第6話「合宿をするわよ!」
あの時と今の感想は変わらない。夏帆が横目でチラチラと嗣人の様子を伺っているのが分かる。きっと感想を聞きたいのだろう。自身も小説を書く身として、その気持ちはよく分かる。率直で忌憚のない意見。特に嗣人と夏帆の間柄であれば、彼女がそれを期待しているのも知っていた。
言っていいのだろうか……?
嗣人は少し悩んだ。しかし、以前も同じように悩み、その時出した結論があった。「小説の感想だけを言う」そう決めた。夏帆が望んでいるのはそれであり、それ以外のものではない。嗣人が夏帆に対してどう思っているのか、どんな感情を持っているのか、そんなことはどうでもいいのだ。
夏帆の小説の出来がどうなのか?
嗣人がノートパソコンをそっと閉じると、夏帆は「ね、どうだった?」と早速尋ねてくる。嗣人はアゴに手を当てて「うーん、全体的にはいいと思うよ。特に後半部分の盛り上げ方は、ちょっと感動するくらいだね。ただ、中盤の繋げ方が少し雑な気がしないでもなくって、主人公が……」
嗣人の感想を、夏帆は真剣な眼差しで聞いている。嗣人が「……という感じかな。でも、今言ったのは重箱の隅を突っつくみたいなことで、全体的には相変わらず面白いと思う」としめると、夏帆は満面の笑みを浮かべた。
それを見た嗣人は、自分は間違っていないと思った。
* * *
「そう言えば夏帆先輩。この前のノベステ大賞の作品って、その後どうなってるんですか?」放課後の部室で、佳奈が尋ねた。
「どうって?」
「ほら、書籍化とか賞金とか」
「あー、賞金はね。金一封って形で少しだけもらったんだけどね。ほら、この前文芸部の新入生歓迎会したでしょ?」
「ええ、5月にしてもらったのですよね」
「うん。あれで消えちゃった」
「えっ!? あれって夏帆先輩の自腹なんですか?」
「後で、顧問の松原先生に領収書を持っていったら『飲み食いは無理』って言われちゃって」
「そうだったんですか……。なんだかすみませんでした」
「いいのいいの! そもそもそんなに貰ってなかったしね。ああやってパーッと使っちゃった方が、ね。ほら、ことわざにもあるじゃない?」
「ことわざ……えっと、なんでしたっけ?」
「悪銭身につかず、か」ノートパソコンを見ていた嗣人が口を挟む。
「そうそう、悪銭……って、それ違うでしょ!」
「一攫千金……?」眉間にシワを寄せながら佳奈が言う。
「いや、そんなにもらってないってば……」
「じゃ、猫に小判」
「うーん、惜しい! って、全然違うわよ」
夏帆のツッコミに、嗣人と佳奈は思わず笑う。
「まぁ、賞金の方はそんな感じでね。書籍化っていうのは、大賞のみだから。佳作は一応担当者さんが付いてくれて、見てくれるようにはなっているだけど、まぁ今後次第ってところかな?」
「へぇ。じゃ、今書いているのが書籍になる可能性もあるんですか?」
「担当者さんが認めてくれれば、ね」
「凄いですねぇ」
「凄くないって。結局、今までとあんまり変わらないしね。今度のノベステ大賞だって、出すつもりだし」
「わぁ、私もやっぱり応募しようかなぁ」
「そりゃ、絶対出すべきだよ! って言うか、出さないつもりだったの?」
「いえ、ちょっと迷ってまして……」
「迷うことなんかないじゃない? 応募するのはタダなんだし。ね、嗣人も応募するでしょ?」
会話の流れからそうなるだろうと予想はしていたものの、嗣人はその問いに対する答えを用意していなかった。というよりも、自分自身でもどうしたら良いのかがよく分かっていなかった。夏帆の言うとおり、応募するのは誰でも可能だし、それによって負うリスクはない。
普通に考えれば、応募しない理由などないはずだ。しかし、嗣人は答えられない。じっとノートパソコンの画面を見つめて黙っている嗣人に「嗣人?」と夏帆が首をかしげる。この前もこの展開はあったな、と思いながら「うん、聞いてるよ」と答えた。
「どうしようかな? ちょっと迷っているんだよね」
「えぇ? どして? 前回は一緒に応募したじゃない」
「うん。でも、天下のネコ先生には敵わないからね」
「こら、茶化さない!」
