第8話「小説、書かれるんですか?」
タブレットには「第6回ノベステ大賞募集中」の文字が表示されている。画面を下にスクロールしていくと、その概要が書かれていた。ひときわ大きな文字で「大賞 300万」と書かれているのが目に入る。
柚葉も言っていたように、浩介は元々読書が好きだった。小学生の頃から学校の図書館には毎日のように通っていたし、中学生にもなると休みの日に市立図書館へと通うことも多くなっていった。ようやく自分で書籍を買い始めたのは、高校に入学してからだった。親からもらった昼食代や通学費をやりくりして、浮いたお金を書籍代へと当てた。
ちょうどその頃、インターネットが普及し始めて、浩介は自分でウェブサイトを開設できることを知る。見よう見まねでコードを手打ちし作り上げたウェブサイトは、今のそれからするとお粗末なものだったが、自分の小説をアップロードし、小説を書く人たちのコミュニティにも参加するのには十分なものだった。
自分の書いた小説に他人から感想が付く楽しさ、というのを知ったのもこの頃だった。コミュニティ内での有名人、というには程遠い存在だったが、それでも毎日が充実していると思った。
ところが大学に入ると、それらの活動から足が遠のくようになっていった。その原因は主にアルバイトであった。大学1回生は学業に明け暮れ、2回生は学業とアルバイト、3回生にもなるとアルバイトが生活の中心に躍り出た。
その理由はもちろん、今の妻柚葉の存在だった。いずれにしても、浩介の生活から「小説を書く」という行為は、徐々に自分のものではなくなっていっていた。ただ、小説を読むということ自体は止めることなく細々とながら続けており、書く行為も「いつかまた書けたらな」と諦めているわけでもなかった。
そんな状況が一転したのが5年前。ノベステの登場だ。小説を気軽に投稿できるというウェブサイト自体はこれまでにも存在していたが、大手出版社が乗り出すというのは初めてのことであり、それなりにニュースにもなった。
そのニュースを見たとき、浩介は驚いた。昔のように複雑なコードを書くこともなく、他のサイトを探して相互リンクの申請をすることもなく、ただ小説を投稿すればいいだけ。そうか、世の中はそんなにも進んでいたんだな、と当時生まれたばかりの娘を抱っこしながら感心した。
かと言って、それに参加しようかという気にはなれなかった。柚葉は子育てに専念してくれているが、その分浩介は収入面を支えなければいけない。浩介の生活は、会社で働いているか、アルバイト先で働いているか、柚葉を手伝っているか、寝ているか。そんな生活になっていた。
娘が幼稚園に入る頃、つまり今から約1年前。柚葉が仕事に復帰し、浩介もアルバイトを止めることができた。実際にはアルバイト先の都合もあって、浩介が「普通の会社員」に戻れたのは、半年ほど前の事だった。
休日にネットをブラブラと徘徊していると「ノベステ」の文字が目に飛び込んできた。そう言えばそんなのあったな、とリンクをクリックしてみた。ウェブサイトを見た浩介は驚いた。自分の想像よりも多くの書き手が、自分の想像よりも遥かに面白い小説を、それこそ山のように投稿していた。
それから数日間は、夢中でノベステ内をくまなく探索する日々になった。気がつくとアカウントを取得していた。面白い作品には感想を書き、感動した小説にはレビューも書いた。学生時代を思い出した。それ以上のものが目の前にあると思った。
次第に読むだけでは飽き足らず、小説を書くようになっていた。ところが数年のブランクは浩介が思っていた以上に大きく、何度か書いてはみたものの、途中で収集がつかなくなったり、手が止まりどうしていいのか分からなくなることばかりだった。
それでも諦めずに書いていった結果、ようやく1本の小説を完成させることができた。ほとんど「当然そうするべきだ」という感覚で、浩介はそれをノベステに投稿した。自信があったわけではなかった。ただ、書いた小説は誰かに読んでもらいたいと思っただけだった。
ささやかながらに感想なども付いて、浩介は心から喜んだ。それは娘が誕生した時のものに似ていた。自分が生み出したものが、世の中に巣立っていく。その喜びは、何者にも代えがたいと知った。
昨夜、柚葉に自分の夢を言った時「小説を投稿している」ことも言えばよかったな、と浩介は思っていた。逆になんで言わなかったのかな? 恥ずかしいとかそういうのではないのは確かだった。どちらかと言えば、機を逃しているというのが本音だろう。
言うのならば、初めて投稿する前にちゃんと言っておけばよかった。今言っても、きっと「なんで今更そんなこと言うの? 何かやましいことでもあるの?」と問い詰められるのが関の山だろう。
「でも、どこかでは言わないとな」
