第2話「あいつ、全然大したことないじゃない!」

「何よ! あいつあれだけ言っておいて、全然大したことないじゃない!」


 夏帆は、部室に持ち込んだノートパソコンの画面を見ながら呆れ返っていた。「どうしたの?」と嗣人が画面を覗き込んでくる。


「見てよ、この前の授賞式の時のヤツ。西浦遼太郎って、本名で投稿してるのよ。で、あれだけ放言してたくせに、投稿している小説、全然面白くないのばっかりなの」

「ふーん、ちょっと見せて」

「なんて言うか、面白い面白くない以前に、書き方が今風じゃないのよね。純文学って言うの? 固い、とにかく固い」


 夏帆は近くにあったうちわを手にとって「なんだか暑くなってきちゃった」と顔をあおいでいる。嗣人はマウスを操作しながら、2,3分ほど画面を見ていたが、やがて顔を上げると「ま、夏帆の言うとおり、ちょっと固い文章かもね」と同意した。


「でしょ? 何が『いつか、お前より面白い小説を書く男の名だ!』よ!」

「あはは。夏帆、怒ってるの?」

「……怒っているって言うか……だって、私佳作だったんだよ? 逆に恥ずかしいじゃない。どうせだったら、大賞受賞者の人に言えばいいのに」

「でもさ。夏帆、ここのところ苦労してたし、佳作って言っても凄いじゃないか」

「そりゃまぁ、それは……素直に嬉しいんだけどね。ここ1年間は、部の立て直しもあって、忙しかったしね」


 夏帆はあおぐ手を止めて、窓から空を見上げた。この季節にしては珍しいほどの快晴。僅かにかかった薄い雲が上空をゆっくり流れていた。嗣人の言うとおり、この1年夏帆は小説を書くことを、純粋に楽しいと思えていなかった。


 高校に入り、文芸部を訪ねた。ところが文芸部はまともな活動をしておらず、ほぼ廃部寸前という有様だった。それを立て直し、残った部員にはっぱをかけ、自らも率先して創作活動を行ったのだが、ここで初めてプレッシャーというものを感じ始め、なかなか自分の納得する作品を作ることができなくなっていた。


 1年生の夏休みをフルに使ってなんとか書き上げた小説が、Novel Station――通称ノベステという、大手出版社が運営している投稿サイトの賞を獲ることができたのだった。例え、それが賞の中では末端の「佳作」であっても、夏帆にとっては勇気づけられる出来事で、ここ1年間の活動が決して間違っていなかったのだと自信を持つことができた。


「でも、結構たくさん投稿しているよね」パソコンの画面を見ながら嗣人が言う。それは当然遼太郎の作品のことであり、確かに20本ほどの作品をノベステに投稿している。夏帆が目を通したのは、更新中の最新話だけだったが、どうやらほぼ毎日と言っていいほど投稿しているようだった。


「やる気だけはあるってことなのね……」夏帆がつぶやくと、嗣人が苦笑いした。そこへ「お疲れ様です。遅くなりました」と部室のドアが開き、1人の女生徒が入ってきた。「あ、佳奈ちゃん、お疲れ」夏帆が手を振りながら答えた。


「今日も暑いですね」「だねぇ、春はどこに行っちゃったんだろうね」などと世間話をしてみる。嗣人が熱心にパソコンの画面を見ているのに気づいて「先輩。小説ですか?」と佳奈が聞いた。


