第2話

「何やってるんだろうなあ。」

 部屋でひとりごちる。僕のベッドの上では先程の少女がかれこれ三時間は眠っている。とにかくここまで来たからには無事に彼女を帰さなければならない。

 改めて彼女を見る。髪は薄茶色で、少し外にハネている。年は僕より少し下で、十一、二歳だろうか。顔に全く覚えはない。強いて言えば僕の母に似ている気もするが、服装からして家の関係者でもないだろう。手がかりは全く無いし、目を覚ましてくれない事には何もできないという訳か。

「うぅ……ん。」

 身じろぎして、彼女が目を覚ました。目をこすって、僕を見る。部屋を見回す。

「あれ、ここどこ? 君誰?」

 どこから説明したらいいものか。

「えっと、僕はクルツェン・ガルシェットで、ここは僕の部屋です。」

「くるつ……えん?」

 呼びにくそうだ。発音の仕方からしてこの国の生まれではなさそうだし、当然だろう。母もこの国の出身ではなく、彼女に似た発音方法だった。

「呼びにくければ、クルゥでいいですよ。」

 とっさに出てきたのは、母に昔呼ばれた名。

「あ、うん。クルゥ、ね。あたしはリア。」

「それだけですか?」

 僕が聞き返すと、彼女は少し首を傾げた。

「うん。何か変かな。」

「あ、いえ。」

 いわゆる上流階級の出でないのなら、そう長い名前でも無い事をやっと思い出した。何故か金持ちは長い名前を付けたがる。

「それで、リアさんは、」

「リア、でいいよ。」

 少し間が開く。

「リア、はどうしてウチの庭に?」

 リアはこちらを見ずに話し始めた。

「あたしね、召喚士っていうか、その卵なんだ。だから喚んだ子に乗る練習してたんだけど、間違ってここの木に突っ込んじゃって…。」

 ごめんなさい、とリアは小さく呟いた。僕は努めて明るく振る舞う。

「失敗したのなら仕方ありませんよ。それに、もう一度喚べば帰る事もできるでしょう?」

 あーとかその、とか言いながら、彼女は所在なげに視線を泳がせた。

「その子、初めて喚んだ子だから、魔力使っちゃって、しばらくは喚べないの。」

 困った事になった。屋敷の中を抜けようとすれば使用人に見つかるのは確実だし、彼女が召喚獣を喚び出さない事にはどうにもならない。

「いつ頃になれば喚べますか?」

 リアは首を傾げた。

「半日くらいしないと……。」

「半日、ですか。」

 真夜中だ。夜はここで越さなければいけないという事か。

「ごめんなさい。」

 消え入りそうな声でリアは謝罪した。

「謝る必要ありませんよ。」

 イツキさんが時々僕にしたように、リアの頭に手を置く。笑いかけると、彼女の不安も多少ほぐれたようだ。

「とりあえず、そろそろ夕飯なので行きますね。リアの分も上手く言って用意します。」

 リアは慌てて両手を顔の前で振った。

「いいよそんなの! 平気平気、一食くらい抜いたって大丈夫だから――」

 彼女の腹の虫が盛大な音を立てた。彼女は恥ずかしさから、僕は笑いをこらえるのに精一杯で口をつむぐ。

 僕は耐えきれなくなって、笑いを漏らした。リアが怒りからか、それとも羞恥からか顔を赤くする。

「ちょっと、笑わないでよ!」

「すみません、つい……」

 ひとしきり笑って、ようやく落ち着いた。まだ息は切れるけど。冗談抜きで、あまり召喚術を使えばお腹も空くだろう。

「とにかく、リアの分も用意しますよ。多分遅くなるので、暇だったらそちらの部屋で本を読んでいて下さい。」

 僕は図書室を指し示す。リアはこくりと頷いて、

「ありがと。」

はにかみながら礼を述べた。


 ***


 どうにかパーティーを抜け出して、うんざりしながら部屋に向かう。両手に持ったお盆にはパーティー会場でもらったカナッペを乗せて。

どうしてこの家では連日連夜パーティーをやるんだろうか。毎日のように金持ちが集まって、僕はいつだってその相手をさせられる。一人息子なのだから当然だけど、正直彼等の相手は退屈だった。僕はいつでも子供扱いされたし、本当に僕と会話をしようという人はまずいない。僕との仲を深め父に取り入るのが目的だから、彼等はできる限り僕に甘くする。父もそれを分かっていながら僕に相手をさせる。だから僕は、いつでもできるだけ早くパーティーから抜け出すようにしていた。今も自分の娘と僕を結婚させようという婦人をなんとか振り切ってきたところだ。

「リア、僕です。開けて下さい。」

 料理で手がふさがっていて扉が開けられない。しかし、何度か呼んでもリアは出てこなかった。仕方なく、料理を無理矢理片手に持って何とか扉を開けた。

 こちらの部屋にはいない事を確認すると、料理を適当な所に置いて扉を閉める。図書室に入るとすぐリアの姿が目に入った。やはり本に集中して僕の声は耳に入らなかったようだ。

