第2話

 おっさんがレストランでもらったというマッチで集めてきた木ぎれに火をつけ、君たちは火を挟んで向かい合った。君は体育座りで膝を抱え込む。少し肌寒くなってきた。

「布団持ってくればよかったね。」

 冗談めかして言ってみると、おっさんは意外に真面目な顔で頷いた。

「だが今から取りに行く訳にもいかないし、しょうがないな。」

 おっさんは立ち上がり、木からぶちぶちと葉を集め始めた。君もそれに習うが、背が低いせいかもう少しのところで届かない葉が多い。

「これでも、無いよりはマシだろう。」

 そう言って、地面の上に葉を並べる。君もたき火を挟んだ反対側に葉を並べ始めた。

「加奈子君、君は先に寝なさい。」

 そう言われて君は葉を敷く手を止めた。まさか眠らないつもりなのか、と火の向こうのおっさんを見る。

「おっさんは?」

「私はいいよ。蟹がいつ来るか分からないし、徹夜には慣れてるんだ。」

「でも――」

 おっさんは頼りない笑顔で君の言葉を制する。

「大丈夫だ。寝たくなったら君を起こして代わってもらうから。」

「――そう。」

 そこまで言われると言い返しようがない。君は葉のベッドの上に寝転がった。

「じゃあ、おやすみ。」

「ああ、おやすみ。」

 君は目を閉じた。目が覚めた時日常に戻っていることを願いながら――。


 ***


 大きな音で君は目を覚まし、それが爆発音だと認識して君は飛び起きた。

「おっさん!」

 周囲はまだ暗い。慌てて目をこらしおっさんの姿を探すと、彼は意外と君の近くにいた。君に気付き、おっさんは振り向く。

「やあ、加奈子君。起こしてしまったか。」

 何故か君の目頭がじわりと熱くなる。それを何とか抑え込んで、できるだけ平静を装って君はおっさんに尋ねた。

「何があったの?」

「また化け物が来たんだ。」

 おっさんが指さす方を見ると、何か黒い固まりが転がっていた。君は立ち上がって、おそるおそるそれに近付く。暗くてよく見えないがソレは、元々は爬虫類に似ていたのだろう、君より一回り小さいトカゲのような形で、半開きの口からは鋭い牙が覗いている。その姿は図鑑や教育テレビで見た、集団で狩りをしたという恐竜を思い出させた。彼らが狩りをする姿を思い出して、君は改めて恐怖を感じた。こんなのが集団で襲ってきたら。おっさんは魔法で何とかできるかもしれない。でも、君は? おっさんは君を守りきれるだろうか。自分のことで手一杯になって、君のことなど構っていられないかもしれない。そうなったら君は、あの映像のように四方から彼らに飛びかかられ、あの鋭い牙を突き立てられ――

「加奈子君!」

 おっさんの声で君は我に返った。目の前には、君に飛びかかろうとする化け物がいた。赤茶のうろこ、大きく開いた口に生える鋭い牙からは唾液が滴り、狂う理性など持っていないはずなのにソレは狂気じみて見えた。妙に遅く過ぎる時間の中で、君は動けずただソレを見ていた。

 視界が赤い光に染まる。爆発音とともに風が吹き付け、君は思わず目を閉じた。びちゃ、と頬に生ぬるいものが当たる。ああ、おっさんが助けてくれたんだ、と他人事のように感じながら君は目を開く。

「加奈子君、大丈夫か!」

 おっさんが君に駆け寄る。君の服は赤黒く汚れ、頬に触れると温かい血が指に付いた。

「おっさん……。」

「何故逃げなかった!」

 いきなり怒鳴られて、君はびくりと肩を震わせる。

「間に合ったから良かったが、もう少しでどうなっていたか……。」

 そう良いながらハンカチを出し、君の顔を拭いてくれる。口調は怒っていても表情からは君を心配していることが見て取れた。

「うん……ごめん。」

 あまりに必死なおっさんの表情に君は思わず謝る。視線を落とすと、赤く染まった服が目に入った。突然足の力が抜けて、君はすとん、と地面に座り込んだ。

「加奈子君?」

 君の目から涙がこぼれる。一度流れ始めた涙は止まることを知らず、次から次へとあふれ出した。自然と嗚咽が漏れる。おっさんは君の隣に座り、背中をさすってくれる。そうしてやっと、君は体が震えていることに気が付いた。おっさんの手の温もりが伝わって、君はさらに涙を溢れさせた。おっさんは言いにくそうに口をもごもごさせる。

「いや、その、すまない。君は悪くないのに、頭に血が上ってしまって……。」

 君は首を振る。何か言おうと思ったけれど声が上手く出ない。何も言わなくていいや、と君は思う。おっさんなら分かってくれる気がしたし、あるいは誤解されたままでもいい気もした。

