第22話「仲良く……はぁ?」

 ひとつ年下の後輩。三崎佳奈に告白された時、嗣人の正直な感想は「驚いた」というものであった。


 その温和な性格から、これまでもクラスメイトの女子とは、比較的よく話をする方であり、その結果、何度か告白されたこともあった。中学校の時に2回。高校に入って1回。ただ、そのいずれも嗣人は辞退を申し出ていた。


 仲の良い同級生の男子からは「嗣人は理想が高すぎ」とか「お前もしかして、そういう趣味なの……」などと、からかわれたりもしたが、もちろん嗣人にしてみればそういうわけではなかった。中には「やはり夏帆狙いか」と言う友達もいて、そのたびに「違うよ」と冷静に答えていたが、それは嗣人自身が一番分からない答えだった。


 夏帆とは確かに長い付き合いだ。そんな長い付き合いなのに、不思議な事にお互いの間に「恋愛」というキーワードは存在しなかった。もちろん、嗣人も年頃の男の子であるから、例えば夏帆が「ショートパンツにタンクトップ」というラフな格好で、嗣人の部屋を訪れた際などは、目のやり場に困ってしまうことはある。


 しかし、それらを「恋愛感情」だと思うのかどうかと言われると、嗣人は答えられない。あまりにも身近にいすぎて、むしろ「兄妹」もしくは「姉弟」という関係に近いと感じている。そして、それは夏帆の方も同じように思っているだろうと思っていた。


 それに気づいた時、少しだけ寂しいような感情に襲われたりもしたが、かと言って、これまでの関係を変える勇気もなく、それはそっとそのままにして過ごしてきた。


 夏合宿の辺りから「佳奈の自分へ向けられる視線」には気づいていた。しかし、それも嗣人が自分自身への評価、つまり「自分はそれほど価値がある人間ではない」という考えから「きっと部の先輩として、多少は評価してくれているのだろう」という程度に思っていた。


 嗣人がそういう考え方に至った理由は、本人も分かっていない。ただ、嗣人が中学校の時にあった出来事が、それの原因のひとつだったことは間違いなかった。


 いずれにしても、佳奈の告白を聞いた嗣人は始めに驚いて、次に戸惑った。自分に向けられていた好意が、そういうものだったと知って動揺した。「この子は本当の俺を理解して、こんなことを言ってるんだろうか?」と疑問を感じた。


 しかし目の前で必至で「付き合って下さい」と言っている後輩を見て、少し嬉しい気持ちになった。思わず表情が緩むのを感じた。自分のことを「好きだ」と言ってくれる人がいることが、純粋に嬉しいことだと思った。


 それが、今まで向けられた好意とは、また別のもののように感じられた。


 だから、佳奈の申し出を快く受けることにした。


 佳奈を家まで送っていき、別れ際に「あの……後で、電話してもいいですか?」と聞く佳奈に「もちろん。って言うか、俺からかけるよ」と答えた。夕食と風呂を済ませた後、頃合いを見計らって、電話を掛けた。


 なんとなくぎこちなくも、恋人っぽい会話をして電話を切った後、嗣人は「夏帆になんて言おうか」と寝転びながら思った。本当の兄妹、もしくは姉弟であれば、そんな「恋人できました宣言」などは必要ない。


 しかし、同じ部のことでもあるわけで、黙っているのも逆に変だろうとも思った。今すぐ電話して報告することもないだろうけど、どうせいずれバレるのだ。早いに越したことはないだろう。



   * * *



「あー、夏帆。ちょっといい?」


 翌日の放課後、嗣人は部室で気まずそうにそう言った。この日は珍しく夏帆が部室一番乗りで、嗣人が来た時にはすでに長机にノートパソコンを広げて、画面を睨むような視線で覗き込んでいた。それを見て若干「タイミングが悪いか?」と躊躇したが、部室に入ってきた嗣人を見ると「あ、お疲れ~」といつもの調子の夏帆に戻ったので、とっとと用件を済ませてしまおうと思った。


