第3話
誰かがひたすらに謝っている。ごめんなさい、ごめんなさいとだけ繰り返す。どうしてと尋ねても、ごめんなさいとしか言わない。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい――。
「ごめんなさい。」
目が覚めた。最後の言葉は夢の中で聞いただけなのか、自分で言ったのか、それとも他の誰かが言ったのか。
暗い部屋を見回す。ふと目が止まったのは、いつの間にか起き上がっていたリア。
「リア?」
僕は明かりを点けた。外が暗いせいで、部屋全体は照らせない。
「リア、どうしました?」
「ううん、何でも――大丈夫。」
ベッドを降り、リアの近くに寄った。彼女が酷い汗をかいているのが分かる。
「――悪い夢でも?」
無言でリアは頷いた。体が小さく震えている。
「ねえ、どんな夢だったか、聞きたい?」
消え入りそうな声と、子供のように頼りない話し方。
「ええ。リアが話したいのなら。」
「本当に?」
僕を見上げる顔は今にも泣きそうで、何かを恐れているようだった。
「嫌な夢だよ、すごく。」
彼女に涙を流させないためなら何でもできるような気がして、僕はそっと彼女の頭を撫でた。
「それでリアが少しでも楽になるのなら、喜んで。」
僕の言葉を聞いて、リアはうつむいた。沈黙が流れる。しばらく経つと、彼女はうつむいたまま、ぽつりと言った。
「クルゥが、あたしを殺そうとする夢。」
僕の体に緊張が走った。リアの手が、僕の寝間着を掴む。
「あたしがクルゥの大切な人を死なせちゃったから、クルゥは、あたしを殺そうとして、あたしはごめんなさいごめんなさいって謝って――。」
思わず僕は、彼女の体を抱きしめた。リアは何の抵抗もしなかった。その体は小さくて、細くて、ただ震えていた。
神がいるなら、神よ。なぜ彼女にこのような夢を見せるのですか。
「大丈夫、あなたを殺す事なんて、絶対にありません。」
小さくリアは頷いた。そして、ごめんなさい、と謝った。
「謝らないで下さい。あなたは何も悪くないんですから。」
もう一度リアは頷いた。僕は、会ってから一日も経っていない彼女に深い愛情を持っている事に気付いた。
守ってあげたいと、そう思った。
「ねえ、リア。」
リアは顔を上げ、僕を見た。いつの間にか彼女の頬に流れていた涙を指でぬぐい、僕は話し始めた。
「リアは僕の、『大切な人』かもしれません。」
言葉の一つ一つが恥ずかしくて、照れた笑いで誤魔化しながら話し続けた。
「今、そう思ったんです。リアが大切だ、って。あなたを守りたい、って。」
リアもつられて笑みを浮かべる。
「何それ。告白?」
「違いますよ。だとしたら早すぎでしょう。」
異性に対する愛とか、そんなものではない。むしろ親が子に対して持つ愛情に似ていて、うまくは言えないけど、彼女が悪夢なんて見なくてもいいように、守ってあげたい。
くすりと笑ってから、リアは言った。
「ありがとね、クルゥ。ちょっと、楽になった。」
頬を赤く染めて、口元をほころばせる。
――彼女の笑顔を見るためなら、何だってできる。
そう思った自分に少なからず驚いた。
***
朝日が差す窓のすぐそばにリアが立っている。窓の向こうには大きな鳥がいる。あまりぐずぐずしている訳にはいかなかった。
「本当にありがとね、いろいろと。」
「いえ、こちらこそ。」
リアが首を傾げる。僕は言葉の代わりに笑顔を返した。
「そうだ、リア。よかったらこれを……。」
僕は『たいせつなひと』をリアに手渡した。
「いいの?」
「はい。」
リアは微笑んだ。初めて見せる、やわらかな微笑み。
「ありがとう。」
沈黙が落ちた。
「リア。」
お互いの視線が真っ直ぐにぶつかった。
「また、会えますか。」
リアは再び微笑んで、言った。
「会えるよ。だって、お互いに大切な人だもん。」
その根拠の無い言葉になぜか安心して、僕も笑みを浮かべた。
「その時は空から落ちてこないで下さいね。」
「酷い、クルゥ。もうそんなヘマしないもん。」
くすくす笑い合う。笑いが消えると、また沈黙が落ちた。
決心したように、リアが言う。
「じゃあ、もう行くね。」
「はい。」
リアは鳥の背にまたがった。ためらって、けれど彼女は別れの言葉を告げた。
「――さよなら。」
「ええ。――また、どこかで。」
彼女は大空へ飛び立った。
たいせつなひと 時雨ハル @sigurehal
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます