世界が滅んだ日

時雨ハル

第1話

「おおい、君。起きてくれ。」

 知らない人の声で君は目を覚ました。うっすら目を開けると、君の目の前にネクタイがぶら下がっているのが見える。ぼやけた視界がだんだんはっきりしてくると、そのよれよれのネクタイをしているのがバーコードハゲのおっさんだという事が分かってきた。四角い黒縁眼鏡の奥にあるはずの瞳は光のせいで見えず、身につけているスーツはネクタイと同じくよれよれで、何十年も着続けているように見える。君は驚いて起きあがり、自分が布団で寝ていたにも関わらず中学校の制服であるセーラー服を着ている事に気付いた。周りを見回すと、君が寝ていた布団の周りは一面が砂漠。君が住んでいた家は跡形もない。

「何これ。」

 君の口をついて出たのは、そんな言葉だけだった。おっさんは肩をすくめた。

「朝起きたらこうなっていたよ。私にも何が何だか……。」

 会話が途絶える。君は突然喉の渇きを覚えた。どこかに水がないかと視線を巡らせる。水がなければ、こんな砂漠で生きていけるはずが無い。君は恐怖を覚えた。

 遠くに何かが見えた気がして、君は目を細めた。遠くて分からないが、オアシスかもしれない。

「ね、おっさん。」

「何だね?」

 君は先程まで見ていた方角を指差した。

「あっちにオアシスが見えない?」

 おっさんは目をこらすが、何も見えないようだ。君は何だか焦れったくなってきた。

「ねえ、オアシスが見えるからさ。あっちに行こうよ。あたし喉乾いて死にそう。」

 おっさんは頷いて立ち上がった。君も布団から出ると、オアシスを目指して歩き出した。


 ***


 前を歩いていたおっさんがいきなり立ち止まる。

「そういえば、まだ自己紹介をしていなかったね。」

 そう言ってポケットを探ると、彼は名刺を取り出した。

「私はカタヤマヒロシ。五十三歳だ。」

 名刺を見ると、「片山弘」と書いてある。君も彼に習って自己紹介をした。

「あたしはハラカナコ。中学三年生。」

「ハラカナコ――とは、どういう漢字を書くのかな?」

 君は「ハラカナコ」を「原加奈子」と書くことを説明した。そんなことどうでもいいだろうと思いながら。説明が終わると、彼は満足そうに頷いた。

「なるほど。」

 君たちは再び歩き出した。足下に落ちている木の棒きれの数が多くなってきた。オアシスもすぐそこに見える。南国に生えているような木々の中心にある、大きな泉。君は思わず駆け出した。だが、オアシスを目前にしてその動きが止まる。

「どうした?」

 おっさんが訝しげな表情をする。君は何とか声をしぼり出した。

「何かいる……。」

 君が見たのは、オアシスで水を飲んでいるモノ達だった。茶色く堅そうな甲羅で体を覆われた、蟹に似た化け物。それは顔を上げ、君の方を見る――

 ――見つかった。

 君は本能的にそう感じた。

「逃げるぞ!」

 おっさんは動けない君の腕をつかんで走り出した。化け物は君たちを追いかける。このままではそれらに捕まる事は明白だった。おっさんは落ちていた木の棒を拾うと、化け物に向かい合った。