 少しずつ、涙が引いてくる。

「落ち着いたかい?」

 君が頷くと、おっさんは頭を何度か叩いてくれた。

「本当にすまなかった。」

「おっさんは悪くないよ。」

 君はまた首を横に振る。声は少し震えているが、何とか出てくる。

「怖かったから、なんか涙出ちゃっただけ。」

 体の震えはいつの間にか治まっていた。泣いたおかげで恐怖は消えてしまったらしい。

「もう大丈夫。」

 君は立ち上がり、少しいびつな笑顔を浮かべた。おっさんもつられて微笑む。君はスカートに付いた土を払いながら寝床に戻る。

「見張り代わった方がいい?」

 振り向いた君の目に映ったのは、おっさんに飛び掛かろうとする化け物だった。

「おっさん!」

 考えるより先に君は叫び、駆け出した。おっさんは後ろを振り返り、右手を前に出す。

 ――間に合わない。

「おっさん!」

 再び君は叫ぶ。一瞬の光と爆発音、そして風が吹き抜ける。思わず閉じた目を薄く開けて、君は煙の中におっさんの姿を探した。

「おっさん、ねえ、無事なの?」

 返事は無い。がむしゃらに進むと、君の足が柔らかい何かに当たった。恐る恐る、足元を見る。

 化け物の一部だった。表面は焦げてはいるがぶすぶすと燃え煙を上げている。君は煙のせいだけでなく、吐き気を覚えた。

「おっさん? 返事してよ、ねえ。」

 徐々に晴れる煙に目を凝らしながら君はおっさんを呼ぶ。

「おおい、加奈子君。」

 おっさんの声が耳に届く。君は急いで声のする方を見る。煙の中にうっすらとおっさんのシルエットが浮かび上がった。君は案外に近くにいたおっさんに駆け寄る。

「おっさん! よかった、無事だった……。」

 君の声は途中で途切れた。おっさんは化け物のものとも彼自身のものともつかない血にまみれていた。固まる君を見て、おっさんは情けない笑顔を浮かべる。

「大体は化け物の血だよ。ただ、少し腕が、ね。」

「腕、ケガしたの?」

 君がまるで子供のように尋ねると、おっさんは右腕を上げてみせた。

 二の腕がえぐれ、そこから血が流れ出している。おっさんの服はぐっしょりと血に染まり、地面も赤く染まっていた。

「おっさん、血……。」

 君はおっさんの正面に座り、手を伸ばす。だが触れることもできず、直前で手を引っ込めた。

「痛くは、ないんだ。」

 おっさんの声は弱々しい。君は混乱していた。混乱していたが、とにかくこの傷を何とかしなければいけない。君は着ている制服の裾を破くと、おっさんの腕を肩に近い位置で縛った。どこかで聞いたような気がするという程度の処置だが、とにかく少しは出血が防げるはずだ。

「どうしよう。あと、傷口を押さえる?」

 自問しながら、とにかく傷口に付いた布をはがす。できる限り優しくはがしたつもりだが、多少痛いはずだ。君はおっさんの表情を伺い見るが、彼はぼうっとどこかを見ているだけで、本当に痛みは無いようだった。出血しすぎて痛みが麻痺してるんだろうか、と嫌な予感が君の頭をよぎる。

「おっさん、大丈夫? 痛くない?」

 予感を振り払おうとおっさんに尋ねてみると、彼は小さく首を横に振った。少しずつ、君の絶望は深くなっていく。

「よく分からない。感覚が鈍くて、君が触れているのも分からないんだ。」

 君の目からまた、涙がこぼれそうになる。それを抑え込んで、君は彼のシャツを脱がせた。

「これで押さえればいいよね。水で洗った方がいいかな?」

 彼が答えてくれることを微かに期待して、君は独り言ともつかない台詞を言う。彼を寝床に運び、君は水辺でシャツを洗った。きつくしぼってから彼の元へ戻り、傷口から目を逸らしながら軽く拭き、押さえる。

