第18話「結果オーライかな」

「ふー、疲れたー。ちょっと休憩するね」


 そう言うと、柚葉は脇に避けていたコップを手に取り、お茶を一口飲んだ。夏帆たちと議論を続けながらも、ずっと目の端で浩介と志穂の様子を気にしてはいた。ひとりで娘の世話をしている夫に「ごめんね、浩介」と謝ると、浩介は目をパチクリとさせながら「何が?」と言っていた。


「いや……うーん、まぁいいか」


 今までも、時折浩介に志穂の面倒をお願いしたことがあったが、毎度この調子だったことを思い出した。いつもはありがたいと思っていたが、今日は……。いや、夫の献身的な協力に愚痴を言うのはフェアじゃない。少なくとも、自分は好き勝手にやっていたんだから、文句を言うのはおかしい。


「浩介も参加しておいでよ」代わりにそう提案してみた。浩介はやや眉を上げて驚いた表情をしていたが「いや、俺はいいよ」と少し困った顔をする。それを見た柚葉は、露骨に顔をしかめて「いいから。ほら、志穂ちゃん、今度はお母さんと遊ぼ」と浩介の膝から娘を持ち上げると「なに? 本を読むの?」と言った。


 志穂は「うん」と嬉しそうに言うと「あのね。おかーさんのゆめは、しょーせつか?」と聞いてきた。一瞬「え、なに? どゆこと?」と脈略のない娘の問いかけに混乱しつつも、浩介の顔を見た。とっさに浩介が顔をそらす。ははーん、と勝手に納得し「そうだねぇ。そうかもねぇ」と志穂の頭を撫でる。


 志穂は嬉しそうにしながら「あのね。おとーさんのゆめは、しほがしょーせつかになることなんだって」と言う。それを聞いた柚葉は、再び浩介の顔を見る。しかし浩介はそっぽを向いたまま、視線を合わせようとしない。むむむ……。


 一体どういう会話で、こんなことになったのかは分からないけど、どうしてそんなことを言うのよ……。ジッと浩介を睨んでいると、志穂が「おかーさん?」と心配そうに見上げてきた。「あ、ごめんごめん」もう一度志穂の頭を撫でてやる。


 ネコのように身体をくねらせながら喜ぶと、志穂は「ねね、おかーさん」と言う。「しほのゆめもきいて?」と言うので「志穂ちゃんの夢は何かなぁ?」と聞くと「おとーさんがしょーせつかになること!」と持っていた本を掲げながら大きな声で言った。


 部屋の中に響くほどの声だったので、柚葉は思わずドキッとして慌てて志穂の口を手で押さえた。周りを見ると、机に座っていた夏帆たちも、こちらを振り向きポカーンという表情になっていた。「ごめんねぇ」と苦笑いし「大きな声、出しちゃ駄目でしょ」と口に人差し指を当てて、しーっと言った。


 志穂が柚葉の仕草を真似て「しー」と言っているのを見て、思わず笑ってしまったが「あ、そう言えば」と浩介の方へ視線を向けた。浩介は肩肘をついて、微笑ましい光景を見るような表情になっていたが、柚葉にジロッと睨まれて慌てて背筋を伸ばす。


(ほら、行っておいで)とアゴで机を指すと、浩介は頭をかきながら困っている様子だった。机に半分ほど身を乗り出しながらも、振り向いてその様子を見ていた夏帆が「浩介さん」と手招きする。腕組みしてあぐらをかいている遼太郎も「浩介氏の小説も見せて欲しい」と言い出した。


 それを聞いた浩介は「やれやれ」と言った感じで立ち上がると、バッグからタブレットを取り出して机に向かった。遼太郎の隣に座ると「まだ途中なんですけどね」とタブレットを操作して、小説を表示させる。


 机の上に置かれたタブレットを遼太郎が机の中央に置き直すと、夏帆、佳奈、嗣人がグッと身を乗り出して無言で読み始めた。


「おい、夏帆。ちょっと邪魔。俺が読めないだろう」

「遼太郎こそ、もうちょっとそっち行ってよ。くっつき過ぎだって」夏帆はそう言うと、遼太郎の頭を掴んで押し戻す。

それを見た佳奈が苦笑いし「名護先輩、逆向きになっていますけど、読めます?」と、隣の嗣人に聞いた。

「あ、大丈夫だよ。佳奈ちゃんの方こそ大丈夫?」

「こら遼太郎、今度は佳奈ちゃんに近づきすぎだって。佳奈ちゃん困ってるじゃない」夏帆は遼太郎の肩を掴んで、今度は自分の方へと引き寄せた。体勢が崩れそうになって、思わず夏帆の膝を掴む。「ちょっ、どこ触ってるのよ!?」

