罪人
時雨ハル
罪人
洞窟の中に足音が響く。足音は迷いなく、ゆっくりと奥へ進んでいく。たいまつが最奥を照らし、足音は止まった。
「キミが魔物?」
魔物はたいまつの火を振り返り、目を細めた。
「お前は、誰だ」
「アース。アース・ラネット」
魔物がよく見えるようにたいまつを動かし、少女はもう一度キミは?と尋ねた。魔物は炎から顔を逸らし、目を伏せた。
「何をしに来た」
「封印された魔物を殺しに」
魔物の低い笑い声が、一瞬響いた。
「まだ私を知る者がいようとはな。数万年は経ったと思っていたが」
「もう十分経ってるよ。キミが封印されたのは、忘れられた時代だもの」
忘れられた時代か。何も見ずに呟いた後、沈黙が流れた。少女は表情を変えず続く言葉を待った。
「殺しに来たのなら早く殺せ。もっとも、お前のような子供に私が殺せるのならの話だが」
少女はたいまつをそっと地面に横たえた。ためらいがちに剣の柄に手をかけ、まっすぐに魔物を見つめた。
「本当にキミは魔物なの?」
思わず振り返った魔物の視線と少女の視線がぶつかった。
「人間にでも見えるのか」
少女は答えず、音もなく剣を抜いた。その身体には不釣り合いな剣を、重さなど感じさせずに持ち上げ、静かに刃を魔物の首筋に突きつけた。切っ先はかすかに震えている。
「どうした。まさか怖いのか」
少女は無言で首を横に振った。さらに問おうとした魔物の言葉をさえぎり、誰にともなく呟いた。
「殺す必要なんてないのに」
「殺す必要が無いだと?」
聞き返した魔物の声には、明らかに不機嫌な響きがこもっていた。
「どうして魔物だからって――キミは、何もしてないのに」
「馬鹿かお前は」
溜め息混じりの言葉に少女は頷いた。一歩、魔物に歩み寄り、今にも泣きそうな声で必死に言葉を紡ぐ。
「分かってる、でも、分かんないけど、キミが悪く見えない」
鋭い音が洞窟の空気を裂いた。少女の手には何も握られていない。
「何のつもりだ」
怪訝な表情をした魔物に少女は一歩ずつ近付いた。少しずつ、魔物の姿が輪郭を帯びていく。
「それにキミは、他の魔物とは違う。自分が死ぬことを何とも思ってないみたいに見える」
「何万年も暇を持て余せば、死んでみたくもなる」
少女は首を横に振った。くすんだ金色の髪が魔物に届きそうな程に揺れた。
「でも、人間だって魔物だって、どんなに暇でも死にたいなんて思わないよ」
魔物は手を伸ばし、少女の髪を指ですくった。
「それはお前がまだ孤独を知らないからだ」
――死さえ許されない永遠の孤独。
弾かれたように魔物の顔を見た少女には目を向けず、魔物は少女の髪の毛をもてあそんでいた。その顔には何の表情も浮かんでいない。
「キミはずっと、独りだったの?」
魔物は少女の髪から手を離し、自嘲的な笑みを漏らした。
「今日の私はどうかしているな。それともとうの昔におかしくなっていたか」
「キミは――」
言葉を途切れさせ、少女は剣を拾い上げた。
「それでいい。この命を断ち切る者を待っていた」
振り上げた剣は、暗闇の中で冷たい光を放っていた。その姿のまま、微動だにしない。
「嫌だよ、こんなの――」
少女の瞳から雫が落ちる。頬を伝い、淡い光が地に落ちて、すぐその輝きを失った。魔物が優しく語りかけた。
「アース」
名を呼ばれ、また雫が落ちた。堰を切った涙があふれ、次々と地面を濡らしていく。
「分かってる、分かってるよ。でも、」
弱々しく首を振るアースの名を、魔物は再び呼んだ。
「何も言わないで」
はっきりとさえぎられ、魔物は静かに頷いた。
一瞬の静寂。
冷たい光は影を残し、迷うことなく振り下ろされた。
罪人 時雨ハル @sigurehal
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