「いや、僕のじゃないんだけどね」

「この前のノベステ大賞の授賞式でね、変なヤツに絡まれちゃったのよ」

「あっ、そう言えば。夏帆先輩、おめでとうございます」

「あはは、ありがとう。ま、佳作なんだけどね」

「佳作でも凄いじゃないですか」

「せっかく一生懸命考えたスピーチは無駄になっちゃったけどね」

「これ、嗣人。それは言わない」

「あはは。ごめんごめん。でも、佳奈ちゃんの言うとおり、佳作だって凄いと思うよ」

「あぁ……そんなに褒めても、何も出ないよ?」

「夏帆先生!」

「嗣人君、何か食べたいものはあるかね?」


 二人のやりとりに入っていけなくなり、思わず困った顔の佳奈。それに気づいた夏帆が「ごめんごめん」と謝る。


「いえいえ。でも、本当にお二人は仲が良いですよね?」

「まぁ、付き合いだけは長いからね」

「幼稚園の頃から……でしたっけ?」

「そ。もう10年以上になるんだよね。そうそう、佳奈ちゃん、嗣人って小学生の時ってさ――」

「ちょっと待って! 夏帆、何を言う気なの?」


 再び、夏帆と嗣人の会話の応酬が再開され、佳奈はまた困った顔になった。「もしかして……」という佳奈の声で、ふたりは口をつぐむ。「お二人って付き合っているんですか?」


 その問に、夏帆は「はぁ? 私が嗣人と? ないない」と手の平をヒラヒラさせ、嗣人は嗣人で「そんなんじゃないよ」と顔を真赤にしていた。



     * * *



 それから数日後の夜。夏帆は、今日の分の小説を書き上げると、ブラウザを立ち上げてノベステをチェックした。自分の小説へのコメントやレビューを確認して、ブックマークしていた小説を一通り見てみた。


 遼太郎の小説にも目を通し「やっぱり古いよね」とつぶやく。キャラクターの魅力や、ストーリー自体は、流石に20本も小説を投稿しているだけあって、夏帆でも思わず唸ってしまう部分もあった。


 しかし文体の古さが、全てを台無しにしていた。ノベステの読者層は若年層が多いと言われていて、投稿される小説もいわゆる「ラノベ」が主流になっていた。その中で、遼太郎の小説は異色と言って良いほど文学していた。


 地の文がほとんどで、会話文は1話にあるかどうかというレベル。その地の文も、漢字が多用されていたり、改行が少なかったりで「ラノベの小説作法」からは遠く離れたものになっていた。


 ただ、夏帆自身もそれが悪いことだとは思っていない。現に今も「投稿する場所を選べばいいのに」とぼやいていた。文学賞などの公募に応募すれば、そこそこの評価はうけるんじゃないのかな? どうして、そんなにノベステにこだわるんだろう? そんな疑問を持ったりもしたが、考えてみても答えが分かるわけではない。


「ま、人の心配してもしょうがないか」と、ブラウザの戻るボタンを押す。「あれ?」遼太郎の小説の一覧が表示されている画面を見て、少し驚いた。


 遼太郎は基本的に、ほとんど毎日投稿していた。たまに投稿していない日もあったが、2日空けていることはない。しかし、更新日時を見ると、もう3日も投稿がないことが分かった。しかし、その時は「調子でも悪いのかな?」と思った程度だった。


 翌日、同じ時間にノベステのサイトを開いた夏帆は、再び同じ言葉を口にすることになる。その日は、自分の小説よりも先に遼太郎のページをチェックしていた。やはり更新はされていなかった。「どうなってるのよ」思わず文句が出てくる。


 その時、スマホの着信音が鳴った。画面を見ると、ノベステの担当者小畑だった。慌てて電話に出る。用件は、小説の進捗状況の確認だった。ノベステ大賞で佳作を獲った作品は、残念なことにボツになっていた。小畑は、先日夏帆が送っていた新しい小説のプロットのことで何件かアドバイスをして「その線で直してみて、できたらまた送ってね」と言った。


 電話を切った夏帆は、再びパソコンの画面に向かった。ブラウザを閉じようとして、一瞬手が止まる。ノベステのページには、遼太郎の小説の一覧が表示されている。「投稿サイト……か」と、無意識のうちにつぶやいていた。


 おっといけない、と自分のほっぺたを2度ほど叩いて気合を入れ直す。今は感傷に浸っている場合じゃない。忘れないうちに、言われた部分を直さないと。ブラウザを閉じ、エディタを起動させる。それでも一瞬、遼太郎の小説のことが脳裏をよぎったが、頭を振って切り替えようとした。


「だいたい、もう会うかどうかも分からない人のことを心配してもしょうがないじゃない。今は自分の心配。夏帆、あなただって、安泰ってわけじゃないのよ」


 そう自分に言い聞かせると、パソコンのキーボードを叩き始めた。

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