第1話


運命というのはどこまでも残酷だ。

人は運命というものに抗うことは絶対にかなわないのだから。

昨日まで普通にそこにあった平凡な日常というのは

思いの外簡単に壊れてしまうもので。

つい昨日まではみんなで笑いあっていたというのにこの状況は一体なんだというのだろう。

僕の携帯に入った着信音と、そこに書かれた非通知からの連絡、それに不快感をあらわにしながらも指定された場所に来たらこの状況である。

歩くたびに靴が誰のものかもわからない血で濡れた床の上で音を立てる。

苦しかった。ただ苦しかった。

何もできなかったという現状と、助けることができなかったという後悔に、視界が狭まり、潤んで行く。

怖かった。

血を流して倒れている、誰よりも大切な二人のことを見つけた時、如何しようも無い息苦しさが襲いかかって呼吸が一瞬停止した。

息を飲んだというよりも、ただ本当に、一瞬呼吸が止まったのだ。

心臓が、脳が、喉が、身体中の器官が一瞬機能を停止させたのではないだろうかと錯覚するほどに。

一瞬仮死状態に陥ったのではないだろうかと錯覚するくらいには、呼吸をすることを一瞬忘れたのだった。視界は狭まり暗くなる。体から酸素がなくなっていきうまく呼吸ができなくなる。頭がうまく回らず金縛りにでもあったかのように体が動かなくなる。目の前で倒れているのが誰よりも大切な友人であるということを認めたくなくて、その隣で横たわっているのが兄であるということを認めたくなくて、必死で否定しようとするも二人の首にぶら下がるネックレスが嫌でもそれが本人であることを主張してきて、ずしりと重い何かが肩にのしかかる。

早く助けなければ、早く治療をしなければ、死んじゃう、死なせない、殺させない、助ける、助ける、助けてやる、死ぬな、、、。

そういった気持ちは嫌という程込み上げてくるのに体が動かない。脳がおかしくなったかのように、脳からの指令に体が動くまでに異様なまでのラグが生じる。

普段ならば簡単に出てくるはずなのに救急車を呼ぼうとして番号がわからなくなる。

やっとの思いで電話をかけたのは発見してから2分後のことだった。

止血をしなければ、なんて働かない体をなんとか動かして兄の腕を、腹を、修哉の足を、頭を、なんとか震える手で引きちぎった服で止血していく。

意識のない二人の名を何度もなんども呼ぶ。声が枯れる。喉に痛みがはしり切れたのがわかる。口の中に血の味がにじむ。声にならない声で、かすれ切った声で、何度も呼ぶ。


『心の声は届くんだ』


修哉がいつだって言っていた言葉を思い出し苦しくなる心臓のあたりをぎゅっと握りながら叫ぶ。

届けなくちゃ、と、、。

ただひたすらに、無我夢中に、あがいた。

意識が戻らない。心臓は動いているのに、脈はあるのに、意識が戻らない。

名前を呼んで欲しいのに、笑いかけて欲しいのに、撫でて欲しいのに、その口が動くことはない。

涙が頬を伝う。それを拭うこともせずただ必死に二人の名を呼ぶ。口を開くたびに激痛が走る、口から血が溢れる、それでも名を呼ぶことはやめなかった。


救急車のサイレンの音がいつからしていたのか、いつからきていたのか、気がついたときには救急隊員が入ってきて二人のことを救急車へと乗せていく。

その時の僕は、どうやらものすごく混乱していたようで二人を救急車に運ぼうとする救急隊員の手を掴み、ただひたすらに連れて行かないで、と抵抗した。

落ち着いてください、そう止めに来る救急隊員を振り切って二人のことを呼ぶ。

青白い救急車の中で、余計に体調が、容体が悪く見える兄の手を必死で握る。

元から、肌は白いし、細身体型だし、病弱体質の兄は体の血の大部分を失い余計に青白く、まるで死んでいるかのようだった。

それを受け止めたくなくて何度も兄の名前を呼ぶ。

反応がない。

脳裏に浮かぶのは、こちらを見て笑っている、かつて教師として信頼していた存在の顔で、ニヤニヤと面白そうに笑っているその姿に嫌悪感を抱く。


「どうせ助からないよ」


聞こえるはずがないのに屑に成り果てた、教師、、まあ仮にHとしよう。

Hの声でそう囁かれる。助かるんだ。お兄ちゃんは僕のことを一人になんかしない。そう約束してくれたんだ。

その幻聴を必死で否定して兄の名を呼ぶ。


「お兄ちゃん、、、お願い、だよ、もうひとりにしないで、、」


脈が動かない。

心臓がだんだんと弱くなっていく。


「心肺停止っ!!」


看護師がそう叫んだのを聞いて呼吸が停止する。

心停止、?

シンテイシ、?

心臓が、停止、した、、?


「DC持って来てっ!!」

「アドレナリン投与っ」


医者が慌しく動く中、思考がうまく働かない。

病院に駆け込んで治療を開始するものの心臓が動かない。

医者が心臓マッサージに勤めているのを眺める。


「蓮っっっ!!!」


僕の連絡を受けて、慌てて仕事を投げ出して来たであろう祐さんが心臓マッサージを受けるお兄ちゃんに駆け寄って必死で名前を呼んでいるのを見ながら、動かない体でその場に立ち尽くす。


「っ、修哉と蓮さんはっ!」

「二人の容体は、!?」


入って来た二人の青年の声は聞こえているのに、答えが出てこない。

返さなくてはいけないとわかっているのに、この状況で二人の容体を知っているのは僕だけなのに声が出てこない。


「っっ、!晴っ!!!」


鋭い痛みが頬に走る。

途端に今、郁さんに殴られたことを悟る。


「二人の容体はっ、って、聞いてんだよっ!」


睨まれる。そらそうだ。兄のように慕っている蓮にいと弟分であり相棒であり親友である修哉がこんな状態なら不安にもなるし、その容体を知っている存在がぼーっとしていたら腹ただしいだろう。でも容体を伝えようとするたびに視界が狭まっていく。呼吸がおかしくなり声が出なくなっていく。


「、、、っぁ、おにー、ちゃん、はしんてー、し、、今、心マ、してる、しゅーやは、意識が、ない、、おにー、ちゃん、は腹を思い切り切り裂かれて、修哉、は腹を、ナイフが貫通」


やっとの思いで絞り出した声はあまりにも震えていて、思考が回らないせいで余計に言葉なんて出てこなくて、抑えていた涙が溢れだす。

なんとか一命をとりとめた兄と修哉が手術室に運ばれた時にはもう涙なんて抑えられなくて、こみ上げる吐き気とともに、破顔する。

涙が堪えられなくなり苦しさに顔を歪ませる。

そんな僕を見てことの異常さに気づいたのか都さんが背中を優しくさすってくれるものの襲い来る吐き気にその手を振り払いトイレへと駆け込んだ。

視界がぐるぐるとし吐き気が襲いかかるも、食べていないからだろう、透明な胃液が腹の底から、せり上がり無色透明なそれが吐き出される。

途端に喉が焼けるように熱くなり生理的な涙が頬を伝っていく。

どうして、。

僕たちは、夢を見ることさえも許されないんですか?


『現実を見なさい、』

『どうして教師の、担任の、大人のいうことを聞かないんですか』

『いうことを聞かないのなら、俺たちの思い通りにいかないのなら、そんなお前達なんて殺してしまえばいいですよね』


冷たく吐き捨てた担任の姿を思い出し吐き気がさらに襲いかかる。

苦しさに呼吸がおかしくなる。

ただ僕は、夢を描いただけなのに。


「っおい、!?晴っ!?」

「拓哉っ!!看護婦呼んできて!!!」

「おうっ!」


追いかけてきた都さんと拓哉さんの声を耳にしたのが最後、僕の意識はそこで途絶えたのだった。

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