第3話「ちょっと待ってなさい」

 6月始めの日曜日。


 夏帆は街の書店に来ていた。お客ではない。アルバイト店員として働くためだ。高校の文芸部を立て直した結果、上級生たちは次々に辞めていき、夏帆たちが2年生になった頃には、部の最年長となっていた。


 自然と夏帆が部長となり部をまとめていく中で、佳奈たち下級生の入部も多少はあって、文芸部は一応、部としての体裁は保てるくらいにはなってきていた。文芸部の活動自体に掛かる費用などは、学校に申請すればもらえるのだが、例えば下級生たちを連れて学校帰りに親睦を深めるためにファストフード店へ、という場合には当然自腹になる。


 その全てではなかったが、それでもたまには部長の威厳を示すために、おごってあげたりもしていた。結果、夏帆のお財布事情は火の車と化した。幸い夏帆の両親はアルバイトに寛大だったため、夏帆は2年生になったころからこの書店で働き始めた。


「はぁ……」


 店頭に並べられた雑誌の在庫チェックをしながら、夏帆は空を見上げた。まだ梅雨入りはしていないと天気予報は言っていたが、どんよりと曇った空を見ると「本当だろうか?」との疑念も湧いてくる。


 バインダーに挟んだチェックリストを埋めると、今度は書籍のコーナーへと向かった。店長に頼まれていたディスプレイをどうするか、書架の端に平積みされた書籍を眺めながら考えていた時、ふとその奥で本を立ち読みしている男に目が止まった。


「あ……あーー!!」


 思わず、その男を指差して叫んでしまう。慌てて口を閉じて、周りにいた客にペコペコと頭を下げた。そしてもう一度、男を見るとツカツカと歩み寄った。


「ちょっと。ここで何してるのよ?」


 声をかけられ振り向いたのは、ノベステ大賞授賞式で夏帆に罵声を浴びせた西浦遼太郎だった。


「お前こそ。書店では大きな声を出さないのがマナーだぞ」

「うっるさいわね。あんたがこんなところにいるから悪いんじゃないの」

「ほら、また声がデカイ」遼太郎がシーっとする仕草を見て、思わず夏帆は口に当てて左右を見回した。幸い今度はそこまで大きな声ではなかったようだ。


「で、なんでここにいるのよ」

「書店に来る理由は、本を探しにくる以外ないと思うのだが」

「そりゃ……そうだけど」

「む……と言うか、お前ノベステ大賞の時の奴か」

「今頃気づいたの? それに『ヤツ』じゃないでしょ。上坂夏帆っていう名前があるの。名札読めないの?」思わず夏帆はムッとした。

「……ここの店員なのか?」

「そうよ。悪い?」

「悪くはないが……。バイトなどする暇があるのなら、小説を書け」


 遼太郎のその言葉を聞いて、夏帆は更にカチンときた。露骨に怒りの表情を見せると「ちょっと、待ちなさいよ」と、立ち去ろうとする遼太郎の肩を掴んだ。


「うっ……。な、なんだよ!?」

「もうすぐバイト終わるから、ちょっと待ってなさい」

「なんで俺が――」

「待ってなさい!」

「……はい」


 遼太郎は肩を丸めて、再び文庫本を読み始めた。




 アルバイトが終わると、夏帆は遼太郎を連れて近所のコーヒーショップへとやって来た。遼太郎は「お前と話すことなどない」と拒否したが、夏帆の無言の圧力に負け「ま、まぁちょっとだけだぞ」と大人しく着いて行った。


「ねぇ、なんで最近投稿してないの?」席に着くなり、夏帆はそう切り出した。「投稿?」と、とぼける遼太郎に、再び夏帆は鋭い眼光で迫る。


「あんた、実名で投稿してるんでしょ? ちゃんと見たんだから。ここ1週間くらい、全然投稿してないじゃない」

「そんなこと、お前に言われる筋合いはない」

「そもそも、あんたが私に食って掛かったからじゃない! ねぇ、なんで!?」

「……」夏帆の問に、遼太郎は無言でうつ向いた。しかし「ねぇってば。もしかして、もう諦めちゃったの?」と夏帆に言われると、ガバッと顔を上げて「……諦めてなど……いない!」と言い返した。


