第68話 五色の相棒
そのロングホールトラッカーの出品者は、自転車での世界一周を目指していた。何年もかけて世界各地をロングホールトラッカーで旅したが、全ての大陸を回る前に彼の中で一区切りついたらしい。
彼が今後どのように暮らすのか知る由もないが、もうロングホールトラッカーは必要ないということで、ネットオークションに出品された。彼にとってロングホールトラッカーは単なる旅の道具で、相棒ではなかったようだ。
ユウは、この汚い自転車をミニバンに積まなきゃいけないのか、と憂鬱だったが、ハルが準備よく車の床にブルーシートを敷いてくれた。ロングホールトラッカーは『ワンスモア』の部室に持ち込まれる。
月曜日から作業が始まった。まずは全ての部品をフレームから取り外す。リンがハルに手伝わせながら、ロングホールトラッカーを分解していった。以前、錆だらけのシティサイクルを修理することを拒否したリンだが、この自転車をいじることは嫌がらなかった。
世界中を旅した自転車らしく、あらゆる所に砂や埃がつまっていた。この砂はどこの地のものだろうかと思うと、ちょっとロマンチックな気分になれた。
大体の部品は防錆潤滑油を吹きかけて、軽くプラスチックハンマーで叩いたりすれば取れたが、シートポストががっちりと固着してどうしても取れなかった。リンはフレームとシートポストの間に防錆潤滑油を注したり、プラスチックハンマーで叩いたり、ドライヤーで温めたりしていた。そうして最後にフレームを横にして、ユウがおへその辺りでサドルを持ち、リンとハルがフレームのヘッドパイプを持って
「せーのっ!」
力を入れるとフレームが回って、シートポストを外すことができた。
全ての部品が外れたフレームをリンは念入りに見る。幸いフレームに狂いやクラックはなかった。
ユウは、フレームとキャリアをコンパウンド入りのワックスで丁寧に磨いた。大きな傷は消えないが、汚れは取れて艶が出てフレームはきれいなエメラルドグリーンに戻った。
ハルは、外した部品を洗浄液につけて、ブラシで丁寧に洗う。よく乾かしてから、可動部分に注油する。
リンは、ハブやヘッドパーツ、ペダル、ボトムブラケットなどの回転部分を確認して、分解できる部品は中を清掃して新しいグリスを詰めた。ホイールの狂いもリンの家の振れ取り台で修正する。
そんな3人の様子をミトは何も言わずに、にこにこしながら見ていた。
部品はなるべくリンやユウが使わなくなった手持ちの中古を使うことにして、コストを下げる。
この自転車には、ドロップハンドルが付いていたのでリンが持っていた中古のフラットハンドルに交換した。買い出し用ならスタンドがいるだろうと、1本足のサイドスタンドより安定感があるボトムブラケットの後ろに取り付ける2本足のセンタースタンドを付ける。リヤキャリアの両脇にはステンレスメッシュのバスケットを取り付けた。
フロントのチェーンリングは3段だったので、リンの手持ちのシングルにしてリヤだけの9速にする。
タイヤとチューブはまだ使えたので、そのまま戻した。サドルは座り心地の良い肉厚の物、ブレーキレバーとシフトレバーは新品を付けた。その他、ブレーキワイヤーやシュー、シフトワイヤー、チェーンは新品に交換した。
およそ7日を経て、世界を旅する自転車から女性でも乗りやすい買い出し用の自転車に、ロングホールトラッカーは蘇った。
呼び出された五色がロングホールトラッカーを見て、びっくりする。中古でもとても7万円では買えない価値のある自転車。リンに乗ってみるように促され、またがるとゆっくりと走り出す。少し重いが、地を這うような安定感でまっすぐ進んで行く。重い荷物を載せても、それは変わらない。
それからは、学内で五色がロングホールトラッカーで買い出しに行く姿が見られるようになった。ユウたちには、その姿が何となく楽しげに見える。
ユウは、世界中を旅した自転車が女性の買い出し用の自転車として、余生を送るのも悪くないと思った。いや案外、ロングホールトラッカーは女の子を乗せて、自分はこれからが本番だと思っているのかも知れない。
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