シフォンケーキを作りながら
時雨ハル
シフォンケーキを作りたい!
「あぁ、シフォンケーキ食べたいなぁ……」
昼休みの教室で、お弁当を食べながら私は呟く。母のお得意、黄色くてふわふわ卵焼きがふとシフォンケーキに見えたから。
「夏希、せめてご飯食べてない時に言ってくんない?」
購買のパンをかじりながら茜が言う。茜は髪を短く切りそろえていて、きりりとした目つきが格好いい。剣道をやっていることもあって中学生の頃は後輩の女の子に告白されたこともあったらしい。
「だって、シフォンケーキ美味しいじゃない」
言い訳になっていない言い訳をすると、茜は大きな溜め息をついた。私は卵焼きを口に運ぶ。甘くて美味しいけれど、もちろんシフォンケーキの味はしない。
「いいじゃない、茜」
横から香奈が助け船を出してくれた。手はコンビニのパスタサラダにドレッシングを絡めている。その度にふわふわの茶色い髪が揺れた。女の子にモテる茜と男の子にモテる香奈と友達の私は、いたって普通の人間だ。なんで二人と友達になれたのかは未だに分からない。
「女の子なんだしケーキが好きなのは当然じゃない。夏希のは、ちょっといきすぎな気はするけどね」
「だからって、毎日シフォンケーキシフォンケーキ言われるこっちの身にもなれっての」
「だって食べたいんだもん……」
「じゃあ食べればいいじゃん」
小さな声で抗議してみても、即座に言い返された。
「じゃあ茜おごってー」
「無理」
えー、とか言ってみても茜は聞いてくれない。大体これがいつもの会話だ。しかし、今日は違った。
「お金が無いなら、自分で作ってみれば?」
私と茜は同時に香奈を見た。
「シフォンケーキって、作れるの?」
「ショートケーキだって作れるし、作れるんじゃないかな?」
香奈は何でもないことのように言うけれど、私にとってはかなり衝撃的だった。そうか、シフォンケーキって作れるのか。
「夏希に作れるかなー?」
くすくす笑う茜に、私は頬を膨らませてみせた。確かに料理なんてしたことないけど、シフォンケーキに対するこの溢れんばかりの愛情があれば大丈夫、多分。
「もちろん作ってみせますとも!」
「頑張ってね、夏希」
「ま、応援してるよー」
二人の声援を受けて、私はご飯もそこそこに立ち上がる。
やると決意したら、とにかく行動あるのみなのだ。
「アオヤマ!」
隣のクラスの、廊下に面した窓から教室の中に頭を出して叫ぶ。呼ばれた彼は驚いた顔で振り向いた。
「……なつき?」
アオヤマの席は廊下に一番近いところにあり、私はそこに座る彼を自然と見下ろす形になる。
「何だよ?」
「今日アオヤマんちに行っていい?」
「はぁ?」
怪訝な顔をするアオヤマの周りから驚きの声が上がる。しまった、と思った時にはもう遅かった。
「どういうことだよ青山!」
「恋人がいるなんて聞いてねぇぞ!」
「色恋沙汰には興味無いって顔してるくせに!」
アオヤマはうんざりした顔で私を見る。私はごめん、と口を動かした。シフォンケーキがかかっているのだ、アオヤマの機嫌を損ねるようなことだけは避けなければ。
「えーと、あの、アオヤマのお母さんに会いに行っていい?」
アオヤマはああ、と納得した声を出し、周りの男子は急に静かになった。母親の方かぁ、と誰かが呟いてそれぞれつまらなそうに昼食へと戻っていった。
「じゃあ放課後にな」
「うん」
嬉しそうな顔をするとまたアオヤマが何か言われそうなので、できるだけ平静を装って答える。じゃあね、と言って廊下を歩き出し、十分教室から離れたことを確認して私は大きくガッツポーズを作った。
放課後、私は昇降口でアオヤマを待ち伏せし一緒に帰ることに成功した。アオヤマはちょっと嫌そうだったけど。
「で、いきなりどうしたんだ?」
昼休みほどぶっきらぼうではないのでとりあえず一安心して、ちょっと緊張しながら用件を告げる。
「美佐子さんにシフォンケーキの作り方教えて欲しいんだよね」
そう言うと、何故かアオヤマはため息をついた。
「え、何、どうしたの?」
「お前……昔もシフォンシフォンって言ってたじゃねぇか」
成長してねぇな、とアオヤマが呟く。まさか小学生の頃から私はシフォンケーキに恋い焦がれていたんだろうか。
「そう、だっけ?」
「そうだよ、母さんが作ったの食って以来ずっと。確か小五の頃だったか?」
言われてみれば、美佐子さん――アオヤマのお母さんにシフォンケーキを作ってもらったことがある、ような気がする。そっか、それがきっかけで私、シフォンケーキが好きになったんだ。それにしても小学生と今とで同じことを言っているなんて、我ながら一途なのか馬鹿なのか……。
「ま、自分で作ろうとしてるだけ少しは進歩してるかもな」
それは褒めようとしているのかけなそうとしているのか。どっちにしろ、友達に言われたからだなんて絶対に言えない。
