シフォンケーキ作り開始
「じゃあ早速やりましょうか」
やっぱり進歩してないのかな、と肩を落としつつ期待に胸膨らませ、厨房に入る。ううむ、肩を落として胸膨らませるなんて我ながら器用だ。
「まず器具の確認ね。シフォンケーキに使うのは、泡立て器、ボウル、ゴムべら、ハンドミキサーくらいかな。全部夏希ちゃんの家にもあるわよね?」
美佐子さんは説明しながら器具を取り出していった。
「……無いです」
絶望を噛みしめながら、そう呟いた。ゴムべらとボウルはもちろん家にある。でもハンドミキサーと泡立て器は無い。お母さんはお菓子なんて作らないから当然だ。
「ハンドミキサーが無いの? だったら泡立て器でできないこともないけど……」
私はゆっくりと首を横に振る。泡立て器が無ければお菓子作りなんてできないんだ。少し考えれば分かりそうなことだったのに。
「泡立て器も無いんです」
まあ、と美佐子さんは口に手を当てた。
「じゃあ、ちょっと無理ねえ」
うう、せっかくシフォンケーキが食べられると思ったのに。買えばいい話だけど、お母さんに言っても「そんなの要らないでしょ」って言われるに決まってる。自分で買えるほどのお金はない。やっぱり私は、毎日シフォンシフォンって言って茜に怒られて香奈に慰められるしかないのだろうか。
「せっかくだから作ってあげましょうか?」
「へ?」
私は美佐子さんを見た。目をぱちくりさせて、五回目くらいのまばたきでやっと言葉の意味が分かった。
「ほ、ほ、本当にいいんですか!」
「いいに決まってるじゃない。お店は幸輔がやってくれてるし」
どうしようどうしよう、すごく嬉しい。わあわあ言いながら美佐子さんの手を取ったりしたら彼女は微笑んで頭を撫でてくれた。
「じゃあ作りましょうか。もちろん夏希ちゃんも手伝うのよ」
「はい!」
うきうきしながら渡されたエプロンを着る。シフォンケーキが食べられるから嬉しいのももちろんだけど、私が愛してやまないシフォンケーキがどう生み出されるのか見られるのもうきうきに拍車をかけていた。
「母さん」
突然後ろから声がして、飛び上がりそうになった。私がシフォンケーキでうきうきしている間に、いつの間にかアオヤマが背後まで迫っていたらしい。意外とエプロンが似合ってる。
「あら幸輔。どうしたの?」
「小林さんが呼んでるよ。クッキーがなくなりそうだけどどうするか、って」
「クッキーが?」
美佐子さんは顎に手をあてて何か考えている。一方私は何の私だか全く分からない。小林さんはここで働いてる人だろうけど、クッキーがなくなると何が困るんだろうか。焼くのが間に合わないとかそういうことかな。
「夏希は俺が見とくからさ」
「そう、ね。ごめんね、夏希ちゃん。ちょっと行ってくるわ」
「あ、はい。頑張ってくださいね」
俺が見とく、って子供じゃないんだから、と突っ込むタイミングを逃してしまった。美佐子さんの背を見送って、せめてもの逆襲に恨めしい顔でアオヤマを見るけど、特に効果は無いようだ。
「じゃあやるか。店でやると邪魔だから家行くぞ」
それだけ言って調理器具を持ち、アオヤマは歩き始める。私は慌てて後ろをついて行った。
「ねえ、アオヤマもシフォンケーキ作れるの?」
「ああ」
何でもないことのようにアオヤマは言い放つ。けれど、私にとってはかなりの衝撃だった。仮にもケーキ好きな女の子である私が、お菓子作りにおいていくらお菓子屋さんの息子だといえこのぱっと見今時の若者に負けた。元々勝負する気はないけど、そもそも家には泡立て器さえ無いけど何か悔しい。
一旦お店の裏に出るとすぐにアオヤマの家がある。お邪魔します、と小声で言ってアオヤマに続き家に入った。リビングへの扉を開けると、カウンターキッチンが目に入った。少し散らかっているけど、汚い感じはしなかった。アオヤマはキッチンの棚からお菓子作りの本を出しパラパラとめくっている。