「そんなこと言われてもな……。俺はどうすればいいんだ……」

「順番に読まない?」嗣人の提案に「これ、どこかに転送できないでしょうか?」と佳奈が答えるように言う。

「確か、ノベステに投稿しても非公開状態にすれば、限定で読めるようにできたはずだが」遼太郎がそう言って、スマホを操作する。「あ、あったこれだ」と浩介に画面を見せた。


 それを見た浩介が「あぁ、そんな機能があったんですね」と感心しながらも、タブレットを操作し始めた。「流石、ノベステ歴だけは長いだけあるわね」ドヤ顔になっている遼太郎に、夏帆が厭味ったらしく言う。遼太郎も「だけ、とはなんだ。だけとは!」と抗議声を上げ応酬すると、夏帆が笑い、釣られて浩介と佳奈も笑い始めた。


 その様子を見ていた柚葉は少しだけホッとしていた。合宿に参加すると決めた時から、浩介はどこか斜に構えている感じがしていた。この宿を手配する時は、張り切っていたように見えていたが、今から思えば、それも保護者的な立ち回りだったように思えてくる。


 もちろん、このグループの中では年長者に属するのは間違いないわけで、そういう役割を買って出てくれるのはありがたいことだし、柚葉にしてみても、夏帆たちからすれば「社会人の年上のお姉さん」なわけであるから、管理面で責任は感じている。


 ただ、それはあくまでも宿の手配だったり、交通手段の確保だったり、海で遊んでいる時の安全確保だったりすることだと思っている。こと小説を書く、小説の議論をする時には、みんな平等だと思っていた。


 昼間、浩介がずっとビーチで寝転んで本を読んだりしていたことは、しょうがないと思っている。でも、せっかくこうやってお互いの小説を読み合って、意見を聞いたり出したりする機会があるのだから、そこはもっと積極的に参加して欲しいと思っていた。そういう意味でも、先陣を切って参加したのだったが、一向についてこようとしてこない浩介に、柚葉は少し苛立ちを覚えていた。


「ま、結果オーライかな」


 机を囲んで、アップロードされた浩介の小説を読んでいる夏帆たちを見て、思わずそうつぶやいた。「おかーさん、つづき」隣にちょこんと座っている志穂が、袖を引っ張ってせがむのを聞いて「あ、ごめんごめん」と、本の続きを読み聞かせた。


 これできっと上手くいく。そう思った。ほんのひと押しが必要だっただけ。後は坂道を転がるように、動き出すはずだ。


 そう思っていた柚葉の期待は、翌日には脆くも崩れ去る。




 昨夜、遅くまで机を囲み、あーでもないこーでもないとやっていたせいか、全員が目を覚ました時には、すでにお昼前になっていた。「なんか疲れちゃったね」という夏帆に、皆賛同し、その日は午後から部屋でのんびりしようということになった。


 そうは言っても、小説を書くことが好きで好きでたまらない集団。お昼ごはんを食べた直後は、各々転がって本を読んだり、ぼけーっと海を眺めたりしていたが、しばらくすると飽きてきたらしく、誰ともなく机に集まると、昨夜の続きを始めだした。


 柚葉も昨晩同様、積極的に参加し、高校生たちと一歩も譲らぬ議論を続けていた。


「ここ! この主人公とヒロインの会話シーンなんだけど、主人公の心情が書かれてないから、これじゃただのワガママな人になっちゃってない?」柚葉の指摘に、夏帆は大きくうなずいた。

「そうですよね。って言うか、そもそも主人公の1人称視点の小説の割には、客観的なことばかり書かれていて、全体的に主人公が何考えているのかが、分かりづらいですよ」

「あ、いや。それは――」

「確かにそうかもですねぇ。数ページ前まで『俺は勇者にはなれない』って言ってたのに、ここだと急に乗り気になっていますからね」佳奈も机に広げられた紙をめくりながら、そう言った。

嗣人はアゴに手を当てて考え込んでいたが、やがて「俺はそういう作風なのかなぁ、と思ってたけど……。まぁ言われてみてば、確かにそうかも。場当たり的というか、ストーリーありきで主人公たちの行動が決められているような」と同意する。

「だから、それはだな――」

「でしょ! 変な描写は多いのに、主人公がどう思ったとか、どう感じたと言うのが書かれてないのよね」

「ま、全体の流れが分からなくなるほどではないんだけどね。これじゃキャラクターに感情移入できないよね」

「結構魅力的、と言うか、折角キャラが立っているんですけどねぇ」

「そうだな、ちょっと勿体無いかも。もう少しどこか削って……この伏線っぽいのとかなくしていけば、同じ文量でも書き込めると思うんだけど」


「お前ら、ちょっと俺の話も聞けっ!!」

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