第17話「しほのゆめはね」
夏合宿で、宿泊する施設を決めるのは、思っていた以上に困難を極めた。夏帆から依頼された嗣人が、片っ端から当ってみたのだが「料金・宿泊期間・人数」の3つの項目を満たすものが、なかなか見つからなかったのだ。
「1泊2日程度なら、なんとかなりそう」と言う嗣人に「2日じゃ、ただの旅行になっちゃう」と夏帆は反対した。「最低でも1週間」という条件が最も難しく、7人が1週間宿泊でき、かつ料金的にもリーズナブルというのは、シーズン中の観光地ではあり得ない条件だった。
困り果てた嗣人が音を上げて、夏帆も探すことになった。柚葉の小説を見ている時に、何気なく「どこか良い所知りませんか?」と尋ねたのがきっかけになった。帰宅した柚葉が夕食時に「――という感じで、困ってるらしいのよね」と言うと、浩介は「あぁ、そう言えば、うちの会社の保養施設ってガラガラだって言ってたような」ということを思い出した。
それでも、既に夏休みに入っており「流石に難しいだろう」と思いつつも、一応総務課に行ってみた。浩介の予想に反して、予約はほとんど入っていなかった。会社の保養施設と言っても、随分古い施設であり、好んで泊まりにいく者もいないそうだ。
「知り合い込みでも良いのか?」と尋ねると「社員が同伴すれば、全く問題ない」という答えだったので、その場で柚葉に電話し、予約することになった。
「ちょっと古い宿なんだけど」と自嘲気味に言う浩介に「いいじゃないですか! だって、遊びに来た……のもあるけど、半分は小説合宿が目的なんですから」と夏帆は答えた。嗣人や佳奈も「古いって聞いてたからどんなのかと思ってましたが、十分すぎるほどですよ」と言ってくれているのを聞いて「なんだか気を使わせてるようだな」と申し訳ない気持ちになりつつも、部屋の中ではしゃいでいる志穂を見て「ま、よかったのかな」と思った。
「疲っかれたぁー!」
夕方になり宿に戻ってくると、夏帆は畳の上に大の字に寝転んだ。宿、というだけあって個室はなく、借りられたのは大部屋一部屋だけだったが、7人で泊まるには広すぎるほどだった。到着した時は「これ、着替えとかどうするんだ?」と浩介は焦ったが、ふすまで仕切れるようになっていることに気づき、ホッと胸をなで下ろした。
「言っとくけど、覗いたら殺すわよ」
そう言って、ふすまを閉める夏帆に「なんで、俺の方を見ながら言うんだ!」と遼太郎が抗議の声を上げていた。
「あんたが一番怪しいからよ」
「安心しろ、夏帆。お前の着替えなど、なんの興味もない」
「ちょっ、それどういう意味よ!?」
「……なぜ怒る!? 覗くなと入ったのは、お前の方だろう?」
「うるさい!」
「覗いて欲しくはないが『興味がない』と言われるのは気に食わない。そういうこ――」遼太郎の顔に、夏帆が投げた枕がバスンと当たった。
「おま……。何すんだ!?」
「ふん、ばーか」そう言い残すと、ふすまが音を立てて閉まった。
「意味が分からん」とふてくされる遼太郎に「なんか、すみません」と嗣人が謝っていた。
「いや、嗣人君は悪くないぞ。諸悪の根源は、夏帆だからな」
「でも、本気で怒ってるわけじゃないと思いますから。きっとはしゃいでいるんですよ」
「ふん、志穂ちゃんくらいならはしゃいでても可愛げがあるのだが……ひぃっ」
遼太郎の情けない悲鳴を聞いて、浩介が思わず顔を上げると、数センチほど開いたふすまから、ひとつの睨みつけるような目が覗いているのが見えた。それを見た浩介も、思わず「うわっ」とのけぞる。
「それ以上言ったら……」と夏帆が言うのを聞いて「すみませんでした」と遼太郎と嗣人が同時に謝った。浩介は、妙に息が合っているふたりを見て「ちょっと仲良くなったみたいだな」と嬉しくなった。
道中の車の中では心配になっていたが、取り越し苦労だったようだ。浩介自身も、浜辺で嗣人や佳奈と多少は話をして、随分打ち解けてきた。柚葉には「浩介も参加者なんだから」と言われたが、どうしてもそうは思えないでいた。
歳だけで言えば浩介は遼太郎と、ほぼ同い年だったが、社会人ということもあるし、宿の手配をしたり、運転手を買って出たりしているうちに「保護者」という立場だと感じていた。だから、元々接点のなかった者同士が、早い段階で打ち解けているのを見て、ホッとしたのも事実だった。
風呂に入り、食堂で夕食を済ませると、夏帆たち文芸部はテーブルを囲み、早速お互いの小説を見せ合っていた。そこに「私も混ぜてっ」と柚葉が加わり「あんたも来なさい」と夏帆に言われて遼太郎も加わっていた。