「加奈子君、君は先に逃げろ!」

 君は躊躇した。ここにいても何も出来ない事は分かっていたが、それは彼も同じだった。

「でも!」

「大丈夫だ!」

 何が大丈夫なんだ、と思いながらも君はおっさんに背を向けた。そして君は、彼を置いて逃げ出した。

 後ろで爆発音が聞こえた。恐怖を感じながらも、君は振り返らずにはいられなかった。

 おっさんは立っていた。周りには動かなくなった化け物達が転がっている。彼がおもむろに右手を差し出すと爆発が起こり、残っていた化け物達もただの甲羅と化した。

「おっさん?」

 恐る恐る、君はおっさんに近付いた。前に回り込んでみると、彼は呆然とその場に立ち尽くしていた。

「ねえ、どうしたの? 今の何?」

 おっさんはようやく君に焦点を合わせた。

「魔法、か。」

「は?」

 魔法、という言葉はすぐには君の頭に染み込まなかった。十数秒かけて、ようやく君は「魔法」という言葉の持つ意味を理解した。

「どんだけファンタジーな事言ってんのよ! 魔法なんて現代人が使える訳ないでしょ!」

 君が一気にまくし立てると、おっさんはゆっくり首を振った。

「魔法ではなかったとしても、他にどう言えばいいのか分からないよ。何も道具を使っていないのに、勝手に手から火の玉が出てきたんだ。」

 君はおっさんの言葉をにわかには信じられなかった。しかし道具が無いのは見れば分かる。彼が嘘を吐いているようにも見えない。信じる他になかった。

「――わかった、信じるわよ。」

 ようやく君は認めた。何故だか悔しい気分がしたが。おっさんはもう動かない化け物を拾い上げた。

「もしかしたら食べられるかもしれないな。」

「え?」

 君は耳を疑った。今さっきまで自分達を襲っていたモノ達を、彼は食べるつもりらしい。

「蟹の身に似てない事もないな。美味いかもしれないぞ?」

 美味いかもしれないぞ、という言葉が君の右耳から頭を通って左耳に抜けた。抜けきらなかった美味いかもしれないぞ、が頭の中で響いている。

「信じらんない。」

「まあそう言うんじゃない。食べなくては生きていけないからな。」

 放心している君の目の前でおっさんは化け物の足を引き抜いて、胸ポケットから十徳ナイフを取り出し殻をはがした。身を口に放り入れて良い焼き加減だ、などと言っている。

「加奈子君も食べてみるかい?」

 言われて初めて、君は空腹に気が付いた。だがいくら空腹だといってもそんな化け物を食べる気にはなれない。

「あたしはいいや。食欲無いし。」

「しかし、食べない事には」

 君の腹から大きな音がした。おっさんは笑って君に化け物の足を差し出す。

「蟹は嫌いか?」

 君ののどが鳴る。蟹は嫌いではない。むしろ蟹を嫌いな日本人などいないと信じているほど君は蟹が好きだ。君はおそるおそるそれを受け取る。確かに蟹に見えないこともない、かもしれない。きつく目をつぶって、君はそれを口に入れた。

「――う」

 一口食べた瞬間、蟹の味が広がる。先ほど襲われたことを考えなければ、確かに君は蟹を食べている、といってもいいだろう。

「美味しい……。」

 おっさんは満足げに頷く。取りたて焼きたてなだけあって、なかなかに美味しい。

「こいつらが他にもいるのなら、とりあえず食料の心配は無いな。」

 おっさんの言葉が、君にあることを気付かせる。

「ねえ、おっさん。」

「ん?」

「あたし達、いつまでここにいるの?」

 おっさんは困ったような笑みを浮かべる。君もおっさんが答えられないことは分かっている。それでも、聞かずにはいられない。自分でも信じられないほど感情が高ぶっていた。

「またさっきみたいな怖い思いするのは嫌だよ。ねえ、いつになったら戻れるの?」

「加奈子君――」

「どうしてこんなことになったの? どうしてあたし達しかいないの? どうしておっさんだけ戦えるの? ねえ、どうしてあたしだけ――!」

 君は急に咳き込んだ。砂漠の砂が気管に入ってしまったらしい。おっさんが君の背中をさすってくれる。咳が治まるとともに、気持ちも少し落ち着いてきた。

「ごめん、おっさん。」

 まだ本調子にならないのどで、君は小さく謝った。

「いや、いいんだ。それよりほら、水でも飲んだらどうだ?」

 素直に頷いて、君は水辺に座る。横からおっさんが大きな葉を差し出した。

「何?」

 受け取ってみると、その葉は少し細工をしてあって水がくめるようになっていた。

「手からでは飲みづらいだろ?」

「あ、ありがと。」

 サラリーマンの割には器用だなと思いながらも君は早速葉のコップを使ってのどを潤す。水がひんやりとのどを通って、心地良い。おっさんも君の横に座り水を飲み始める。沈黙が流れて、何となく気まずくなって君は話し出す。

「この後、どうしたらいいのかな。」

 余計気まずくなるかな、とも思ったがおっさんは特に動じる様子もなく真剣な顔で答えてくれる。

「とにかく今日はここで夜を過ごすしかなさそうだな。」

「ここで?」

 君は恐怖を感じた。またあの化け物がやってくるかもしれない。寝てる間に襲われたら、どうなるのか。殺されて、食われてしまう?

「火を焚いておけば蟹も来ないだろう。今は水辺を離れる訳にはいかない。」

「う、ん。」

 アレを蟹と呼ぶことに抵抗を感じたけれどとりあえず君は頷いた。おっさんがそう言うのなら、きっと大丈夫だ。無条件でおっさんを信じていることに気付いて、君は一人笑う。

「どうした?」

「何でもない。」

 おっさんが不思議がる顔もまた、少し面白かった。

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