休日の午後。柚葉と娘の志穂は「やっぱり恵ちゃんにお祝い渡してくる」と浩介の実家へと出かけていた。浩介も出かけようと思っていたのだが、数日前から風邪気味だったので「大人しく家で待ってなさい」と柚葉に言われて、言うとおりにしていた。
午前中を寝倒したからか、お昼にはすっかり体調も戻ってきて、今はリビングでのんびりとタブレットを眺めている。「半年後……かぁ」画面を見ながらつぶやいた。視線の先に表示されている「ノベステ大賞」の文字の下に概要が詳しく書かれている。既に何度も読んだため、詳細を諳んじられるほどになっていた。
「300万はデカイよなぁ」再び独り言を言って、思わず周りを見回す。そして今はひとりだったことを思い出して、苦笑いした。と、そこへ玄関のチャイムの音が鳴り響き、浩介は飛び上がって驚いた。びっくりした、とブツブツ言いながら玄関のドアを開ける。そこにはひとりの青年が立っていた。
「あ、お義兄さん」
お義兄さんと呼ばれた青年は、ぎこちなくペコリと頭を下げ「柚葉……妹はいますか?」と尋ねた。
「いやぁ、すみません。今日実家に帰ってまして」
「あ、あぁ……。えっ?」
「あぁ、いえいえ。うちの実家なんです」
「あっ、なるほど」
「でも、昼過ぎには帰ってくるって言ってたから、もうそろそろ帰ってくると思うんですけど」
青年は少し戸惑いながらも「あいつが今日来いって言ってたくせに」とブツブツ言った後「それじゃ、すみませんけど少しだけ待たせて下さい」と答えた。
「散らかっててすみません。適当に座ってて下さい」浩介はそう言うとキッチンへと向かう。
「お義兄さんは、コーヒー派でしたか、紅茶の方がお好きですか?」
「いえいえ、お構いなく。でも、コーヒーでお願いします」
遠慮しているのかしてないのか分からないような返事をして、青年はリビングのテーブルの脇に腰を下ろした。そこには先程まで浩介が見ていたタブレットが置かれていて、青年は何の気なしにそれをチラリと見た。
「ノベステ……大賞……」
浩介がインスタントのコーヒーを淹れてリビングへ戻ると、青年はタブレットを不器用そうに人差し指で突っつきながらそうつぶやいていた。
「あはは。さっきまでちょっと見てまして」浩介がテーブルにカップを置きながら、恥ずかしそうに頭をかいた。
「小説……書かれるんですか?」
「あぁ……。ええ、まぁ」
「凄いじゃないですか」
「いえいえ。書くって言っても、最近始めたばかりで」
そう言ったところで「あれ? そう言えば、お義兄さんも」と言った。青年は顔を上げると「ええ、私も小説書いてます」と少し自信ありげな顔で答える。浩介は思わず「おぉ」と感嘆の声を上げて、タブレットを手に取ると「これが、私の書いている小説なんですよ」と青年に見せた。
青年は浩介の小説を読み、思ったことを思ったままに述べた。傍から見ると気を悪くしかねないようなこともズバズバ言っていたのだが、浩介はむしろありがたいとさえ思って素直に耳を傾けた。
話は読んだ小説のことに移り、ふたりは読書の傾向も似ていることもあってか、気がつくと1時間以上も話し込んでいた。「――で、あそこのシーンって、その前の伏線が」浩介がそう言いかけた時、玄関の方からガチャガチャと鍵の開く音がして「ただいまー」という声が聞こえた。
廊下を走るバタバタという音と「こらっ、志穂走っちゃ駄目」という声。リビングのドアが開いて「ただぁまー」という娘の声が聞こえて、浩介は「おかえり」と答える。娘の志穂は父親の元へと走って行き、途中でその対面に座っている青年に気づいた。
「あっ! りょーたろーおじちゃんだっ!!」
「志穂ちゃん、おじちゃんじゃないだろ? おにいさんだってこの前教えただろ?」
「りょーたろーおじちゃん、こんにちは!」
「……はい、こんにちは。でもね志穂ちゃん? おじちゃんじゃないって――」
「りょーたろーおじちゃん、だいすきっ!」
「うん、ありがとう。でもおじさんじゃなくて――」
遼太郎が何とか志穂を説得しようとしていると、続いてリビングに入ってきた柚葉が「なに子供に変なこと教えてるのよ」と呆れた様子で言った。
「変なことじゃない。これは教育なのだ」
「母親の兄妹を正式には何ていうの?」
「……伯父」
「でしょ? ちゃん付けしてくれてるだけでも、ありがたいと思いなさい」
「……はい」
若干ふくれっ面になる遼太郎に、柚葉は「持ってきてくれたんでしょ?」とホレホレと手を出す。遼太郎はカバンから紙包みを取り出すと「こんなもん、どうするんだ?」と聞いた。柚葉は包みの中を覗き、ニコッと笑うと「内緒」と答えた。
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