「あはは、ごめんごめん。本当は、小説が書けてない……自分が納得する小説が書けないんだよね。だから迷ってる」
「まだ半年くらい先ですよ? 名護先輩ならきっと大丈夫ですよ」
「ありがと、佳奈ちゃん。そうだね、考えておくよ」
嗣人は気づかれないように、そっと夏帆の表情を伺った。平静を装ってはいるが、どこか不満げなことは、長い付き合いで分かった。夏帆の考えていることも分かる。きっと「なんでそんなに消極的なのか」と思っているんだろう。
でも、違うんだ。いや、違わないか。積極的になれない理由が違うだけで、結果としては夏帆の言うとおりだ。いっそ「一緒に頑張ろうね」と言えればどれほど楽だろう。どうして、そんな簡単なことが言えないのだろう。その理由も当然分かっている。だけど、認めたくはない。
「でも、今日も暑いですね。梅雨もそろそろ明けるってテレビで言ってましたし、夏ですね」
「だね。夏といえば夏休み!」
「その前に期末試験がありますけどね」
「はぁ、そうだったね。嗣人ぉ~」
「ちゃんと勉強すれば、夏帆はいい点取れるんだから、今回は事前に準備しておいてよ」すがるような視線を送ってくる夏帆に、嗣人は釘を刺す。
「夏帆先輩って、いつも試験勉強どうしているんですか?」
「一夜漬けばかりだよ」佳奈の疑問に事実を伝えた嗣人を、夏帆がジッと睨む。
「一夜漬けであれだけ点数取れるんだから、ちゃんとやってれば、もっといい点取れるのにね」
「だって、小説書くのに忙しいんだもん」
「駄目ですよ、夏帆先輩。文武両道です」
「文文両道だと思うけど……」
「あっ、確かに」
夏帆と佳奈がおかしそうに笑うのを見て、嗣人も釣られて笑う。
「まぁ、試験はとりあえず置いておいて……。ね、夏休みなんだけど、合宿しない?」
「合宿?」嗣人がキーボードを打つ手を止める。
「うん。文芸部の夏合宿!」
「って、何やるの?」反射的に嗣人が口をはさむ。
「そりゃ、ノベステ大賞に向けた創作合宿に決まってるじゃない」
「うわぁ、面白そうですね」佳奈は両手を組みながらそう言った。
「でしょ? 海がいいかなぁ、山かなぁ……」
「僕は山の方がいいかな?」嗣人が言う。
「私は海がいいです」佳奈が手を上げた。
「私も海! 夏と言えばやっぱ海でしょ!」夏帆は佳奈を指差しながらそう宣言した。
「えぇ? 創作合宿だよね? 遊びに行くんじゃないんだよね?」
「まぁ~、その辺はコミコミってことで」
「ですよねぇ」
「じゃ、多数決により海に決定しました!」
「やった! あ、でも……名護先輩、海は嫌なんですか?」少し心配げな表情で佳奈が聞く。
「嫌っていうわけじゃないんだけど」
「嗣人はね。泳げないの」
「えっ!? ……そうなんですか?」
「ちょっと夏帆! いつの話してんの? もう泳げるようになったよ!」
「あれれ、そうなの?」
「そうだよ。それ小学校の頃のことでしょ。ちゃんと特訓して、今じゃ普通に泳げるから」いかにも心外という表情の嗣人。
「んじゃ、海に決定ね!」
「他の部員さんたちはどうします?」
「って言っても、私ら以外はみんな3年生ばかりだもんね。流石に無理じゃないかな?」
「来年こそは新入部員をたくさん入れないと、廃部になっちゃうかもね」
嗣人の言葉に、少ししんみりとしてしまう。「そっか、来年は3人だけになっちゃうし、夏帆先輩も名護先輩も3年生だから、あんまり活動できないですよね」と佳奈も悲しそうな表情になった。
「ま、それは今考えてもしょうがないし。とりあえずはこの夏合宿を成功させようよ。そしたら、入部希望者にもアピールできる点が増えるんだしね」
「ですよね」
「うん。じゃ、嗣人。合宿の計画立案、よろしくね!」
「えぇ!? そこで僕に振るの?」
「だって、嗣人そういうの得意じゃない」
「そういうのって、どういうのだよ……」
「計画とか立てるの」
そう言われると悪い気はしない。夏帆が両手をあわせて「お願い」と言っているのを見て、嗣人は「分かったよ」と答えた。
うん、悪い気はしない。
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