とある夏の日に
猛暑が過ぎ去り、少しだけ涼しくなって来た、とある夏の日。一人でガレージの天井を見上げていた。
ふてぶてしく起き上がると、ヘルメットの小傷や、今年で随分と使い込んだグローブのほつれなんかを気にしながらシャツを羽織った。
ゆっくりと愛車を車庫から出してシャッターを閉める。その時、優しい風が葉を揺らし、頰を撫でた。空を見上げるとのどかな青空が広がっている。
そんな、夏の日だ。
キックを踏み降ろすとエンジンが機嫌良く回り、サイレンサーから白煙が吐き出される。グローブを履いて、クラッチを人差し指と中指でいつもより丁寧に握り、ペダルをつま先でカコンッと落とす。何度か吹かし、回転数を合わせながら走り出した。
途中まで閉めたジャケットのチャックの隙間から、風が入り込み全身を包む。
この田舎町の真ん中を通る、道を走っているとコンビニから出て来た中根がこちらに気づき、軽く手を振って来た。それに応える為、左手をヘルメットの横まで上げた。
それから少し走ると、次は俊介と佐々木さんが二人で歩いていた。二人ともこちらに気づき、大きく手を振って来た。再び左手を振って応える。
信号待ちをしていると、反対車線に森中が見えた、ジェットヘルの向こう側にニッコリと笑う顔が見えた。フルフェイス越しに軽く笑顔を見せて、左手を振る。
町中を走っていると祭りがあった通りを走っていた。今年の夏を思い出し、少しだけせつなさを感じる。汗を掻きながら自称レーサーを助けた日、歓迎会で食った肉の味と潮の香り、告白を見届けた後に二人で語りあった祭り後の夜、赤い太陽に消えゆくバイクを追いかけた夕暮れ、夜の学校に忍び込み逃げ回った胸の鼓動、オイルの焼ける匂い、革ツナギとレプリカヘルメット。
いろんなことがあった夏の情景、忘れないだろう。思い出の半分が詰まったバンバンはガレージに眠っている。そして今もエンジンの鼓動を響かせているこのバイクには、これからも思い出が増えていくだろう。それにいつか更に歳を重ねる度、バイクも変わっていく。それでもバイクに乗る心と、増えゆく思い出は変わらないだろう。
峠の駐車場に着いてヘルメットを脱ぐと、ほんのり冷たい風が吹いている。今年も夏が終わる。必ず季節は巡り、秋が来て葉を枯らし、冬が来て雪を積もらせ、春が来て桜を咲かせ、来年もまた夏が来る。そうすれば自分もまた歳を重ねているだろう。
空の下にエンジン音が響き渡った。前を見ると木穂がバイクに跨って、こちらを見ている。
「夏の間に随分と勝負したな」
ヘルメット越しの彼女が少しだけ笑って、小さく頷いた。
「下りで勝負、するか?」
「負けたら、どうするの」
「そうだな、またあの温泉に行くってのはどうだ?」
「わざと負けるかもよ」
「お前らしくない冗談だな」
「そう?」
「じゃあメシでも奢ろう」
そう言うと素早くシールドを閉めた。「笑うようになったな」と言おうとしたがそれは勝負がついてからにしよう。
ヘルメットを被る、グローブを履く、ギアを入れクラッチを繋ぐ。
峠から町にエンジン音を響かせるバイクが二台。今年も夏は終わる。でも、それはあともう少しだけ先の話。
自称レーサーの少女とバイク乗りによる夏物語。 @siosio2002
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