幕間

 物語を観るには体力が必要だ。

 小説、漫画、芝居にしたってそう。

 自分自身の喜怒哀楽だけで、こんなにも毎日ふり回されるというのに、他人の人生を追走して疲れないわけがない。


 特にわたしの場合は、登場人物に感情移入し過ぎてしまう。それが突拍子もないファンタジーだったとしても、わたしの心は天から地へ、地の果てから地の果てへ揺らいでしまうのだ。最終的につよいカタルシスを得られるのだとしても、それまでの苦悩を目の当たりにするだけで体力が尽きてしまう。正直言って、物語を観るのは苦手だった。


 しかし嫌いというわけでもない。ここが難しいところだ。人はときに、あえて苦しいことを求める。好んでそうする。わたしが彼に出逢ったのも、そんな因果だったのかもしれない。


 彼は出逢ったばかりの頃も、今も、変わらず物語を書き続けている。ひたすらに面白いものを求めて。文章が織りなす不思議を求めて。とにかく書き続けている。


 彼のそんなところを誇らしく思う。わたしは彼を愛している。

 だからこそ彼には、優しい人であり続けて欲しかった。


 いや、彼は優しい人だ。わたしが泣いていれば肩を抱き、笑っていれば共に笑ってくれる。決して怒鳴り散らすことなく、けれど愛情をもって叱ってくれることもある。


 けれど、わたしは我儘で。

 何ものに対してもそうあって欲しかった。

 どんなに悲しい物語が待っていたとしても、それをハッピーエンドに変えてくれる彼が愛しかったのだ。


『エンターテイメントの終わりが、ハッピーだとは限らない。それに、これは僕のメッセージなんだ』


 もっと楽しい話もいいんじゃない?

 そう提案したとき、彼から返された科白だった。


 それはどこまでも正しく、彼の信念に固かった。

 だからわたしに言えることなど、なにもあるはずがない。

 わたしは物書きではないし、それゆえ物語になんら影響を与えることはできない。


 それでも物語を、人物を苦しめる彼の一筆は、本当にエンターテイメントなのかと思う。物語に寄り添い、そこに救いの手を伸ばすのが、その世界の神であり、その世界を愛する者の役目なのではないだろうか。彼が愛しているのは、物語ではなく『エンターテイメント』になってしまってはいないだろうか。


 寝静まったリビングで独り、滅多に焚かないキャンドルの炎を見つめながら、わたしはひどく感傷的な気持ちになっていた。


 きっと彼のパソコンから、書きかけの原稿を盗み見てしまったからだ。その無数の修正案を記したプロットも。


 わたしは、膝に飛びのってきた猫のマーズをひと撫ですると、遠いとおい世界の住人へそっと呼びかけた。


「……秋穂」

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