第16話「三つ巴……か」

「これは体の良い運転要員なんじゃないか……」


 車のハンドルを握りながら、浩介はぼやいていた。「そんなことないわよ。あなただって、ちゃんと参加者なんだからね」と助手席に座っている柚葉に言われて「そう言われてもなぁ」と思う。


 浩介たちは、夏帆たち一行と海へと向かう途中だった。ワンボックスカーの前列に浩介、柚葉。2列目の座席には、娘の志穂と夏帆に佳奈が仲良く並んで座っていて、最後部には遼太郎に嗣人が窮屈そうに収まっていた。


 ジュニアシートにちょこんと腰掛けた志穂は、早速お姉さん二人と仲良くなったらしく、キャッキャとはしゃいでいる。夏帆も佳奈も「志穂ちゃーん、アメ食べる?」とか「ほら、凄いよ。海が見えるよぉ」などと、上手にあやしてくれているおかげで、浩介は一安心できていた。


 対象的なのが最高部に押し込められている遼太郎と嗣人で、遼太郎が一方的に何か熱く語っているのを、嗣人が苦笑いしながら相槌を打っている様子がバックミラーで確認できた。


「お義兄さん、大丈夫かなぁ?」浩介が心配そうに言うと、柚葉はそっと振り向いて確認し「兄貴は大丈夫でしょ。それよりも嗣人君が心配かも」と答えた。それを聞いて浩介は苦笑いする。こうして柚葉と他愛もない会話をしているお陰で、運転には集中できていたが、それでも朝からぶっ通しで運転しているせいか、少しだけ疲れを感じ始めていた。


 信号待ちを利用して、首をゆっくりと左右に傾けていると「大丈夫? 代わろうか?」と柚葉が尋ねてきた。浩介は慌てて「い、いや。いい」とハンドルを握りしめる。当然、何度も柚葉の運転は経験しているものの、かなり安全運転の浩介に対して、柚葉はアグレッシブな運転をすることがあった。


 もちろん、危険な運転というわけでないし、柚葉が事故や違反をしたこともなかったのだが、浩介は出来れば勘弁して欲しいと思っていた。「それにしても、変な取り合わせだよな」話題を変えようと、再びバックミラーを覗き込んだ。


「夫婦に娘。妻の兄。兄の知り合いと、その部活仲間。そんなに変かな?」柚葉は何がおかしいのかという表情でそう聞く。

「うーん、まぁ……」

 さも当たり前のように言われると「そうかな」という気もしてくる。ただ、柚葉に言われて改めて分かったのだが、この関係の構造は浩介たち「滝本家」と、夏帆たち「文芸部」に二分される。その中心、両側を取り持っているのが遼太郎という図式だ。


 夏帆たち文芸部がこの夏合宿を企画し、遼太郎を通じて知り合った柚葉が誘われた結果、こうしてここに来ている。話を聞いた当初は「お前、高校生に小説を習ってるのか」と呆れたが、夏帆がノベステ大賞佳作の受賞者だと知ると、少し見る目も変わってきていた。


 そう考えると、なんだか不思議な感じがしてきた。浩介にとって遼太郎は、柚葉との結婚前、結婚後を通じて「妻の兄」ながら「親戚なのに遠い人」という存在だった。お互いの付き合いもほとんどなく、柚葉の家を訪ねた際に、たまに顔を合わして挨拶をするくらい。


 そのつっけんどんな態度に、一時期は「嫌われてるのかな?」と思ったことさえあったが、柚葉が「あの人は元々そういう人だから」と言うのを聞いたり、実際に数年間付き合ってみて「そういうものか」と思い始めていた。


 ところが、先日遼太郎が家を訪ねて来た時から、状況が少しづつ変わってきた。小説を通じて二人は意気投合し、時折自分の書いた小説を見せるようにもなってきていた。と言っても、そのほとんどは遼太郎の小説を浩介が読んで感想を聞かせるというもので、浩介の小説を見せたことはほとんどない。


「そろそろ……」と浩介が思った時、後部座席から「あっ! あれじゃない!? 目的地の海岸って」という夏帆の声が聞こえてきた。夏帆は志穂に「ほら、見える? 凄いねぇ、きれいだねぇ」と言っていた。一緒になって喜んでいる娘を見て、浩介は「ま、たまには家族サービス的なのも良いものだ」と思い始めていた。




   * * *



「これは何と言うか……」


 浜辺に刺したパラソルの下で寝転びながら、浩介は思わず独り言を漏らしていた。目の前、数メートル先には水際で遊ぶ娘の姿。波に向かって果敢に走っていき、その飛沫を浴びながら大はしゃぎしている。志穂は元々、柚葉に似たのか明るい性格の娘だったが、いつも以上に楽しそうににしているのを見て、浩介は改めて「来てよかったな」と思っていた。


