第93話 OBポタリング

ミトこと水戸英恵みとはなえは、大学の卒業記念に『ワンスモア』から贈呈されたサーリークロスチェックでサイクリングの集合場所に急いでいた。


今日は、『ワンスモア』の先輩であったレイとコトコとのサイクリングの日である。ミトが入部した時の『ワンスモア』はどちらかというと体育会系で、約束の時間に後輩が遅刻するなど許されることではなかった。


集合場所の公園に着くと、レイとコトコはすでに来ていた。遅刻したかと青くなったが、まだ時間にはなっていない。ホッとしたミトだった。


久しぶりに会う赤いトレックのレイは、また少しぽっちゃりしたようだった。白のキャノンデールのコトコは相変わらずスリムだが、青白い顔をしている。


ミトのクロスチェックは、ミトのもう1台の愛車であるオーダーメイドのロードバイクと同じ水色にカスタムペイントされた車両である。贈呈された時はシングルスピードだったが、何となくなじめなかったので、ユウたちには悪いと思ったが変速付きに戻した。クロスチェックはロードバイクに比べて重いが、楽なポジションがとれるし太いタイヤが入れられるので乗り心地と安定感に優れる。


仕事で疲れた週末の体には、それがありがたく最近は大体クロスチェックに乗ってしまっている。


そのクロスチェックが大学卒業の記念品として、『ワンスモア』の後輩たちから贈呈されたと聞いて、私たちもそんな後輩がほしかったとうらやましがるレイとコトコだった。


3人は公園を出発した。多摩ニュータウンは丘陵地で平らな道はないのではないかと思えるほど、上下にうねっている。


今日はレイとコトコのリクエストで、荒川や多摩川のサイクリングロードではなく、ゆっくり散歩するように走りたいとのことだった。ミトが案内で先頭を走る。


しばらく幹線道路沿いに走ってから脇に入ってすぐ田んぼになったところで、布田道と呼ばれる時代劇に出てくるような土の道がある。ロードバイクの細いタイヤとビンディングペダルではタイヤが滑ったりして少々走りづらい。だがクロスチェックの太めのタイヤとフラットペダルはそんな道でも物ともしない。しばらく行くと竹藪になり丘を削ったような道になった。


「ここは『関屋の切通し』と言って、その昔、新選組の近藤勇が小野路の小島家の道場に出稽古に通ったこともある道だそうです。」


案内板を見ながら、ミトが説明した。


そして小野神社の脇から急な坂道をせっせと登って行き、奈良ばい谷戸に入る。谷地の合間の農地は里山の風景なのだった。その風景の中では、原色のロードバイクとサイクルウェアは少し浮いて見えるように、レイとコトコは感じた。


これまた昔の土の道である鎌倉古道を通って多摩センターに出て、夕食は美味しいインドカレーのお店で、ビールで乾杯し、カレーやタンドリーチキンを堪能する3人だった。


「今日の道は、細いタイヤでビンディングペダルのロードバイクには走りづらかったわね。」

「でも楽しかった。多摩川や荒川を走るのもいいけど、こういうサイクリングも楽しいね。」


3人は多摩センター駅から輪行して帰った。


そして2か月ほど経った週末。


ミトはレイに呼び出された。府中の大国魂神社おおくにたまじんじゃで待っているとレイとコトコがおニューの自転車で現れる。ミトと同じサーリークロスチェックだが、アメリカンハイエンドパーツの輝きも眩しい高価そうな自転車である。色はレイがマスタードイエロー、コトコはセージグリーンで今はまだレイやコトコのイメージではないが、そのうち自分たちの色になるのだろう。ウェアもぴちぴちのサイクルウェアではなく、ちょっとゆとりのあるカジュアルな物を着ている。


「社会人の財力をなめるなよ。」


レイとコトコは胸を張った。ユウに自転車屋を紹介してもらった二人は、お店にあるきらびやかなアメリカンハイエンドパーツにすっかり魅了されてしまい、ローンを組んで購入したというのは内緒である。


レイが高らかに宣言する。


「我々はここに『ワンスモア社会人部』を設立する。」

「おおー。」


「ガッツ入れていきましょう。」

「おおう。」


「ニューマシンでの初ポタリングよ。ミト、とっておきのコースに案内して。」

「はいはい。」


ミトは、やれやれと自転車を漕ぎ出した。


『ワンスモア社会人部』は、その後も長く活動が続いた。ヒワやユウも大学を卒業すると参加するようになった。いつしか会社の同僚や彼氏を連れてくる者、結婚して夫や子どもを連れて参加する者が現れ、人数も増えていった。大学のポタリングサークル『ワンスモア』がなくなってからも、その精神と活動は社会人部に引き継がれていくのである。

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