第23話「恋愛感情でないのなら、それは」
週末の土曜日。嗣人はひとりで街に出かけていた。
昨日の晩、佳奈に電話をして部室でのことを謝った。佳奈は「大丈夫ですよ」と優しく答えてくれ、嗣人はホッとした。「週末、どこか遊びに行かない?」罪滅ぼし、というわけではなかったが、嗣人はそう提案した。佳奈は少しだけ考えた後「土曜日はちょっと……。日曜日なら大丈夫です」と返事をし、待ち合わせ場所などを決めた。
今日はその下見を兼ねた散歩だった。嗣人は滅多に街をぶらつくことなどがなかった。中学の頃までは、よく夏帆に連れ出されたりもしていたが、高校に入り夏帆がアルバイトを始めてからは、たまに友人に誘われて行く程度になっていた。
だから、自分から誘い出した以上、どのような場所に行くのが良いのか、あらかじめ調べておきたいと思っていた。
朝早くからスマホ片手に街を歩き回って、いくつかの店にも立ち寄ってみた。そうしている内に、嗣人は佳奈が小説以外に何が好きなのか、どんなことに興味を持っているのか、全く知らないということに気づいた。
スマホの電話帳で夏帆の番号を呼び出して、すぐにそれを止めた。こんなことを夏帆に聞けるわけがないじゃないか、とため息をつき、一体自分は何をしているんだと肩を落とした。
「おや、嗣人君じゃないか」
背後からやや芝居がかった声に呼び止められる。振り返るとそこには遼太郎が立っていた。「あ、お久しぶりです」と軽く挨拶をすると、遼太郎は「夏合宿以来だな」と答えた。
遼太郎の言うとおり、夏合宿から既に1ヶ月が経とうとしている。夏帆は遼太郎や柚葉と会っていると言っていたが、嗣人や佳奈などはそれっきりになっていた。そういや、夏帆はまだ毎週末、遼太郎さんに会っているのかな……。遼太郎の顔を見ると、どうしても夏帆を思い出してしまい、一瞬ここから逃げ出したくなる衝動に駆られる。遼太郎の方は、そんなことにお構いなしといった感じで「ちょっとその辺で一杯どうだ?」と、手を口元でクイクイッとしている。
「いや、僕、まだ未成年ですから……」思わず慌てふためくが、遼太郎は「ま、いいからいいから」と嗣人の肩を掴むと「こっちだ」と路地の先を親指で指し示した。
「なんだ、コーヒーか」
コーヒーショップの席に座って、嗣人はホッと息をついた。遼太郎の性格は夏合宿である程度理解したつもりだったが、それでも相変わらずの強引さ、空気の読めなさに、少し呆れていた。「お待たせ」トイレから帰ってきた遼太郎が、ジーンズで手を拭きながら席についた。
「で、小説の方は進んでいるのか?」ストローで勢い良くコーヒーを吸い込みながら、遼太郎が尋ねる。
「いえ……あー、そうですね。一応プロットは完成しているんですけど」
「お、そうなんだ。今日持ってるのか?」
「今日は……、あ、スマホに入ってるかな?」
「ちょっと見せてみろ」
この強引さが、どことなく夏帆に似ているんだよなぁ、と思いながらも、渋々スマホを取り出して遼太郎に見せた。「うむ」と仰々しくそれを受け取る遼太郎を見て、嗣人は思わず苦笑いする。「夏帆相手の時と、反応が違うよな」夏合宿のときの光景を思い出していた。
遼太郎は夏帆を相手にした時でも、似たような態度は取る。しかし、だいたいいつも「なんで、そんなにエラソーなのよ」と夏帆に反撃され、しょぼくれるパターンが多かった。一方で嗣人や佳奈に対しては、そのスタイルを貫き通すことが多く、その落差に当初は困惑していたこともあった。
ただ、一方的にエラソーなだけではなく、嗣人や佳奈の小説を丁寧に読んでくれていたし、感想なども全く歯に衣を着せないものを提示してくれていたので、迷惑というよりは感謝の気持ちの方が大きかった。
「でも、なんで夏帆に対しては、あんなに弱腰なんだろう?」ふと嗣人の脳裏にそんな考えが過る。始めは「強気な女性には弱いのだろう」と思っていたが、柚葉に対しては時折一歩も引かない態度を見せることもあり、一概にそうとは言えなさそうだった。「妹さんだからかな?」とも思うが、直接聞いてみたわけでもないので、よく分からなかった。
「遼太郎さんって、夏帆のこと好きなんですか?」
気がついたら、自然にそんな言葉が口から出ていた。スマホを操作している遼太郎の手がピクッと止まり、そこで嗣人は自分が何を言っているのかようやく理解した。
「あ、ああ! ごめんなさい! そんなつもりじゃなくって」慌てて弁明する。遼太郎は「気にしてないぞ」と言っているものの、その表情は明らかに気にしているものであり、どうにもならないほどの気まずさに襲われてしまう。