「何味がいい?」
え、と言ったきり私は固まった。シフォンケーキなら何でも良かったから、何味かなんて考えもしなかった。なら普通のにしておけばいいのだけど、いざ言われると欲が出てしまう。
「どんな味があるの?」
アオヤマは顎に手をあて、さっきの美佐子さんと同じ格好をしながら答える。
「紅茶とかココアとか、あと抹茶と……バナナかな」
お、思っていたよりも多い。どうしようどうしよう。
「全部作れたりしない?」
「は?」
「……冗談です」
アオヤマは溜め息をついてレシピ本を作業台に置いた。
「じゃあ普通のでいいな?」
「えー」
不満の声をあげるとじろりと睨まれ、思わず口を閉じる。残念ながら完敗だ。私がそれ以上口を開かないのを見ると、アオヤマは材料を用意しだした。
薄力粉、卵、バター、ベーキングパウダーと色んな物が出てくる。一通りの材料を出し終わると、アオヤマは卵を卵黄と卵白に分けた。割って、二つになった殻と殻の間を何度か往復する。あっという間に三つの卵が卵黄と卵白に分かれてしまった。
「夏希、ぼーっとしてないで手伝えよ」
アオヤマは私の前にはかりを置き、粉ふるいを渡した。
「薄力粉八十グラムとベーキングパウダー小さじ三分の二ふるって」
短くそう言って私に計量スプーンとボウルを渡すと、アオヤマはメレンゲ作りに取りかかった。慣れた手つきでハンドミキサーを動かす。パティシエみたいで格好いい。私もあんな風になりたいな、とか考えながら見とれていると、アオヤマがちらりとこちらを見た。
「やりたい?」
な、何故分かった。ゆっくり頷いてみると、アオヤマはふっと笑い、ハンドミキサーのスイッチを切って私に渡してくれた。そっとスイッチを入れると卵白が渦を描き、振動が手に伝わってくる。
「こんなん使うの初めて……」
「垂直に立てて、底に当てないようにしろよ。あと浅くしすぎると飛び散るから」
「えぇ? それじゃあ深くも浅くもできないじゃん」
「だから、深くも浅くもしないんだよ」
緊張しながらハンドミキサーを動かす。アオヤマは他の作業を始めたようだ。見ていてくれないと不安だけど、やるしかない。 と思った矢先に、ががが、と音を立ててハンドミキサーがボウルの底に当たった。慌てて引くと卵白がエプロンに跳ねた。
「気い付けろよ」
こっちを見ずにアオヤマが言う。怒られなかったことにほっとしながら、さっきより緊張してハンドミキサーを握る。
「メレンゲはシフォンケーキの命だから」
「う」
動揺で手が動かないよう力を込める。プレッシャーをかけるくらいだったら、卵白が跳ねたことを怒って欲しかった。
混ぜ初めて数分経つと、だんだん卵白がメレンゲらしくなってくる。横からアオヤマが砂糖と片栗粉を入れた。
「片栗粉なんて入れていいの?」
「入れると美味くなるらしいぜ」
レシピ本を指し示しながら言う。確かに本にはそう書いてある。ケーキに片栗粉なんて、美味しくなさそうだけど。
メレンゲはだんだん泡立って、跡が残るくらいになった。確かここでレモン汁と、砂糖と片栗粉をまた入れるはずなんだけど、アオヤマを見るとこちらを見ずに薄力粉とかを混ぜている。
「ねえアオヤマ、」
呼ぼうとしたら、アオヤマは手を伸ばして砂糖と片栗粉を入れ、冷蔵庫からレモン汁を出してボウルに入れる。
「アオヤマ、こっち見てたの?」
「見てたけど」
当然のことのように言う。こいつ、耳の辺りに目がついてるんじゃないか。
「ぼーっとしてまたメレンゲ飛ばすなよ」
「う」
今まさに飛ばしそうだったことに気付いて、慌ててハンドミキサーの位置を修正した。やっぱり横に目が付いてるんだ。
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