「なに? どうしたの、改まって」夏帆は完全に画面から顔を上げて、嗣人を不思議そうな目で見た。

「いや、実はさ」


 嗣人が昨日あったことを簡単に説明すると、夏帆は一瞬呆気にとられたような顔をした。しかしすぐに「そうなんだ! よかったね、嗣人」と顔をほころばせた。ニコニコ笑いながら、ちょっとだけ意地悪そうな顔をして「佳奈ちゃん、良い子なんだから、泣かしちゃ駄目だぞ」と言ってくる。


「分かってるって」と答えながら、嗣人は少しだけ気分が落ち込んでいるのを感じた。もっとがっかりされたり、ムッとされるかと思っていた。それなのに夏帆のあっさりした態度を見て「結局、夏帆は自分のことをなんとも思っていなかったのだ」と思った。それに気づくと、夏帆への自分の思いも、やはり恋だの愛だのといったものではないという気持ちになってきていた。


 しばらく夏帆にあれこれ注意事項を指摘されて、流石にそろそろうんざりし始めた頃。やっと「こんにちは」と佳奈が部室へやってきた。開口一番、夏帆が「佳奈ちゃん、おめでと!」と言って、佳奈は「あ、ありがとうございます」と顔を赤らめた。


「でも、佳奈ちゃんが嗣人狙いだったとは知らなかったなぁ」

「狙い、って……。なんか肉食獣みたいな言い方だな」

「そうだよ。今時の女子は草食系なんかじゃないのよ」

「それは夏帆みたいな人だけだろ。佳奈……ちゃんは、そういうのじゃないから」

「おやおや、嗣人くん。さっそく呼び捨てにしようとしてたのかな?」

「違っ……違うよ……」


 夏帆と嗣人のそんなやり取りに佳奈は入っていけず、苦笑いしながらただ黙って聞いていた。


「まーまー、付き合うことは良いことだけど、あんまり部室でイチャイチャしないでよね」

「しないって! って言うか、そこまで夏帆に言われる筋はないだろ」

「だってぇ。なんだか私だけお一人様って感じで、嫌じゃない」


 その言葉に、嗣人は思わず表情を固くする。少しだけ空気が重くなり、佳奈はぎこちなくも「でも、夏帆先輩には遼太郎さんがいるじゃないですか」と、冗談ぽく言った。


「は? なんでそこで遼太郎が出てくるのよ?」夏帆がポカンとした表情になる。

「だって、夏帆先輩と遼太郎さんって、仲いいじゃないですか?」

「そんなわけないじゃない。一体どこをどう見たら、そんな結論になるの?」

「だってほら、夏合宿の時だって、結構仲良くしてたように見えましたから」

「……仲……良く?」夏帆が「はぁ?」という顔で聞き返した。

「小説を読み合っている時のやり取りとか見てると、そうかなぁって。ね、嗣人先輩。そう思いませんか?」


 突然の佳奈からの問いかけに嗣人は「え、あぁ、うん」と戸惑いながらも答えた。話を聞いていなかったわけではなかったが、一瞬合宿の光景が頭に浮かび、なんとも言えない微妙な気持ちになった。


 佳奈の言うとおり、合宿での夏帆と遼太郎は、とても仲良さそうに見えた。表面上は文句を言い合っているが、それはあくまでもお互いを信頼しきっているからこそできるようにも見えた。そして、それを見ていた嗣人の心境が穏やかではなかったのも確かだった。


 ただ、その話はもう決着が付いているはずだった。今更蒸し返すべきことではないだろう。そう何度も何度も思ってみたが、心のざわつきは収まらない。夏帆と佳奈は相変わらず遼太郎のことで盛り上がっている。徐々に居心地の悪さを感じ始めていた。


「あ、ごめん。そういや、今日母さんにお使い頼まれてたんだ」とっさにそんな言葉が口から出てきた。嘘じゃなかった。ただ「部活が終わってからでも遅くはない用事」だっただけだ。カバンを手に取ると、夏帆が「じゃ、今日はお開きにしよっか」と立ち上がった。


「いいよ。ふたりはちゃんと部活して帰りなよ」なるべく平静を装いながら手を振る。少し寂しそうな表情になっている佳奈を見て「ごめん。後で電話するから」と心の中で謝った。「悪いね。また明日」と言い部室を後にした。

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