浩介は、どうしたものかなと思っていたが、志穂が「おとーさん、あそんで!」と言って膝の上に乗ってきたので「よし、何して遊ぶ?」とそれに付き合うことにした。「ほん、よんで!」と、いつの間に入れたあったのか、カバンから数冊の本を持ってきた。
それは小学生向けの本だったが、絵などは少なく「志穂、これでいいの?」と思わず聞いてしまう。志穂は、コクンとうなずいて「よんで!」とせがんだ。読み聞かせることは、家では柚葉がよくやっていて浩介はあまりやらない。だいたい食後の皿洗いをしている時に、柚葉が読んであげているのを聞いていることが多かった。
てっきり絵本だと思っていた浩介は「志穂は将来、小説家になれるかもなぁ」と頭を撫でながら言った。
「しょーせつかって、なに?」志穂が見上げながら聞いてきた。
「小説を書く人のことだよ」
「おかーさんはしょうせつか?」
「そうだね」
「なつほおねーちゃんも、かなおねーちゃんも、つぐとおにーちゃんもしょーせつか?」
「うん。みんなそうだね」
「りょーたろーおじちゃんも?」
「おじちゃんもそうだよ」
「おとーさんは?」
「おとうさんは……」そう言いながら、浩介は思わず口を閉ざす。柚葉に「小説を書いている」と言った。でも、それはあくまでも暇な時にやっている趣味の範囲のことだ。もちろん、ノベステ大賞などにも応募したいとは思っているが、そこまで熱中しているわけでもない。最近も、どちらかと言うと、小説を書いている時間よりも読んでいる時間の方が多いくらいだ。
机を囲み、あーでもない、こーでもないと議論している柚葉を見た。元々、柚葉は小説を読むこともあまりなかったし、書くことなどは一切していなかった。それを浩介の夢だと知った時から、彼女自身が「私もやる」と言ってやりだしたことだ。そして、今や自分よりも熱心にやっている。
「なんで、あんなに一生懸命になれるんだろう」と浩介は思った。浩介にとって、小説を書くことは趣味であり、書いた小説が本になったり賞を獲ったりすることは夢だった。でも、柚葉を見ていると、そこまで一生懸命だったろうか、という疑問が湧いてくる。
高校生のころはそうだったかもしれない。夢は「絶対叶えたいもの」だった。それが大学生になり、就職し社会人になって、徐々に「叶ったらいいなぁ」というものに変わってきていた。夢を追いかけるよりも、仕事で昇進して給料を上げたり、志穂や柚葉が幸せになれるように、ということを考えることの方が大切になっていた。
それが間違っていることだとは思わない。ただ、柚葉を見ていると、言葉では言い表せない感情がこみ上げてくるのを感じた。
「おとーさん、よんでー」
膝の上で手足をバタバタさせながら、ぷうっと頬を膨らませている志穂に「あぁ、ごめんごめん」と謝って「じゃ、いくぞぉ」とページをめくった。
「昔々、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました」
「でも、ここは主人公の感情っていうのをキチンと表現しておいた方が良いんじゃない?」テーブルでは、柚葉が広げた紙を見ながらそんなことを言っていた。
「おじいさんとおばあさんは、とても仲良くくらしていましたが、おじいさんには少しだけ気がかりなことがありました」
「じゃ、こんな感じでどうかな? うーん……。あ、そうかぁ。難しいなぁ」紙に何か書き込んでいた。
「若い頃のおじいさんには、夢がありました」
「ゆめってなに?」志穂が首を傾ける。
「夢っていうのはね……。うーん、叶えたいこと、したいこと、かな?」
「しょーせつかは、ゆめ?」
「うん、そうだね。お母さんや、お姉ちゃんたちの夢かな」
「おとーさんのゆめは?」
予想していたとは言え、娘の言葉に思わずドキッとした。「同じだよ」と答えればいいと思った。しかし、その言葉が口から出てこない。「お父さんの夢はね……」テーブルで苦しそうに、それでも楽しそうに議論をしている柚葉を見た。柚葉だけではなく、夏帆も嗣人も佳奈も遼太郎も、同じように熱く語り合っていた。
「おとーさん?」
いつの間にか志穂がこちらを向いて、浩介の襟元を掴んでいた。不思議そうに見つめる娘に、浩介は適当な返事ができないと思った。
「お父さんの夢はね。志穂が将来、小説家になってくれることかな」そう言うと、志穂の顔がパッと明るくなった。「うん、なる。ぜったいなる!」と襟元をくちゃくちゃにしながら、嬉しそうに言った。「じゃぁ、それが志穂の夢だね」頭を撫でながらそう言うと、志穂は首を振った。
「しほのゆめはね、おとーさんがしょーせつかになること!」
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