第9話「小説、見てもらって良いですか?」

 佳奈は自分の部屋で、机の上に置かれたノートを眺めながら、疲労感と戦っていた。イスの背もたれに寄りかかりながら「うーん」と背伸びをしてみる。時計の針はすでに寝る時間を超えていた。


「もう寝ようかな」と思って立ち上がり「イテテ」と腰に手をやる。筋肉のついていない痩せ型の佳奈の身体は、高校生には不釣り合いなほど貧弱で、自分自身でもそれは実感していた。無理は禁物、と思いながらベッドへ横たわる。


 三崎佳奈は物心ついたときから病弱な子供で、小学生の時にはグラウンドに整列させられれば必ずと言っていいほど倒れていたし、授業中であっても保健室のお世話になることも多かった。母親はそんな娘を心配して、幾度となく病院へ連れて行ったが、医者からは「栄養のあるものを食べて、しっかり運動して下さい」と言われるだけだった。


 体力がないから倒れやすい。体力をつけようと頑張っても、体力がないので疲れやすく長続きしない。鶏と卵のような問題を抱えていた佳奈だったが、中学校に上がる頃になってくると、いくらか改善してきて一般生活に支障が出ることは少なくなっていった。


 それでも高校生になった今でも、激しい運動や、長時間の活動は休憩を挟む必要があった。ただ今の佳奈にとって、小説を書くことに没頭するということは、身体にとっては無理なことでも、気持ち的にはそうではなかった。


 文芸部に入ったのは偶然だった。入学式を終えて、中学校からの友人を探して校内を歩いている時に、たまたま夏帆に勧誘されたのがきっかけだった。当初は部活などに入るという考え自体、佳奈の中になかったのだが、一方で「このままではいけない」という気持ちもあった。


 それまで、必然的に室内で過ごすことが多かった佳奈にとって、読書は最良の趣味だった。しかし、今まで自分で小説を書こうと思ったことは一度もなかった。夏帆に連れられて行った文芸部の部室で、夏帆や嗣人の書いた小説を見せてもらって「これだ」と直感的に感じた。


 どちらかと言えば受け身の人生を歩んできた佳奈にとって、自分から何かを発信できることがあるかもしれない、と気づいたことだけでも、目の前がパッと開けた思いになれた。その日の内に入部届を提出して、文芸部の一員となった佳奈は、早速小説を書いてみた。


 読んだ本の数だけは自信があった佳奈だったが、実際に書いてみて「思っていた以上に難しいこと」に気がついた。そして「思っていた以上に面白い」ということも知った。慣れない新生活に戸惑い、体調を心配しながらも、佳奈は一ヶ月かけてようやく短編を書き上げることができた。


 恐る恐る夏帆と嗣人に見せた。真剣な表情で読んでいるふたりを見て、心臓が破裂するのではないかと思うくらい緊張したが、夏帆が「すごいね。初めてでこんなに書けるなんて」と驚いてくれているのを見て、何か報われる思いがした。


 しかし、それにもまして、嗣人に褒められたことが佳奈にとっては嬉しかった。夏帆からかけられた言葉と、嗣人からのそれは、客観的に見れば大きな違いはなかったのだが、佳奈にしてみれば全く違うものだと思った。


 昨日のこと。「ちょっと部活動の集会があるから行ってくる」と夏帆が出かけて、部室には佳奈と嗣人だけになった。少し世間話をしたが、すぐに話題が尽きてしまい、佳奈は「何か話さないと」と焦った。先程まで夏帆がいた時も、3人は黙って各々小説を書いていたというのに、嗣人とふたりになった途端、それが耐えられないことのように思えてきた。


 とっさに出た言葉が「あのっ、名護先輩。次の小説ができそうなんですけど、また見てもらっていいですか?」だった。言った直後「なんで、そんな嘘をつくのか」と自分を責めたが、遅かった。「え、もう次ができそうなの? すごいなぁ。いいよ、いつできそう?」と聞く嗣人に「明日には……」と答えるのが精一杯だった。


 昨日の部活の帰り際に、夏帆が「ごめん。明日、急にバイト行かなくちゃいけなくって、部に出られない」と言っていた。結果的にはファインプレーだったが、とは言え、小説を完成させなければならない。佳奈は、ベッドから起き上がると再び机に向かった。


 ノートパソコンの画面を眺める。嗣人に言ったことは完全に嘘というわけではなかったが、実際には途中で詰まってしまっているのが現状だった。学校から帰ってきて、手早く宿題、ご飯、お風呂を済ませると、そこからずっとキーボードと向き合っていた。


