シフォンケーキ完成
また少し経つと、残りの砂糖と片栗粉が全て投入される。
「角が立つようになったらハンドミキサーは終わりな」
「うん」
せっかくハンドミキサーに慣れてきたのにもうすぐ終わりなんてちょっと惜しい。でもレシピ本によれば泡立てすぎると美味しくないらしいから、諦めるしかない。一度ハンドミキサーを止めて持ち上げてみるともう角が立っている。
「アオヤマ、これくらいでいい?」
「ああ」
アオヤマは少し見てすぐに答えを返す。判断が速すぎないか。メレンゲを渡すと、アオヤマは泡立て器でメレンゲをぐるぐるとかき混ぜた。横から見ていると、さっきよりメレンゲがきれいになった、気がする。
「これでも十分美味しそうだね」
「ああ、焼けば立派な菓子だからな」
メレンゲを焼いちゃうのか、溶けそうだけど。マシュマロみたいな味がするのかな。
「食うなよ」
「食べないよ!」
的確に言い当てられて、反射的に否定する。
「昔母さんが作ったクッキー、焼く前に食ったくせに」
「う。……記憶にございません」
「俺は覚えてるよ」
下らないやり取りをしている間にも、アオヤマはメレンゲをもう一つのボウルに移していく。確か、小麦粉と卵黄と……その他もろもろを混ぜ合わせてあるボウルだ。そこにメレンゲを三分の一くらい入れて、軽く混ぜる。また三分の一入れて、今度はゴムべらでさくさく混ぜる。残ったメレンゲを全部入れてまた混ぜる。
「これで生地は完成、と」
棚から出した、ドーナツみたいな形をしたシフォン型に生地を流し込み、何度か台に打ち付ける。私は胸一杯に期待を詰めてただ見てるだけ。わくわくしながら見てるだけ。なんてお得なんだ、わくわくして見ているだけでシフォンケーキが食べられるなんて。
ついにシフォンがオーブンに入る。アオヤマはいつの間にか余熱を完了していたみたいだ。オーブンの戸を閉めて、何度かボタンを押す。
「よし。あとは三十分待つだけだ」
「おおー」
まだ出来上がってないのに歓声をあげてしまう。まあしょうがないじゃないか。あと三十分で、愛しのシフォンケーキに会えるのさ。オーブンの中ではシフォンケーキが光を浴びている。じっと見つめていても、特に変化はない。
「三十分間そうしてるつもりか?」
「んー」
それでもいいかな、なんて思ってしまう。全く動かないシフォンケーキを三十分、はちょっときついかな。でもこの溢れんばかりの愛があれば三十分くらい!
「それ、俺もここで見てろってことか?」
あ、うっかりしていた。私が三十分間耐えられてもアオヤマが耐えられるはずがない。
「どうしよっか?」
アオヤマは少し考える素振りを見せる。さっきもしてたけど、顎に手を当てる姿は本当に美佐子さんにそっくりだ。
「俺の部屋で漫画でも読んでくか?」
「読む!」
即座に答える。アオヤマは昔から漫画をたくさん持っていて、それを読ませてもらうのが昔は私の日課だった。
「お前まだ漫画好きなのかよ」
「アオヤマだってまだ持ってんでしょ? お互い様じゃん」
笑い合いながら階段を上ると、すぐ右にアオヤマの部屋があった。私より大きい本棚にぎっしり本が詰まっている。一番下の段には二列に本が並んでいた。私の記憶より本が増えているみたいだ。
「読んでいい?」
「ああ。好きなの読めよ」
アオヤマは上の方から一冊取り、椅子に座って読み始めた。私もとりあえず目の前にあった本を手に取る。確か秋からアニメが始まるやつだ。推理ものだけど、私は推理をして楽しむことはせず、追い詰められた犯人の奇怪な行動とか、探偵と助手の掛け合いとかを楽しんでいる。
勝手にベッドに座って読み始める。アオヤマは何も言わなかったし、昔アオヤマの漫画を読ませてもらっていた時もベッドは私の定位置だった。
「これ、今度アニメ化するんだよね?」
「ああ、確か十月からな」
「アオヤマ見る?」
「暇だったらな。夏希は?」
「んー、覚えてたら」
他愛ない話をしながらページをめくる。昔からこんな感じだったな、と思い出す。昔は半分くらい漫画目当てで、もう半分はアオヤマと何でもない話をするためにアオヤマを訪ねていた。他に女の子の友達だっていたのに、何故毎日のようにアオヤマに引っ付いていたんだろう。あの頃のアオヤマは今よりずっと馬鹿だったし口が悪かったし、私もよく口喧嘩していたと思う。
あの悪ガキが頼れるお兄さんになったのは、きっとお父さんが亡くなったことも理由の一つなのだろう。
そんなことを考えていると、一冊目を読み終わったアオヤマが本棚の前に立っていた。
「わ、はやっ」
「そうか?」
まだ十分くらいしか経ってないのに、私はまだ半分も読み終わってないのに、どう考えても早い。
次の本を探すアオヤマは、私が座っているせいもあってやはり背が高い。私は自分が三年前から全く変わっていない気がして、少しアオヤマが遠く見えた。
私がようやく一冊読み終わった時、アオヤマは三冊目を本棚に戻していた。
「は、速い……」
「そろそろ焼ける頃だけど」
「ほんと?」
私は慌てて本棚に本を戻し、階段を下りるアオヤマの後を追う。リビングにはいると美味しそうな香りが漂ってきた。
「お、焼けてるな」
アオヤマはオーブンからシフォンケーキを取り出し、真ん中の穴をビンにさして型ごと逆さまにした。シフォンケーキが型から落っこちたりしないかとはらはらしながら見ていたけど、どうやら落ちることはなさそうだ。
「まだ食べないの?」
「冷めてから」
せっかく食べられると思ったのに、まだダメらしい。焼きたてホカホカなのに、冷めるのはいつのことやら。じーっと見つめても冷める気配は無い。あきれ顔のアオヤマの横でシフォンケーキを見つめていると、玄関の方で物音がした。
「ただいまー」
どうやら美佐子さんがお店を終え、帰ってきたらしい。
「おかえり」
「あら夏希ちゃん、まだいたの? もう外暗いわよ」
リビングに入ってきた美佐子さんは私を見て目をぱちくりさせた。窓に目をやると、確かに暗くなってきている。
「シフォンケーキが冷めないんだよ」
アオヤマの言葉に、美佐子さんはシフォンケーキへ視線を移した。顎に手を当て少し考えて、私を見る。
「じゃあうちで夕ご飯食べていく?」
「いいんですか?」
美佐子さんは笑顔で頷く。
「邦恵も呼んじゃいましょう。今日はいつ帰ってくるの?」
「八時過ぎって言ってましたけど……」
時計を見ると六時十九分を指していた。あと二時間近くある。
「ゆっくり作ったらちょうどいいくらいね。余り物全部処分しちゃおっと」
嬉しそうに言って、美佐子さんは冷蔵庫を開ける。
「色々作ってみんなでつつけばいいわよね。夏希ちゃんも幸輔も手伝ってくれる?」
「はいっ!」
私とアオヤマは再びエプロンを着た。みんなでご飯を食べるなんて久しぶりだ。しかも、デザートはシフォンケーキ。また昔に戻れたみたいで、嬉しかった。
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