第15話「これでも乙女」
期末試験後の日曜日。バイトを終えて、書店を後にしたことろで、夏帆は遼太郎から呼び止められた。
「少し付き合えよ」と言う遼太郎に、夏帆は「今日はちょっと」と顔をそむけた。
「お前、いつもは俺に『待ってろ』とか言うくせに、俺が言った時には駄目だとか身勝手だろ」そう言って夏帆の前に立ちはだかった。「そんなに時間は取らせないから、少しだけ付き合え」
いつものコーヒーショップで、夏帆と向き合って座った遼太郎は、開口一番「どうして更新が止まってるんだ?」と切り出した。
それまでの夏帆は、ほぼ3日に1話のペースで投稿を続けていた。しかし、2週間ほど前から投稿は途絶えていた。ちょうど、編集部の小畑と電話をした辺りからだ。心配する嗣人と佳奈には「大丈夫だって。そういうこともあるし、今度のノベステ大賞で、あっと言わせてやればいいのよ」と言っていたが、いざパソコンの前に座ると、キーボードを打つ手が止まってしまっていた。
それでもなんとか頑張って、数話書いてみた。嗣人と佳奈に見せると、ふたりとも「相変わらず面白い」と言ってくれた。しかし、夏帆はその言葉が信じられなくなっていた。自分自身で読み返してみても、前のように書けていないと感じていた。
何がどう違うのか、と言われると分からなかったが、まるで自分の文章ではないように感じられ、こんなものを公開していいのだろうかと迷ってしまう。何度か投稿寸前までいったこともあったが、結局できなかった。
「なぁ、なんで投稿してないんだ? まさか、俺のように公募に出すからとか言うわけじゃないだろう?」
「……うん。それは違う」
「じゃぁ、なんで?」
「それは……」
夏帆はぽつりぽつりと、最近の出来事を語り始めた。遼太郎に言われたことから、人の気持ちを考えてないことに気がついたこと。それが編集部に見放されたことに繋がっているのではないかということ。そういうことを考えていると、もう小説を書くことを止めた方が良いのかな、と思ったこと……。
夏帆の話を黙って聞いていた遼太郎は「案外、ナイーブなんだな」と言った。
「案外って何よ。これでも乙女なんだから」
「自分で乙女とか……言うか、普通」
「じょ、冗談に決まってるじゃない!」遼太郎の言葉に思わず顔を赤くする。
「ふん。そんなの俺に比べれば、なんてことないぞ。俺なんて、もう編集部の中では厄介者扱いされているからな」
「そんなこと自慢気に言われてもね」
「ちなみに、その編集部の小畑ってやつな。ずっと前は俺の担当もしてたやつだ」
「えっ、そうなの?」
「あぁ、俺の時も『君の作品が悪いって言ってるんじゃないんだよ』とか都合のいいことばかり言って、結局それっきりだ。あいつはそういう奴だから、真に受ける方が悪い」
いつもの遼太郎の口調に、夏帆は思わず笑ってしまった。「ねぇ、遼太郎」アイスコーヒーのグラスに結露した水を指で撫でながら、夏帆は聞いた。「遼太郎は、どうして小説を書き続けているの?」
その問いに、遼太郎は若干面食らった表情になったが、すぐに「お、俺のことは……どうでもいいだろう」と誤魔化す。そして「人に聞く時は、まず自分のことから言うべきではないか」と、もっともらしいことを言った。
「私はね……。本格的に書き出したのは、高校に入ってからなんだけど、中学校の時にも時々は書いていたのよね。それで、その時もネット上に投稿してたんだけど……」
「ノベステ?」遼太郎が聞くと、夏帆は首を横に振った。
「ううん。当時もノベステはあったんだけど、まだ有名じゃなくって。『BookBox』ってサイトだったと思うんだけど」
「あぁ『B・B』か」
「あ、そうそう。B・Bって略されてたよね。そこに投稿してたのよね」
「え、そうなのか?」少しぎこちない様子で遼太郎が聞く。夏帆はうなずいて話を続けた。
「それで、書いた小説を投稿してたんだけど、当時は時間もなかったし、書き方もよく分かってなかったから、ほとんど読んでくれる人がいなかったんだよね」
夏帆の言葉に、遼太郎は深く深くうなずく。なんだか、妙に気持ちが入っているな、と夏帆は思いつつも話を続けた。
「いくつか投稿して、少し挫折しそうになっていた時に、コメント欄で励ましてくれた人がいたんだよね。『まだまだ荒削りだけど、悪くないぞ』とか『もっと書きまくれば、俺のように書けるようになるから』とかね」
「……ふーん。て言うか、それ励ましてんのか?」
「ははは……。だよねぇ。でも、当時はそれでも嬉しかったんだよね。だって、誰にも読んでもらえない、誰にも感想をもらえないのって辛いじゃない? だから、投稿する度にコメントをくれた、その人には感謝しているんだ」
「確かB・Bって、もうなくなったろ?」
「うん、ノベステが有名になってきてからは、投稿者も読者も減っちゃって、閉鎖されちゃったよね。でも、閉鎖前にその人と『将来、絶対小説家になろう』って約束したんだよね。今は他にも色々、書く理由はあるけど、始めはそれが原動力になった……んだと思う」
「そんな約束……。B・Bが閉鎖されたら、果たされたのかどうか分からないじゃないか」
「だから、私は今でもその時のペンネーム使ってるんだよ」
「……”ネコ先生”?」遼太郎が聞く。
「そう。でも、その人の使ってたペンネーム、ノベステや他の投稿サイトで探してみたんだけど、どこにも見つからないんだよね。だから、遼太郎の言っているように、約束が果たせたのかどうかは、分からない」