「なつほおねーちゃん! かなおねーちゃん! みてみて!!」


 そう言って、何か海藻のようなものを掲げていた。浩介が、娘の楽しそうな様子を見て癒やされている反面、戸惑いを感じていたのは、その隣で一緒に遊んでくれているふたりの女子高校生の水着姿だった。


 妻子あり、と言えども、浩介は二十代中盤。久々に見た柚葉の水着姿にも、一瞬見とれてしまったが、やはりそれとこれとは違うというものだ。思わず目のやり場に困ってしまい、バッグから持ってきた小説を取り出すとページをめくり始めた。


 一方、隣に座っている遼太郎は、先程から目を皿のようにして、夏帆たちを凝視していた。横目でその様子を伺いつつ「それは流石にお義兄さん……」と心配になっていた。大丈夫なのだろうかと思っていると、やがて危惧したとおりに「ちょっと、遼太郎! さっきから何じっと見てんのよ!」という夏帆の声が聞こえてきた。


「だっ、誰もお前の貧相な身体など、見てはいない!」

「ちょっ……。誰が貧相だって!?」

「自覚症状がないとは、かわいそうに」

「ふーん、私じゃないってことは……佳奈ちゃんの水着姿に見とれてたってこと?」夏帆の言葉に、佳奈は思わず「えっ!?」と胸元を隠すように怯えた。

「ちがっ……違う……。俺はそんな失礼なことはしない」

「さっきと態度が違うじゃない……。あ、もしかして……嗣人の……?」

「は?」夏帆たちと一緒になって遊んでいた嗣人は、一瞬呆けたような表情になったが、すぐに佳奈の真似をして、さっと胸元を隠しておどけた。

 

 その様子に、思わず浩介も大笑いしたのだったが、すぐ目の前まで歩いてきた夏帆が「それとも、志穂ちゃんに……とか言うんじゃないでしょうね?」と、じっと睨みながら言うのを聞いて「お、お義兄さん!?」と慌てた。


「違うっ!! 夏帆、お前! 冗談でもそういうことを言っちゃいかん!」

「ちょっと、冗談だってば。そんなに否定しなくてもいいじゃない? なんか必死過ぎて、逆にちょっと――」

「だから、そういうんじゃないての!」


 顔を真赤にしながら抗議する遼太郎を見て、浩介の隣に座っていた柚葉が「なんか、私。この話題の蚊帳の外になっている気がする」とつぶやいた。それを聞いた夏帆が「いやぁ、柚葉さん。スタイル良すぎて、逆にいじれないって感じじゃないですか」とフォローする。


 うんうん、とうなずく浩介。しかし、隣で同じようにうなずいている遼太郎に、思わず「お義兄さん……まさか。実の妹ですよ」と顔面蒼白になった。それに気づいた遼太郎は「あぁ。違う違う」と言う。「妹の水着姿なんてどうでもいい。あんなものに見とれたりはしない」


「ちょっと、さっきからあんたたち言いたい放題だよね」見上げると、夏帆と柚葉が鬼の形相になっていた。7歳も年下の女子と妻に睨まれて、思わず震え上がる浩介。「バツとして、ふたりでお昼ごはん買ってきなさい」という要求にも、素直に従わざるを得なかった。


 遼太郎は、それでもまだ何か言いたげだったが「何? 何か言いたいことあるの?」と夏帆から詰め寄られると「いえ。何でもないです」と慌てて浩介の後を追った。「横暴だ!」と、夏帆たちに聞こえないほどの距離になってから言い出す遼太郎に、浩介は苦笑いするしかなかった。


 焼きそばやジュースを抱えて戻ってくると、志穂は相変わらず波打ち際で、夏帆と遊んでいた。すっかり懐いている様子を見てホッとする反面、なんだか夏帆たちに面倒を押しつつけているようで、少しだけ申し訳ない気もしてくる。


 数メートルほど沖合では、嗣人と佳奈が手を取り合っていた。どうやら泳げない佳奈に嗣人が手ほどきをしているようだ。よくよく見てみると、佳奈が水中に顔をつけている間だけ、嗣人はチラチラと夏帆の方を気にしているようだった。佳奈もそのことに気づいている様子で、時折見せる笑顔がぎこちない。


「おやおや、これは……」浩介は思わず立ち止まり、その様子に釘付けになった。「三つ巴……か」とつぶやくと、遼太郎は「普通、すぐ気づきますよね」と言った。うなずくと、遼太郎はため息をついた。「それなのに、あのバカは……」何のことかわからない浩介は、思わず目をパチクリとするが、すぐに事情を飲み込んで「あぁ……」と納得し、視線を海へ向ける。


「ややこしそうですね」

「確かに。ひとり鈍感なのがいて、そいつが一番ややこしくしてる」


 遼太郎はブツブツと文句を言っていたが、その表情を見て「怒っているわけでもなさそうだ」と浩介は思った。そして「これは、想像以上にややこしいことになっていそうだ」とも思ったが、それは心に秘めておくことにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます