第92話 パン屋のセイル

ユウは夏休みに、以前アルバイトをしたパン屋でまたアルバイトをすることになった。パン屋の奥さんが二人目を妊娠して、仕事ができなくなったからである。


パン屋の店長が、見習いの職人の娘を紹介してくれた。


「祖父江 祐子です。よろしくお願いします。」


「祖父江さん?」


ユウは彼女をまじまじと見た。


「セイルさん?」


「久しぶり。祖父江さん、すごくきれいになったわね。」


セイルこと明科あかしな 和帆かずほは、ユウが高校の時の同級生である。引きこもりがちで、しょっちゅう休みながら何とか学校に通うユウには、当然友人などおらず、体育の授業などでペアを組む必要がある時に相手がいなかった。クラスの学級委員長だったセイルは担任の先生に頼まれて、そんな時はユウとペアを組んでくれたのである。


和帆は、美人で頭脳明晰、スポーツ万能で皆に好かれリーダーシップがあった。皆をぐいぐい引っ張っていくところから、名前の帆の字をもじって『セイル』というあだ名で呼ばれていたのである。


ユウはそんな彼女に憧れつつも、別に打ち解けることもなく、そのまま高校を卒業した。それだけの関係である。


セイルは朝早く店に出て、店長と一緒に色々なパンを作り始める。お昼前に一通りパンができあがると、ユウと一緒にパンを並べレジを手伝う。昼が過ぎると、店長と翌日の仕込みを行い、夕方まで働くのだった。


週1日の定休日は、疲れを取るため昼まで寝て、それから自分でパンを作ったりする。


ユウの母も「あの子は明るくて頑張り屋さんのいい子よ。」褒めていた。


店長も「彼女はものになる。きっといいパン職人になるよ。」応援していた。


お客が途切れると、ユウとセイルはレジで立ち話をしていた。セイルは高校を卒業後、専門学校に通い、卒業してこのお店に修業に入った。今は暖簾分けで独立するのを夢にしている。


「祖父江さんの自転車、素敵ね。何て言うの?」


「サーリーです。」


セイルはスマホでさっと検索した。


「けっこう高いのね。修業中の身には手が届かないわ。」


セイルを見ていると、大学にのんびり通いながらスチームローラーでのポタリングに熱中している自分が少し恥ずかしい、ユウだった。


夏休みも終わりとなり、パン屋のバイトも今日が最後となった。ユウとセイルはレジで並びながら話す。そろそろ、ユウのバイトも終わりの時間となった。


「祖父江さん。」


「私ね、受験に失敗したの。浪人して次の年も受けたんだけどだめだった。二浪はさせてもらえなくて料理の専門学校に行った。卒業してここで修業して暖簾分けしてもらって独立する夢ができたけど、高校時代の知り合いに会うのが恥ずかしかった。」


「今度、同窓会をやろうと思ってるの、祖父江さんも来ない?」


「行かないです。」


「みんなの中に私はいないでしょうし、私の中にもみんなはいないですから。」


ユウは素っ気なく答えた。


「わかったわ。」


和帆はくすくすと笑った。そしてユウとメールアドレスを交換したのだった。

その後、二人は時折メールをやり取りしたり、パンを買いに行った時に会ったりした。


それから1年くらいして、


「とうとう買えたよ。」写真を添付したメールが届いた。写真はサーリーのクロスチェックだった。


それから、ユウがパン屋の前を通りかかるたび、店の前にクロスチェックが停めてあるのを見かけた。そして、クロスチェックのカスタムについて相談のメールが来る。


「セイルさん、頑張っているんだな。」


ユウは自分が励まされているような気持ちになるのだった。

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