シフォンケーキ美味しかった!

 お母さんは結局八時前にやってきた。その時ちょうど私たちは夕ご飯を食べ始めようとしていて、速く来るためにお母さんは無理矢理仕事を終わらせてきたらしい。

「久しぶり、美佐子!」

「邦恵、本当に久しぶりね!」

「お互い忙しくて全然会えないものね。ああ、さっさと仕事終わらせてきてよかった!」

「夏希ちゃんと幸輔には感謝しなくちゃね」

お母さんと美佐子さんが感動の再会を果たしている間に、私とアオヤマは勝手に乾杯してそれぞれ目をつけていたものを食べ始めた。私はピカタを二つ一気に食べ、アオヤマは焼きなすをじっくり味わっているようだ。

「ちょっと夏希! もうちょっと遠慮しなさいよ」

 焼きなすに箸をつけたところで、お母さんに頭を小突かれた。手にはいつの間にかワインの入ったグラスを持っていた。うう、アオヤマだって遠慮してないのに、不公平だ。

「いいじゃない邦恵。半分は夏希ちゃんが作ったようなものなんだから」

「うそ、夏希が?」

 驚くお母さんに向かって、私は口になすを入れたまま胸を張ってみせた。

「あんた、料理できたのね……」

 今日はシフォンだって作ったんだぞ、と言いたかったけれどなすが邪魔でしゃべれない。そもそも作ったのはアオヤマで私は手伝っただけだけど。

「さあ、邦恵も食べて食べて。デザートは夏希ちゃんと幸輔が作ったシフォンケーキよ」

 感心していたお母さんの表情がにやりと変わった。

「なるほどねー」

 しまった、これじゃシフォンケーキにつられて美佐子さんを手伝ったみたいだ。違うよ、純粋に美佐子さんを手伝いたくて手伝ったんだよ! と言いたかったけど、さっき口に入れたばかりのフライドポテトが邪魔で言えない。

 美佐子さんはお母さんと自分のグラスにワインを注いだ。ちなみに私とアオヤマが飲んでいるのはさっき買ってきた炭酸カルピス。アオヤマはレモンソーダがいいと言ったけど私が断固譲らなかった。

「大人組はワインで乾杯しましょ」

 美佐子さんが言って、二人はグラスをあわせた。さっきから飲んでたじゃん、という文句はフライドポテトと一緒に飲み込んでおく。さっきアオヤマと乾杯したけど、私も美佐子さんとお母さんとグラスをぶつけた。お母さんはワインを一口飲んで、ピカタを口に運ぶ。

「本当に、懐かしいわね……」

 しんみりとお母さんが言う。そうね、と美佐子さんが相槌を打った。

「この三年、美佐子がいなくて寂しかったんだからね?」

「あら、私だって邦恵がいなくて寂しかったわ」

 二人はくすくす笑い合う。まさかもう酔ってるのかこの二人。ちょっと早いよ。

 お母さんは椅子の背もたれに寄りかかってふっと笑う。

「美佐子達がいないのは、家族が足りないようなものだから」

 思わず手を止め、お母さんを見る。いつもさばさばしているお母さんの、こんなに感傷的な姿を見るのは初めてだった。

「夏希や幸輔くんが生まれる前からずっと一緒で、何するにしても一緒だったんだから。もうずっと、ここにいるんでしょう?」

 美佐子さんは泣きそうな顔でお母さんを見る。私もアオヤマも、何も言えずただお母さんを見ていた。

「もちろんよ、一緒にいるわ。家族だもの」

 美佐子さんの声は微かに震えていた。お母さんは体を背もたれから離し、嬉しそうに微笑む。

 じわりと、目頭が熱くなった。

「わ、私暇だからまた来ます!」

 思いついた瞬間に、思わず立ち上がってそう叫んでいた。美佐子さんが嬉しそうな笑みを浮かべる。

「じゃあ俺がシフォンケーキ作ってやろうか」

「やった!」

 うっかり間髪入れずに答えていた。しまった、と思いながらアオヤマの顔を見ると、初めて見る、優しい顔で笑っていた。あっけにとられて立ち尽くしていると、お母さんが声を上げて笑った。

「そうよね。これで、夏希と幸輔くんが結婚でもすれば一番いいんだけど」

 お母さんがそんなことを言って初めて、私はお母さんの酒癖が悪いことを思い出した。缶ビール一本飲ませただけで1時間は絡まれる。そこに美佐子さんが加わると余計たちが悪い。

「そうねえ。夏希ちゃんなら一番安心なんだけどねえ」

「あたしも幸輔くんになら夏希を任せられるんだけどねー」

 料理上手そうだし、と付け加えてお母さんはけたけた笑う。気付けばお母さんは自分のグラスにワインをつぎ足している。

「お母さん、飲み過ぎ! それ以上飲むと帰れなくなるよ!」

 慌ててワインのビンを取り上げるけど、既にビンは空になっていた。

「ねえ幸輔くん、うちの夏希いらない?」

「はあ」

 アオヤマは気の抜けた返事をする。

「幸輔、もらってあげなさいよ」

「はあ」

 美佐子さんの言葉にも似たような返事をする。

「もー幸輔くん、それいるってこと? いるのね? じゃああげる!」

 お母さんは私をアオヤマの前に押しやる。こうなったらもう手がつけられない。

「あ、アオヤマ、どうしよう」

 アオヤマは眉根にしわを寄せる。怒ってるわけじゃなく、考えてるみたいだ。しばらく待つと、やっとアオヤマは口を開く。

「邦恵さんはお前が責任持ってくれ。母さんは俺が何とかする」

「ええ! まだシフォンケーキ食べてないのにお開きにするの?」

 思わずそう言うと、アオヤマは溜め息をついた。

「じゃあ持って帰って家で食えばいいだろ」

「あ、そっか」

 八つに切ったシフォンケーキをアオヤマが箱に詰めてくれた。お母さんは相変わらず絡んできたし美佐子さんはその後押しをしているけど、無視して帰ることにする。

「じゃあアオヤマ、また学校でね」

「ああ。また来いよ」

 手を振って、お母さんを引きずりながら家に向かう。

お母さんと美佐子さんのせいで台無しになったけど、みんなで集まれてよかった。私たちは家族だから、だからこんなに一緒にいたいと思うのだろう。できることなら、お父さんもいて欲しかったけれど。

