物書きたちは譲らない!

しろもじ

第1話「俺の小説の方がもっと面白い!」

 5月。


 夏はまだ遠く、春は過ぎ去ってしまったかのような季節。


 上坂夏帆うえさかなつほは、都内にあるホテルのホールに来ていた。先程から壇上では、中年の男性がいつ終わるのか分からないようなスピーチを延々と続けている。思わず「長ーい」と文句のひとつもこぼしてしまう。


「夏帆、ちょっと聞こえてるよ」隣に立っていた同級生の名護嗣人なごつぐとが、慌てた表情で夏帆の肩を突っついた。


「だってしょうがないじゃない。あのオジサン、もう15分も喋り続けてるんだから」

「オジサンって……。ノベステの親会社のお偉いさんらしいよ。目を付けられたら困るんだから、もうちょっと我慢しようよ」

「私のスピーチの方が、もっと面白くて感動するって」

「自分で言うなよ……」

「嗣人って、変なところだけ真面目だよね」

「変なところってなんだよ! 僕はいつだって真面目だよ!」

「ほら、嗣人。周りの人、見てるから大きな声出さない」


 夏帆が茶化すように言うと、嗣人は慌てて周囲を見回して、ペコリと頭を下げた。それとほぼ同時に、壇上の男性もお辞儀をして、同時に会場内に拍手が響く。


「やっと終わった」


夏帆がやれやれという顔をしていると、壇上脇にいた司会者の「続きまして、第5回Novel Station大賞、通称ノベステ大賞の授賞式を執り行います」という声が響いてきた。


「いよいよだよ、夏帆」

「分かってるって。ちょっと黙ってて嗣人」

「へいへい」


 司会者が「まずはノベステ大賞佳作の作品からご紹介します」と言い、続けて何人かの名前が呼ばれていった。心臓が飛び出すかのような緊張感の中「佳作『異世界転生したら下級魔族だったので、魔王まで上り詰めてみた』の作者、ネコ先生」と夏帆の名前が呼ばれた。


「ひゃい!」思わず噛みながらも、大きな声で返事をする夏帆の顔は、真っ赤に染まっていた。緊張していたというのもあったが、自分のペンネームが人前で呼ばれたことの恥ずかしさの方が上だった。


 壇上に登り、先程のスピーチの長いオジサンよりは少し若い男性から、賞状と記念品を手渡される。他の佳作受賞者らと一列に並ぶ。先程の男性が「今回も多くの作品が寄せられました。また、近年まれに見るほどの優秀な作品が多く――」と挨拶を始めた。


 夏帆はようやく緊張感が収まってきているのを感じて、会場を見回した。嗣人が控えめに手を振っていた。夏帆も振り返そうかと思ったが、両手で抱えている賞状やら記念品が邪魔になって、それもままならない。


 諦めて、誰か知っている人いるかなぁと、もう一度会場を見る。嗣人の少し前、会場内のほぼ最前列に、ひとりの青年が立っていた。歳は夏帆たちよりも少し上に見える。二十歳を少し過ぎているくらいだろうか。青年はジッと夏帆を見つめていた。夏帆と目が合っても、一瞬たりとも視線を逸らそうとせず、刺すような視線を浴びせていた。


 なんだか危なそうな人だな……。夏帆がそう思った時、司会者の「それでは、佳作を受賞された皆様、ありがとうございました!」という声が聞こえてきた。慌てて、隣の受賞者たちと顔を合わせて、せーので礼をする。「改めて佳作受賞者の方に、盛大な拍手をお願いします」


 壇上を降りながら夏帆は(え? あれ? 私のスピーチってないの? 佳作はなし?)と慌てていた。ようやく収まりかけた拍手の中、嗣人の隣までやってきた夏帆は、一晩かけて練りに練った珠玉のスピーチが無駄になったことを悟った。


「大賞受賞者だけみたいだね。スピーチ」夏帆の心を見透かしたかのように、嗣人が言う。夏帆はややふくれっ面になりながらも「まぁ、いいし。『作家は小説で語れ』って言うしね」と、続いて表彰されている壇上を見上げた。