「なんだそれ? 結局そうなるのかよ。で、その人のペンネームって……?」
「ええっと、確か”筆丸先生”」
「……お前と言い、そいつと言い『先生先生』って……。そういうの流行っているのか?」
「あー。まぁ、私の方が真似て付け直したんだよね。元々は、ただの”ネコ”だったから」
遼太郎は、既に中身がなくなっているグラスを傾けて、氷を口に放り込んだ。ガリガリと噛み砕きながら、何やら考えている。夏帆は、遼太郎に話したことで、自分の原点を再確認することができたが、それでも気分は晴れてこなかった。
あの時の”筆丸先生”が、今必要だと思った。嗣人や佳奈も、夏帆を励ましてくれたし、それをありがたいと思っていたが、何か違うような気がしていた。もっと本音で語ってくれるような……。
ふと遼太郎を見つめる。
遼太郎は、またグラスを傾けていたが、既に氷がなくなってしまって「チッ」と舌打ちをしていた。それがおかしくて少し笑うと「私の分、いる?」とグラスを差し出した。「別に、氷好きってわけじゃないんだが」と言いながらも、素直にそれを受け取って、再び、ガリガリと噛んでいる。
居心地が悪くなり「もう帰ろうかな、帰っていいのかな」と思い始めた頃、遼太郎がようやく口を開いた。
「小説を書くことは、夏帆にとって何なんだ?」
「人に聞く時は自分から、じゃないの?」そう言うと、遼太郎はやや悔しそうな顔をした。
「俺にとって、小説家になることは夢だ」自信たっぷりにそう答えた。
夏帆はそれを聞いて「私も同じだよ」と短く言う。「私にとっても、小説家は夢」と付け加えながら、語尾に「だった」と付けるべきか迷った。遼太郎は、それをフンと鼻で笑って、空になったグラスをタンッとテーブルに置いた。
「そんなことくらいで、諦めるものを夢とは言わない!」
その言葉に夏帆はハッとなった。しかし、納得いかない部分もあった。
「でも、夢は夢じゃない! 諦めなきゃいけない時だってあるでしょ!?」
「違う」夏帆の反論に、遼太郎ははっきりと否定した。
「夢っていうのは、生涯を通じて追っていくものなんだ。簡単に達成できるものじゃない。どうやって実現できるのかも分からない。そういうものが夢って言うんだ」
「そんなあやふやな……」
「そうだ。夢っていうのはあやふやだ。はっきりしていない。ぼやっとしている。人に説明なんかできない。だから、その夢を実現するために、目標を決めてひとつひとつ頑張っていくんじゃないか。『そんな高い所に登れるわけがない』と笑われたって、一段一段石を積み重ねていくんだ。諦めるっていうことは、それを放棄することだ」
いつになく真剣な表情の遼太郎に、夏帆は圧倒されつつあった。口を挟もうと、反論をしようとしたが、言葉が出てこない。
「誰かに否定された? 『面白くない。才能がない』と断定された? そんなものがなんだって言うんだ。他人の夢じゃない、お前の夢だろ? お前の夢はお前にしか諦められないし、否定できない。それでも諦めるって言うのならば、俺は止めないがな」
夏帆はうつむいた。組んだ両手が徐々に滲んで見えた。そこへポタポタと雫が落ちる。
「……って、おい。泣いているのか?」
さっきまでの堂々とした態度はなくなり、途端に遼太郎が慌てふためく。周囲の客も異変に気づいたらしく「どうしたの?」「なんか、男が女の子を泣かせてるみたい」「痴話喧嘩?」「別れ話かもよ?」「酷い」と、ささやく声が聞こえてきた。
それを聞いた遼太郎は更に慌てて、中腰になるとポケットからハンカチを取り出し「これ」と夏帆に手渡した。夏帆は黙ってうなずき、それで涙を拭いた。そして「遼太郎、これ……しわくちゃじゃない」と言って、少しだけ笑った。
「ありがと」そう言うと、夏帆はハンカチをトートバッグにしまった。「洗濯して返すから」
遼太郎は「勝手にしろ」と言ったが、少し居心地が悪そうな感じで、モジモジとしていた。夏帆は妙にそれがおかしくて、思わず笑ってしまう。
「泣いたり、笑ったり、忙しいやつだ」遼太郎はふてくされたような表情になった。「しかし、少し元気になってよかったな」
それを聞いた夏帆は、大きくうなずいた。
「ありがとう。私、頑張るよ。もう一度、ちゃんと夢を追いかけるよ」
「おう。その意気だ」
「ねぇ、遼太郎」
「うん? なんだ?」
「一緒に、ノベステ大賞に投稿しようよ」
「いやだから、ノベステは――」
「いいじゃない! 今度一緒に合宿するんだし、目標が同じの方が盛り上がるでしょう? それに公募に出しても、ノベステでも一緒だって」
「うーむ……」
遼太郎は目を閉じ腕組みをして考えていた。そのまま5分くらい動かなかった。夏帆が「寝てるんじゃないの?」と疑うくらい止まっていた。「ちょっと」と夏帆が腰を浮かせて、向かいの席の遼太郎の肩を掴もうとした。その時突然「よし、分かった!」と、遼太郎が目をカッと見開き、身を乗り出す。
ゴツンという鈍い音がして、遼太郎と夏帆の額がぶつかった。「痛ーい」と思わず夏帆が声を上げる。遼太郎は額に両手を当てて「夏帆、石頭すぎ」と文句を言っていた。
周囲の客は、そんな様子に「一体、何なんだ?」と呆れ返っていた。
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