 お父さんのことを考えると、少し苦しくなる。離婚で物心ついたときから父親がいなかった私に本当の父親のように接してくれて、私も小さい頃はお父さんお父さんと呼んで後をついてまわった。お父さんは、啓輔さんは、アオヤマのお父さんであると同時に私のお父さんでもあった。なら、私とアオヤマは兄弟なのかもしれない。美佐子さんも――お母さんが二人いるのは、ちょっと、変かも。でも、みんな私の家族だ。他人から見ればちょっと変でも、大切な家族なのだ。


 夏休みも近付いた暑い昼休み、私は茜と香奈相手に熱弁をふるっていた。

「すごく美味しかったんだよ!」

「夏希はいつも本当に美味しそうに話すね」

 初めてアオヤマにシフォンケーキを作ってもらってから二週間経ち、お母さんが忙しくてみんなで夕食を食べてはいないけど、これまでシフォンケーキを食べられたのは三回。一回目は普通のシフォンケーキ、二回目は紅茶味、三回目はチョコレート味で、お返しに私は時々美佐子さんのお店の手伝いをしている。

「次はマーブルにするんだってー! ホント、アオヤマはすごいよ!」

 興奮のままにここが教室だということも忘れてうっとりする。ところが、いつもならあきれたりする茜が今日は一言も話さない。俯いて、何か考え込んでいる。

「茜?」

 名前を呼ぶと、ややあって茜が顔を上げた。

「アオヤマ、ってもしかして青山幸輔?」

「知ってるの?」

 同じクラスでもないし、アオヤマは帰宅部のはずだし、知り合う機会も無いはずなのに茜が知っているとは意外だった。

「確か、四月の最初の方は剣道部にいたんだよね。一年四組の青山でしょ?」

「うん、四組だけど……」

「最初はちょっといたんだけどさ、家が忙しいとかですぐ来なくなっちゃって。でもうちの男子剣道部って人足りてないから一回試合に呼ばれてたはずだよ」

 アオヤマが剣道をやっていたことは知ってたけど、剣道部に入っていたことは全然知らなかった。アオヤマが戻ってきてからほとんど話してなかったから、当然かもしれないけど。

「青山くんなら、私も聞いたことあるよ」

 今度は香奈が言う。

「吹奏楽部の子が話してたの。一年生の間だとアイドル扱いされてるみたいよ?」

「ええー、アオヤマが?」

 ないないそれはない。アイドルなアオヤマなんてどう頑張っても想像できそうにない。第一アオヤマがモテるっていうのが考えられない。

「四組の子で青山くんに優しくされちゃった人が中心でね。夏希の話を聞いてると違う人に聞こえるけど……」

「アオヤマに優しくされた人?」

 優しいアオヤマ。ますますありえなくなってきた。しかもただ優しいだけじゃない。クラスメイトを一撃で落とすほど優しいアオヤマだ。ないない。いや待てよ。もしかして、小さい頃から一緒にいるから私の感覚が麻痺しているんだろうか。それにしたってアオヤマは優しくない。たまに優しいけどそれ以上に皮肉屋だし。

 と言ってみると、香奈はあら、と言ってお昼ご飯を食べる手を止めた。

「それって、なんか……」

「なんか?」

 私が先を促しても香奈は何も言わない。代わりに茜が口を開いた。

「好きな子いじめる小学生みたいじゃん」

「ええ? ないないそれはないよ!」

 心の中でも口でもないないと連発しているとだんだん意味が分からなくなってくる。ないないない。ゲシュタルト崩壊っていうんだっけ、こういうの。

「第一アオヤマは好きな人いるんだから、少なくとも三年前は!」

 言う直前になって思い出した。アオヤマが引っ越す一年くらい前、その頃にはもう引っ越すことは決まっていて、そのせいか私は少しの間アオヤマ大好き状態だった。だから「すきなひといる?」と聞いたら「いる」とアオヤマは答えた。おかげで私の初恋は砕け散ったわけだけど。今はすっかり吹っ切れている。家族、という意味では大好きだけど。いや、でも三年前の情報じゃあさすがに心もとないかな。

「へーえ、好きな人ねえ……」

 茜はにやにや笑っている。香奈まで楽しそうにしている。

「な、何よその笑顔は……」

「好きな人って、ねえ?」

 茜が言うと、香奈も「ねえ」と返した。

「どう考えても、夏希のことよね」

 香奈が楽しそうに言い放つ。私は思わず立ち上がった。

「な、何をどう考えたの! そもそも二人ともアオヤマのことよく知らないでしょ!」

「『アオヤマのことよく知らないくせに、勝手なこと言わないで!』」

「違あぁう!」

 声色を変えた茜にからかわれて、ここが昼休みの教室だってことをすっかり忘れ、私は叫んでいた。

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