも問い合わせたが、そちらも返事がない。


「本当ならば、通報があった時点で、一旦非公開にしてしまうこともあるんだけど……。僕も西浦君がそんなことをするとは思ってないし」


 小畑が「ちょっと西浦君に変わってよ」と言うので、夏帆がスマホを差し出したが、遼太郎は頑なにそれを拒否した。「また連絡します」と答え「ちょっと待って」という小畑の懇願を振り切って通話を切る。


 再び遼太郎を見ると、少しふてくされたような、それでいて困ったような顔をしていた。それを見て、夏帆はそれ以上遼太郎に何も言えないと思ってしまう。かと言って、このままで良いわけでもない。自分自身が遼太郎の小説が盗作ではないと分かっているのだし、疑惑を払拭したいという思いが消えるわけがない。


 夏帆は切り口を変えることにした。


「相手の……”黒騎士”さんだっけ? その人に心当たりはないの?」


 夏帆の問いに少しだけ肩をビクッとさせながら、遼太郎は「ない」と答えた。しかし、真剣な眼差しでじっと自分を見つめる夏帆を見て「ない……わけじゃない」と言い換える。「それ以上は触れてくれるなオーラ」を必死で出しているのは分かったが、夏帆は構わず「誰?」と更に続けて聞いた。


 遼太郎はわざとらしいくらいに腕組みをしてふんぞり返っていたが、夏帆の差すような視線に根負けしたのか「高校……のころに、文芸部に入っていたのだが」と語り始めた。


「俺が高校3年生になったとき、文芸部に2つ年下の後輩が入ってきた。秋本というやつだ」

「あ、遼太郎って、高校で文芸部だったの?」

「あぁ。うちの高校の文芸部は、そこそこ大きい部でな。滅多に出てこない幽霊部員を入れて40人ほど。毎日積極的に活動しているやつで、だいたい20人くらいだった」

「へぇぇ、うちとは全然違うのね」

「お前のとこは、実質3人だろ。ま、その辺りは部長の徳の高さ、と言ったところか」

「遼太郎、部長だったの?」その言葉に、遼太郎は少し胸を張る。

「当然だ。で、その秋本ってのが、何かと俺に絡んできてな。『小説を見てくれ』とか『アドバイスをくれ』とか、毎日のように言ってきてたんだ」

「女の子?」

「そうだ……って、お前。俺の話にいちいちツッコミを入れるんじゃない」

「いいじゃない! 別にやましいことがないのなら」

「……ない」「じゃ、続けて続けて」

「むぅ……。で、卒業後もなんだかんだで、連絡を取り合ったりしてて、今でも時々小説を見てやったりしてる」

「もしかして、どこかに投稿してたり?」

「もしかしても何も、ノベステに投稿してるぞ」

「へぇ! どの人?」


 言うことを聞かない夏帆に、若干うんざりしながらも、遼太郎はノートパソコンを開く。ノベステのウェブサイトを開くと、ランキングをクリックして画面を夏帆に向けた。


「ほら、こいつだ」


 遼太郎の指さした先は、ノベステの月間ランキングの4位のところだった。「あー、この小説知ってる! 最近すごい勢いで投稿している人だよね。そっか、もう4位になってるんだ」夏帆が画面を覗き込みながら、感心したように言う。


「お前は、感心している場合じゃないだろ? ライバルなんだから」

「それは遼太郎も一緒でしょ? と言うか、かつての後輩に負けちゃうとか、部長としての意地はないの?」

「う、うるさいな。良いんだよ。お前やこいつは、流行りの『異世界もの』だろ? 俺の小説は現代もの。土俵が違うのだから、比べる方がおかしい」

「ちょっ……ツバ飛んでるから。汚いってば!」


 夏帆にそう言われて、自分が思っていた以上に必死になっていることに、やや恥ずかしそうにしながら「悪い」とティッシュの箱を差し出す。それを受け取った夏帆は「気にしてるんじゃない」とブツブツ文句を言う。


「で、その秋本さんだっけ? その子がどうしたの?」

「それは……」


 再び遼太郎は口をつぐんでしまう。夏帆は、どうしたものかと思ったが、今度は辛抱強く待つことにした。さっさと話して欲しいという思いはあったが、なんとなくこれ以上しつこく言うことに戸惑いを感じていた。


 部屋の奥にある窓を見ると、既に薄暗くなっていた。それほど遅い時間帯ではないはずだが、郊外にある家のせいか、時折、車が走る音が遠くに聞こえる以外、何も聞こえてこない。まるで世界に自分と遼太郎しかいないみたいだ……。そんなことを考えていると、夏帆は体温が少し上がったように感じた。暑い……。


「もう10月だっていうのに暑いのか? エアコン入れるか?」


 遼太郎の言葉に、思わず「大丈夫です!」と引きつったような声で答える。何なのよ、もう……。それに何で敬語なの。


 遼太郎は不思議そうに夏帆を見ていたが、少し笑うとふぅっと息を静かに吐き出した。何かを決意したように口を開く。


「さっき言ったように、秋本……茜とは今でも交流がある。今投稿している小説も、夏帆に見せた後同じように読ませた」

「……もしかして、その秋本さんが?」

「いや、それはないだろう。そもそも、自分で書いてランキングに載るようなやつだからな。わざわざ俺の小説を盗作する意味がない」

「なら、なんで秋本さんの話が出てくるの?」

「それは……。俺の小説をデータで送ったことがあるのが、夏帆と茜だけだからだ」

「ふーん……なるほど。データがないと盗作は難しいもんね」

「あぁ、あそこまで似せるには、ただ読んだだけでは覚えきれないだろうからな」

「でも、秋本さんが盗作していないというのなら、誰が……」


 夏帆は少し考えを巡らせてみたが、当然答えは出てこない。そもそも、その秋本という人のことをよく知らないのだから、無理もないことだ。それでも、遼太郎がこの話をするということは、何らかの形で秋本さんが絡んでいると思っているのだろう。


 そこまで考えて、夏帆は「あれ?」と気がついた。


「小説のデータを渡したことがある、って理由なら、私も疑われなきゃいけないんじゃないの?」


 夏帆の問いに、遼太郎は「はぁ?」と首をひねる。が、すぐに「あ、あぁ。そうだな。うん、そう言われればそうだ」と続けた。


「自首しろ。お前がやったのか?」

「そんなわけないでしょ!」

「まぁ、そうだよなぁ」


 再び体温が上がるのを感じた。秋本と遼太郎は高校以来の、ということならば、すでに10年近い付き合いだろう。一方、自分とは6月に書店で会ってから――正確には、その1ヶ月前にノベステの授賞式からだが――だからせいぜい半年程度だ。


 それなのに、自分の方が信頼されている……って思っちゃって良いのかな……。


 机の上に置いてあった用紙を手にとって、顔をあおぐ。暑い……。もう秋なのに、なんでこんなに暑いんだろう……。


「ちょっと、それ! 俺の原稿!」


 遼太郎が慌てて夏帆の手から、原稿を奪い返す。若干、くしゃくしゃになりかけたそれを、文句を言いながら伸ばしている遼太郎に、夏帆は「やっぱ、エアコン入れて」と頼み込んだ。


 どうにも、暑くてたまらない。

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