 突然、イスに置いていたカバンをゴソゴソと探り出す。中から大量の用紙を取り出すと、テーブルの上にバンッと置いた。


「な、何!?」

「当然、原稿だ」

「これ……もしかして、あんた手書きで原稿書いてるの?」

「んなわけないだろう! 印刷したんだよ」

「なんでまた、わざわざ」

「客観的な視点から、読み返すためだ」

「ふーん」


 テーブルの上に積まれた原稿を挟んで、ふたりはしばし無言になる。


「よ……読んでみてもいいぞ?」遼太郎がアゴをかきながら言う。

「読んで欲しいの?」夏帆が遼太郎の顔を覗き込むように尋ねた。

「特別に許可する」

「感想が欲しいの?」

「……お願いします」


「始めからそう素直に言えば良いのよ」と、やれやれと言った感じで、夏帆はページをめくった。1ページも読まない内に、夏帆は「あれ?」と思った。


「もしかして、作風変えた?」

「背に腹は代えられぬ……というか、担当編集が『古い古い』と言うから」

「まぁ、編集さんの言う事が正しいとは思うけどね。って、あんた担当付いてるの?」

「そりゃ、俺くらいになればな――」

「あぁ、そういうのいいから」夏帆の一言にがっくりうなだれる遼太郎。

「5年前からずっと付いて、アドバイスだけはもらってる」

「へぇ。編集さんも、我慢強いんだね」

「まぁ、俺の才能を手放したくないんだろうと――」

「それもいいから。それにしても、編集さんの言うとおりだと思うよ。私もそれ、思ったし。あんたの小説って今時じゃないって言うか」

「お前に言われる筋合いはない」


「ちょっと」と夏帆は遼太郎を指差した。「さっきから、あんた『お前お前』って、さっきちゃんと自己紹介もしたんだから、ちゃんと名前で呼んでよね」

「お前だって、俺のこと『あんたあんた』って言ってるじゃないか」と、抗議の声をあげようとしたが、夏帆の顔を見て思わず口を閉じる。


「……じゃぁ、夏帆」

「なんでいきなり下の名前なのよ!?」

「うえ……うえ……。なんだっけ?」

「もういいわよ、夏帆で」

「で、どうだ? 小説の方は?」

「うーん……。どのくらい正直に言っていいの?」

「そりゃもう、思ったことを思ったままに」

「本当にいいの?」

「あー……。いや! いい! 言ってくれ!!」遼太郎は両目をギュッと閉じながら、さぁ言えと促した。

「正直、ちょっとびっくりしたかも。ネットに投稿してる小説読んだけど、あれと比べると格段に今っぽくなっているし、なんたった読みやすいし。スラスラって文章が頭に入ってくるって言うか、世界に入りやすいって言うか」ページをめくりながら、夏帆はそう言う。

「そっ、そうかっ!?」

「まぁ、前のが酷すぎたっていうのもあるけどね。でも、元々話自体は面白いんだから、この方向で行けば良いんじゃないのかな?」


 そう言って夏帆は「あ、ごめん。なんだか上から目線っぽい言い方だったね」と謝った。遼太郎は「いや、いいんだ」と言って、原稿をまとめ始めた。


「じゃ、俺はもう行くから」そう言って席を立った。カバンを肩に掛けたところで、ふと止まり「あ……」とつぶやく。


「なに?」

「おま……夏帆。いつもあそこでバイトしているのか?」

「んー。平日は、部の活動があるから、ほとんど入ってないかな。土日の午前中は結構シフト入っているよ」

「そうか……」

「どしたの?」

「……また、小説読んでくれるか?」

「ノベステに投稿すればいいじゃない?」


 夏帆がそう聞くと、遼太郎は少し自慢げな表情をした。「これはな……」もったいぶった調子で少し間をおく。


「公募に出すんだ!」

「公募?」

「そうだ。ネット小説は駄目だ。見る目が無いやつばかりだ。だから、ちゃんと公募に出す」

「へぇぇ」


 夏帆にしてみれば、ノベステに投稿するのと公募に出すことの違いは、それほどあるのかと感じたが、遼太郎がそうしたいというのであれば、止めることもないと思った。それに、ノベステの投稿が止まっている理由も分かった。今読んだ小説を書くために、きっと投稿ペースを落としたのか、止めているのだろう。


「さっきも言ったけど、だいたい土日は入っているから。お昼すぎくらいに来てくれれば、少しくらいなら見てあげてもいいよ」


 自分がそこまでしてあげる義理があるのかと思ったが、何故か夏帆はそうしたい気分になっていた。「あ、でも。駄目な日もあるから」と言うと、トートバッグからスマホを取り出した。


「連絡先交換しようよ。事前に教えてくれれば、調整するから」とSNSなどを聞こうとした。だが、遼太郎がポケットから取り出した携帯をパカっと開くのを見て「ガラケーか……」とがっかりすると「じゃ、番号とメルアド教えて。遼太郎」と言った。


 遼太郎は携帯を夏帆に突き出すと「俺は操作方法がいまいち分からんから、お前やってくれ」とそっぽを向く。自分とそこまで歳が変わらないはず、と思っていた夏帆は、遼太郎の一面を知って思わず笑った。

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