さっきまではうるさいな、と思っていた店内に響いている客の声が、今はありがたいと思えた。なんとか話題を変えようと必死になるが、頭が回らず何も出てこない。困り果てていると、遼太郎が「読んだぞ」とスマホを返してきた。慌ててそれを受け取る。
「ストーリーは良い。特に序盤は完璧だな。ただ、キャラがちょっと弱いと思うぞ。特に主人公は――」
何事もなかったかのように、小説の感想を語りだす遼太郎を見て、嗣人は少しだけホッとした。夏帆のことを尋ねたことが、単なる好奇心からではなかったことは分かっていた。それに負い目を感じていただけに、話題が逸れたことに感謝すら覚えていた。
そのまま、小説の話だけをしていたい。
そう思って、嗣人は遼太郎の話に一生懸命耳を傾けた。多少、理不尽な部分もあったが、率直に感想を言ってくれるのはありがたいとも思っていた。また、気まずい話題をサラッと受け流す遼太郎の態度にも「大人だなぁ」と感心していた。
ただ、嗣人は遼太郎の性格を見誤っていた。
小説に対して、あらかた言いたいことを言った後、遼太郎はグラスに残っていた氷をガリガリと噛みながら、嗣人の方をジロッと睨むように見た。
「で、さっきの話だが」先程までとは違う、少し低い声に嗣人は思わずビクッと背を伸ばす。
「俺が夏帆のことを好きだとか?」
「あー……いえ、それは、そのぉ」
「嗣人君とは、こうして小説を通じて知り合った同志だから、ある程度のことには答えてやりたいとは思っている」もう結構です、という嗣人のオーラを無視して遼太郎は言った。
「が、その質問にだけは答えられない」
「は、はぁ……」
「そもそも、夏帆を好きなのは君の方だろう?」
その言葉に、反射的に頭を上げて遼太郎の顔を見る。俺が? 夏帆のことを?
「い、いったい何の話を……」言いながら、違うそうじゃないだろ、と気づく。これじゃ、まるで言い訳をしているみたいだ。俺が夏帆のことを好きなんて、そんなわけがない。俺と夏帆はただの幼馴染で――もちろん好意は持っているけど、それは恋愛とかじゃなく……。
再び頭を垂れ、テーブルの上をジッと見つめたまま嗣人は動けなくなっていた。遼太郎はしばらく黙って待っていたが、やがて「違うのか?」と短く問いかけた。それに黙ったままうなずくと、遼太郎は「そうか」と答えグラスを手にする。残っていた最後の氷を口に放り込むと、盛大に音を立てながらそれを噛み砕き、ふぅっとため息をついた。
「俺も見誤っていたということか……」
「……どういうことですか?」
「夏前に、初めて君たちと会った時のこと、覚えているか?」そう言われて、嗣人は夏帆に呼び出されて、佳奈と一緒に出向いたときのことを思い出した。確か夏帆のバイト先の近くのコーヒーショップだったはずだ。
「あぁ、ええ。覚えてます」
「あのとき、俺は君たち、特に嗣人君の態度が気になっていたんだ」
「俺の……?」そう言われてようやく、そのときの光景を思い出し始めていた。
「あぁ。あの時、俺と夏帆のやり取りを聞いてて、なんとも微妙な表情をしていただろ?」
あのコーヒーショップでの出来事は覚えている。どんな感情だったかも。ただ、そんなふうに顔に出してしまうようなことをしただろうか……? 確かに、やや強引に「帰る」と言ってしまったのは、後々少し大人気なかったと思っていた。しかし、夏帆も佳奈もそのことには特に触れてこなかったので、自分では感情を表に出してしまったという覚えはなかった。
それなのに、目の前でブスっとして座っているこの男は、それを見抜いている。でも、あの感情まで知られるわけには……。
「あー、そうでしっけ? もしかしたら、ちょっと話に入りにくくて困っていたのかもしれませんね」そう言って苦笑いしてみたものの、遼太郎はピクリとも表情を変えない。嗣人の首筋に、嫌な汗が流れた。
「嗣人君」決して責めるようなものではないが、重々しい口調で遼太郎が言う。
「俺に対して誤魔化すのは構わないが、自分の心まで誤魔化すことはしない方がいい」
やけに芝居がかった口調に、一瞬思考が止まりそうになるが、すぐに遼太郎の言っていることの意味が理解できた。駄目だ、これは言い逃れできそうにない。額にまでじんわりと汗をかいているのを感じた。
返事に困っていると、遼太郎がおもむろにカバンを手に取り、席を立った。「責めるつもりはないんだ。悪かった」と小さい声で言う。
「でも、もし君のあのときの気持が、夏帆に対する恋愛感情でないのならば、それはきっと――」
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