「リア」

 すぐ近くで呼んでも返事は無い。横から顔をのぞき込む。

 ――人の集中した顔って綺麗だな。

 リアとばっちり目が合った。

「うわわ、クルゥ!」

 リアは大袈裟に飛び退いた。

「あ、ごめんなさい。リアが集中していたみたいなので、つい。」

 首を横に振り、リアは読んでいた本を閉じた。僕の方を見て、照れたように笑う。つられて僕も微笑んだ。

「読んでたらつい夢中になっちゃった。ね、この本誰が書いたの?」

 そう言ってリアが見せたのは、『たいせつなひと』。

「それ、僕の母親が書いたみたいです。僕はよく覚えてないんですけど。」

「クルゥのお母さん? じゃ、その人に会える――」

 リアは言葉を途切れさせ、うつむいた。

「――訳ないよね、ごめん。」

「いえ、大丈夫ですけど……。」

 偶然だろうか、これだけの会話で気付けるなんて。

 疑問は取り払い、話題をずらした。

「リアはどうしてその本に興味を?」

「んー、分かんないけど、懐かしいっていうか。」

「懐かしい?」

 昔似たような話を読んだとか、そういう事だろうか。

「話が興味深かったからかな。ラストが無かったし。」

 釈然といない感じはあったが、とりあえず納得をしておいた。リアは本を元の位置に戻した。顔を僕に向ける。

「それよりさ、何て言うかその、―夕ご飯は?」

 遠慮がちに言うリアがおかしくて、思わず吹き出した。リアが必死に弁明する。

「だ、だってお腹空いたんだもん、しょうがないでしょ!」

 その言葉が更におかしくて、遂に僕は笑い出した。ああもう駄目だ。お腹痛い。こんなに笑ったのは一体どのくらい振りだろう。リアが顔を真っ赤にして叫ぶ。

「もう、クルゥ! いい加減にしてよ!」

 僕はお腹を押さえながら、必死に言葉を絞り出した。

「僕も笑いを止めたいのは山々なんですが、何故か止まらなくて…。」

 むしろ誰かに止めて欲しい。

 一体どれだけ笑い続けただろう。ひーひー言いながら何とか僕は笑いを止めた。まだ苦しい上にお腹が痛い。

「とりあえず夕ご飯を食べましょうか。」

 リアは不満げに立ち上がった。僕は一つ深呼吸してから部屋へ戻った。


「いただきまーす。」

 控えめに言っているが、今まで必死に我慢していた事が全て顔に出ている。

「あまり量はありませんが、それで我慢して下さい。」

「うん、本当にありがとね、何から何まで。」

「いいですよ。」

 嬉しそうに食べる顔を見ていると、こちらまでついつい笑顔が浮かんでくる。食べているとリアは沈黙しがちで、自然と僕が話し出す。

「リアは、大切な人っていますか?」

「大切な人ってどんな人?」

 すぐに答えが返ってくる。僕は肩をすくめ正直な答えを返した。

「それが分からないんです。」

 リアは一旦食べるのをやめて首を傾げる。

「いなくちゃ困る人かな。」

「ええ、多分。」

 リアは生ハムのカナッペに手をつけ、事も無げに言った。

「じゃ、クルゥも大切な人だね。いなきゃ大変だったし。」

 唐突すぎて言葉が出なかった。彼女はさほど今の言葉が重要だとは思っていないようで、先程手をつけたカナッペを一口かじった。冗談混じりに言っているのか真剣に言っているのか掴めずに、僕は沈黙してしまった。リアが僕の顔を覗き込む。

「どうしたの?」

「あ、いえ、何でもありません。」

 リアは一言「そう。」とだけ言って、再び食べる事に集中した。沈黙が降りる。

 僕の頭の中では、まだ先程のリアの言葉がループしていた。彼女にとって僕が大切な人なら、僕にとって彼女は大切な人なんだろうか。いくら考えても答えは出ない。

無駄な事を考え続けていると、今度は沈黙が気になり始めた。普段は話しかけられるのが嫌なのに、逆に何も話さないと嫌だなんて矛盾していると、自分でも思う。思ってみたところで沈黙が苦痛である事には変わりなく、僕は口を開いた。

「リアは、東の方の出身ですか?」

 内容は、何とも他愛のない話。リアは食べる手を休め、肩をすくめた。

「分かんない。」

 この答えに僕は少なからず驚いたが、よくある事なのだろうと思い直した。リアは最後の一口を飲み込んで、僕に聞き返した。

「どうしてそんな事聞くの?」

「僕の母に話し方――というか、訛りが似ていたので。」

 「ふーん」と言って、リアは少し首を傾げた。癖で首を傾げてしまうのだろうか。興味があるのか無いのかよく分からなかったけど、僕は話を続けた。

「母も『クルツェン』という名が呼びにくかったみたいで、『クルゥ』と呼んでいたんです。」

 何も答えずに、リアは僕の目を見た。突然表情が変わった事に僕はうろたえた。これといった表情は無いのに、瞳には力がこもっている。

「あたしに『クルゥ』って呼ばれるの、辛くない?」

 すぐには返事ができなかった。図星だったからではなくて、そんな事を聞かれるとは思ってもみなかったから。リアは微動だにせず僕を見ている。

「そんな事ありませんよ。」

 本心から僕はそう答えた。もう何年も前の事だからか、「クルゥ」という呼ばれ方に特別な感情は無い。正直に言えば、母の声さえももう思い出せない。だけどリアに呼ばれると奇妙な懐かしさがあって、心地よかった。

「ならいいんだけど。」

 リアの言葉の最後はあくびへと変わった。思わず微笑んで僕は言う。

「そろそろ寝ましょうか。」

 目をこすりながらリアが頷く。僕は布団を出して床に敷いた。リアはこっちでいいだろう。あまり気を遣わせるのは良くない。リアを見ると、頭がかくんかくんと揺れている。

「リア。用意ができましたよ。」

 うー、と言ってリアが頷いた。何とかパジャマに着替えさせて、布団に寝かせる。もぞもぞしながら、リアは何か言った。

「え?」

 僕は耳を近付ける。にへーと笑って、リアは言った。

「おやすみ、クルゥ。」

 つい笑みがこぼれる。僕は明かりを消した。

「おやすみなさい、リア。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る