「三年も経ってるんだし、な」
言われて初めて、そういえば三年も経ったんだと気付いた。
私のお母さんと美佐子さんは親友らしくて、近くに住んでいたので小学校の頃はみんなで色んな所に出かけ、私とアオヤマもよく一緒に遊んでいた。でも、中学校に入る前にお父さんの仕事の都合でアオヤマ一家は引っ越していってしまった。
「そっか。こうして話すのも三年ぶりだよね」
私とアオヤマが中学二年生の時、アオヤマはお父さんを亡くした。そしてアオヤマが高校へ上がるのを機にまた戻ってきたのだ。昔はアオヤマのことを幸輔と読んでいたけれど、今は何となく呼びづらくて名字で呼んでいる。
「引っ越してばっかの頃はこっちが色々忙しくて全然話してないもんな」
「そうだね。あ、お店は調子どう?」
戻ってきてすぐ、美佐子さんはお菓子屋さんを開いた。クッキーやパウンドケーキを売っていて、数人を雇っているだけの小さいお店だけど、だんだん人気が出てきているらしい。
「やっと慣れてきたってとこかな。常連さんもできたし」
アオヤマも放課後はずっとお店を手伝っているそうだ。昔はもっと自由奔放な奴だったのに、と思いながらこっそり横顔を見る。えり足が長めの髪はワックスで立てられていて、顔は私の記憶にある彼より骨張っていた。身長は私より頭一つ分高く、自然と見上げる形になる。外見は今時の若者にしか見えないのだけど。
「アオヤマ、随分背が伸びたね」
「昔からお前の方が小さかっただろ」
「でもこんなに身長差はなかったよ」
「ああ、言われてみれば夏希は昔よりちっちゃくなったかもな」
「私は縮んでないよ!」
下らないやり取りをして、笑い合う。昔に比べれば無愛想になったけどやっぱりアオヤマはアオヤマで、少し安心した。
「やっぱ三年経ってもそうそう変わらないね」
「夏希は相変わらずシフォン好きだしな」
う、と呻くとまたアオヤマは笑った。なんだか、三年前よりいじわるになってるかもしれない。
「ほら、もう着くぞ」
アオヤマについて角を曲がるとすぐ、美佐子さんが開いたお菓子屋さんがあった。アオヤマが店の裏口を開ける。
「ただいま」
どうやらそこは厨房らしい。表から見るとこぢんまりとしたお菓子屋さんなのに、厨房は結構な広さがある。しかもお店と厨房の間にもう一つくらい部屋がありそうだ。
「おかえりー、って夏希ちゃん?」
厨房から顔を出した美佐子さんは私を見て驚いて、それから笑顔を浮かべた。
「久しぶりねー、夏希ちゃん!」
「お久しぶりです」
手をとられてちょっと恥ずかしかったけど、私もつられて笑顔を浮かべていた。
「随分大きくなったわねえ。それに女の子らしくなっちゃって」
引っ越してきた時に会ったのにねえ、と屈託なく笑う美佐子さんを見て、私はちょっと泣きそうになった。
二年前、お父さんの葬式には私とお母さんも行った。美佐子さんはずっと、声を押し殺して泣いていて、それが逆に悲しくて、私も一緒に泣いてお母さんを困らせた。アオヤマはそんな美佐子さんの隣で、何の表情もなくまっすぐに立っていた。
「邦恵は元気?」
「はい、相変わらずバリバリ働いてます」
邦恵、というのは私のお母さんのことだ。いかにもなキャリアウーマンで、お金は稼いでいるけど家事はほとんどやっていない。両方やれなんて無理な話だと分かっているけど。
「そう、よかった」
美佐子さんは優しい顔で微笑む。実を言うと、そんな顔をしてもらえるお母さんがちょっとだけ羨ましい。
「それにしても幸輔、アンタもやる時はやるのね」
「は?」
アオヤマはあからさまに嫌な顔で美佐子さんを見る。いつの間にか美佐子さんの優しい笑顔は意味ありげな笑いへと変わっていた。
「この十六年、全然女の子の話しない幸輔が女の子と一緒に帰ってくるなんてねえ。しかも相手が夏希ちゃんと来れば言うことなしだわ」
「もー、美佐子さん」
美佐子さんが冗談で言っているのがその口ぶりから分かって、私は笑いながら美佐子さんをいさめた。アオヤマはため息をついて、慣れた手つきでエプロンをつけた。
「夏希が母さんにシフォンの作り方教えて欲しいんだってさ」
にやにや笑いを驚きに変えて美佐子さんは私を見る。
「あら、そうなの?」
「店の方は俺がやっとくよ。どうせもうすぐ閉店だし」
アオヤマは厨房の、私たちが入ってきた扉とは別の扉から出ていった。多分レジ打ちでもするんだろう。美佐子さんは目をぱちくりさせている。
「夏希ちゃん、まだシフォンケーキ好きなのねえ」
「あの、自分で作ろうと思えるくらいには進歩したんです」
一応は主張してみるけど、美佐子さんはくすりと笑っただけだった。
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