 なんとしても、今夜中に完成させないといけない。


 佳奈はもう一度、両手を上げて背を伸ばすと、キーボードを叩き始めた。




     * * *



 翌日の放課後。文芸部の部室で、佳奈は緊張から気を失いそうになっていた。テーブルの向こうには椅子に腰掛けた嗣人がいて、無言でノートパソコンに目を落としていた。膝の上で組んでいた両手をギュッと握る。少し痛かったが、今はそれさえもありがたく思えた。


 結局、深夜まで執筆を続けた佳奈は、明け方まで何度も読み返している内に、いつの間にかテーブルにうつ伏せて寝てしまっていた。いつも起きてくる時間になっても降りてこない娘を心配してやってきた母親に起こされた佳奈は、慌てて支度を整えると学校へと向かった。


 大急ぎで家を出たおかげで、授業が始まるまでにいくらかの時間を取ることができた。本来学校へノートパソコンを持ち込むことは禁止されていたが、部活動で使用するという目的のために特別に許されていた。かと言って、教室で広げるわけにもいかない。急いで部室へ向かい、再度読み返してみた。


 一応小説は完成していた。しかし、自信は持てなかった。一気に書き上げたので、誤字や脱字などの文法的なことはともかく、話の内容がこれでいいのか確証を持てないでいた。部室から教室までは急げば5分。佳奈はギリギリまで読み返した。読み返せば読み返すほど、内容が分からなくなっていた。


 結局そのまま時間切れとなり、放課後、自信のないままこうして嗣人に見せることになってしまった。2万字ほどの短編だったのだが、嗣人は先程から画面を見つめたまま一向に顔を上げようとしない。もしかして、そうとう意味不明なのかも? 佳奈は少し涙ぐみながら、嗣人をじっと見つめていた。


 しばらくすると嗣人は顔を上げた。今にも泣き出しそうな佳奈の表情を見て、慌てて「ごめんごめん」と謝った。「こちらこそ、なんかごめんなさい」佳奈はそう言うと、少し頑張って笑顔をつくった。


「相変わらず良くできてると思うよ」

「えっ、本当ですか!?」

「うん。短編って短いだけに、ストーリーの展開が難しかったり、どこまで書くのかとか制約も多いんだけど、佳奈ちゃんの小説はキレイにまとまっているし、主人公たちの会話もスムーズだしね」

「よかったです……。慌てて書いたから、自分じゃよく分からなくなってて……」

「慌てて?」

「あ、いえいえ。何でもないです。あはは……」

「でも、短編って言ったら普通は、背景の説明が要らない現代ものが多いんだけど、ファンタジーでちゃんと成立している辺り、本当にすごいと思うよ」

「前回が現代ものだったので、今度は趣向を変えてみようかなって……。でも、確かに結構苦労しました」

「だろうねぇ。この小説って、どのくらいの期間で書いたの?」

「ええと……。ごめんなさい……。本当は昨日まで半分くらいしかできてないくって、なんとなく構想はあったんですけど……。だから、全体では前の小説が終わってからすぐですから、半月程度ですけど、半分くらいは昨日晩に書きました」


 それを聞いた嗣人が驚いた顔をする。佳奈はそれが「昨日できたって言ってたのが嘘だと分かったから」なのか、それとも「半分を一晩で書いたこと」なのか分からなかった。嗣人は静かにもう一度画面に目を落とし、しばらくそれを眺めるとやや芝居がかった口調で「驚いたな」と言った。


 それを聞いた佳奈は、先程の疑問が前者だったことに気づき、赤くなった。罪悪感よりも、嘘をついた理由に嗣人が気づいただろうかということで、頭が一杯になった。しかし、その後の嗣人がそれに触れることはなく、話は作品自体へと移っていった。


 佳奈はややがっかりしながらも、少しだけホッとした。ただ嗣人が一向に自分の作品の駄目な部分を指摘しないことに気がついた時、気を使われているのだろうかと、少しムッとした。しかし、あまりに自分の気持ちの移り変わりが激しくなっていることに、恥ずかしくもなったので、黙ってそれを聞いていた。


「いやぁ、それにしてもやっぱりすごいね。やっぱり佳奈ちゃんは才能あると思うよ」


 その言葉を聞いて、例えそれがお世辞だと分かっても、佳奈は嗣人の優しさに感謝した。

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