「誰の言葉?」

「私。今考えた」

「あはは。残念だったね」


 嗣人の言葉に、救われるどころか若干イラッとする夏帆。プイッとそっぽを向く。と、そこへひとりの青年が立っているのが見えた。先程壇上から夏帆を睨んでいた青年だった。意味もなく、若干後ずさりする夏帆に、青年は一歩前へと近づいてくる。


 夏帆が、背後にいるだろう嗣人を呼ぼうとした瞬間、その青年は立ち止まった。そして、ゆっくりと右手を差し出してくる。一体何のことか分からないでいると、青年は更にグイッと手を夏帆の方へと向けてきた。


 あぁ、握手? そっと夏帆が手を差し出すと、青年はそれを取りギュッと力強く握った。「ちょ、痛い痛い」と夏帆が抗議をしているのにも構わず「見たよ、君の小説。とても面白かった。構成もキャラクターも文章も、どれも他の佳作者よりは頭ひとつ飛び抜けているって感じだったし、俺としては大賞でもおかしくなかったと思ってる」と言う。


 それを聞いた夏帆は、思わず手の痛みも忘れて「ありがとうございます」と礼を言った。青年はようやく夏帆の手を離すと「いや、礼は良いよ」と答えた。そして、離した手でそのまま夏帆を指差すと、こう宣言した。


「だけど、俺の小説の方がもっと面白い!」


 壇上では、まだ表彰式が続いていた。比較的静かになっていた会場内に、青年の声は響き渡った。夏帆は状況が飲み込めず、思わず「は?」と聞き返した。青年は、再び先程よりも声を上げて、同じフレーズを繰り返した。「俺の小説の方がもっと面白い!!」


 会場内はすっかり静まり返っていた。誰も彼もが夏帆と青年を見つめていた。青年は腰に手を当て少し自慢げ、もう一方の手はまだ夏帆を指し示していた。夏帆は混乱しかけていた。


 一体、この青年は何を言っているんだろう? いや、言っていることは分かる。自分の小説の方が、私のよりも面白いと主張しているのだろう。それくらいは分かる。しかし、だからと言って、なんでこの場で、そんな大きな声で宣言しないといけないの?


 夏帆の視界の隅で、式の始まる前に挨拶した担当編集者が、人をかき分けながらこちらへやって来るのが見えた。その後ろには制服を着た警備員もふたりついて来ている。編集者は、夏帆と青年の間に割って入ると、警備員に「連れてって」と指示した。ふたりの警備員が、青年を両脇から掴んだ。


「俺の名前は西浦遼太郎! 覚えておけ! いつか、お前より面白い小説を書く男の名だ!!」


 警備員に引きずられるように連れていかれながらも、青年は夏帆に向かってそう叫んでいた。編集者は、周囲に聞こえるくらいの大きなため息をつくと、壇上へ向かって手を挙げる。それを見た司会者が、何事もなかったかのように式を再開した。


「大丈夫だったかい?」編集者が苦笑いしながら、夏帆の顔を覗き込む。夏帆はうつ向いたまま、若干震えていた。編集者は頭をかきながら「まぁ、いきなりあんなこと言われちゃったら、そりゃ怖いよね」と慰めるような口調で言った。


 しかし、夏帆は怖かったわけではなかった。ゆっくり顔を上げると、カッと編集者の顔を睨む。


「なんなの? あいつ! 他にもたくさん受賞者いるのに、なんで私だけに突っかかってくるのよ! しかも私よりも面白い小説を書けるって、一体どういうことよ!?」


 いつの間にか夏帆の隣にやって来ていた嗣人が、まぁまぁと夏帆をなだめた。編集者は、青年の連れて行かれた方を見て「彼ね。西浦遼太郎君って言うんだけど……ちょっと変わってるんだよね」と言った。


「ちょっとどころじゃないと思いますけど。って、知ってるんですか? 小畑さん」

「うん、あれでも――と言っては失礼かもしれないけど、ノベステが発足した5年前は、彼もよく賞の候補者として名前が登っていたんだ」

「へぇ……あいつが?」

「今じゃすっかり才能も朽ち果てた……と言うか、まぁなんて言えば良いのかね」


 小畑と呼ばれた編集者は、もう一度頭をかきながら困った表情を見せた。

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