「おっさん、大丈夫だよね? 休んでれば、きっと、元気になるから。」

 彼は閉じていた目をうっすらと開けて、微笑む。その笑みの中に絶望を感じて、君の目は涙を流した。

「かなこ、くん?」

 掠れた声が君を呼ぶ。涙はもう止まらなかった。壊れた涙腺が勝手に涙を溢れさせる。

「おっさん、おっさん、あのね。」

 何か言わなければ、と気持ちが焦る。君は、沈黙が降りた瞬間に彼が死んでしまうような感覚を覚えていた。

「あたし、おっさんのこと、最初は情けないサラリーマンだと思ってたんだ。」

 抑えようとしても声が震える。それでも君は話し続けた。

「だけどさ、だんだんおっさん頼れるなって思ってさ、それで何か、お父さんみたいな感じしてさ、」

 自分でも何を言っているかよく分からない。ただ口をついて出る言葉を並べているだけだった。

「お父さんっていうか、理想の父親っていうの? あたしのお父さん頼りないからさ、何か、おっさんみたいな人がお父さんだったらいいなーって思ったりして。」

 だんだん、声が上手く出なくなる。涙のせいだ。君がいくら止まれと思っても、涙は流れ続ける。

「だから、だから、この世界が嫌な夢だったらさ、覚めるまで、あたし達親子でもいいんじゃない?」

 彼は小さく微笑んだ。君も泣きながら笑う。それは悲しい笑みだった。少しずつ、少しずつ君の中を悲しみと絶望が満たしていく。

「じゃあ、お父さん。」

 その言葉を発した途端、何故だか君を苦しいほどの悲しみが襲った。

 理由は分からないけれど、消えてしまいたくなるほど苦しくて、叫びたくなるほど悲しかった。彼を、認めたくはないがこれから死んでしまうだろう彼を、肉親だと思ったせいだろうか。それとも、君の中に隠れていた悲しみが突然吹き出てきたのだろうか。

「なーんて、さ。」

 後から冗談めかして言ってみても、悲しみの感触は消えなかった。彼がいなくなってしまうことを認めたくなくて、君はその感触を意識の奥に押し込める。

「加奈子」

 突然呼ばれて、君は驚きながらも少し照れ、はっきりとは開いていない彼の目をまっすぐに見る。

「どしたのいきなり?」

 彼の表情に、君は言いようのない寒気を感じた。

「おっさん? おっさん、ねえ――」

「もう、さよなら、だ。」

 心臓が、苦しくなる。君は無意識に胸を押さえていた。

「なに、いってるの。そんな冗談……」

 言葉が声にならない。

「君は、生きてくれ。」

「やだ、一人なんてやだよ……」

 彼は君の手を掴む。その手は冷たい。

「大丈夫だ、きっと。」

 君は彼の手を強く握り、首を大きく横に振る。

「やだ、いやだ、おっさん、死なないで。やだ……」

 悲鳴に似た声で呟く。彼は空いた手で君の頬を撫でた。

「君が、この悪夢を終わらせてくれ。」

 掠れて聞き逃してしまいそうな声。それでも君の耳には十分すぎるほどはっきりと聞こえた。

「終わらせるよ。だから、だから死なないで。」

 彼はゆっくりと、優しく微笑んだ。

「ごめんな。さようなら。」

 君の頬に触れていた彼の手が、地面に落ちる。

「おっさん……?」

 呼んでも、揺すっても彼は動かない。

「おっさん、おっさん、ねえ、起きてよ。」

 頭では分かっていても、口は彼を呼び続け、腕は彼を揺すり続ける。

「おっさん、ごめんね、ごめんね、あたしばっか何もできなくて、ごめんね。」

 いつか君は彼を呼ぶことをやめていた。その代わりに、君は何度も彼に謝った。

「あたしが迷惑かけなければ、おっさん死ななかったのに、ごめんね。」

 まるで、謝れば彼がよみがえるかのように。

「おっさん、おっさん――」

 君の声はだんだん大きくなって、悲鳴へと変わっていく。

「いやだ、いや、いやだよ――」

 君は頭を抱えてうずくまった。夢なら、悪夢なら覚めて、と君は呟く。悪夢のようなこの世界で、悲しみと、絶望は確かに君の中にある。

 君は、声の限りに叫んだ。

 この世界は、何故私達と化け物しかいないのだろう? 何故私なのだろう? 何故、何故、何故――君の中には、分かるはずのない問いばかりがうずまく。この世界は、何?

「あたしが、この悪夢を終わらせるの?」

 親の言いつけを繰り返す子供のように、君は先ほど彼に言われた言葉を口にした。

「どうすれば、いいの?」

 もはや彼ではない彼を見る。君の問いに答えるモノはいない。

「あたしにできる?」

 彼の口元はほんの少し、微笑んでいる。

「生きれば、いいのかな。」

 自信は無いけど、と小さく付け足す。死ぬのは怖い。なら、生きるしかないんだ。

「できるだけ、頑張るよ。」

 自信はないけどさ、とまた付け足す。立ち上がろうとして、足が震えていることに気が付いた。君は苦笑してまたその場に座る。

「立てるようになるまでは、ここにいていいよね?」

 そう、あと少しだけ。あと少ししたら、頑張るからね。君は呟いて。彼の手に触れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

世界が滅んだ日 時雨ハル @sigurehal

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る