幕間

 オーストラリアには危険な生物が多い。

 ワニやサメといった単に凶暴なものばかりでなく、強力な毒を有するものも少なくない。


 たとえばブルドッグアントなどは、昆虫の中でも特に強力な毒をもつとされ、集団で襲われれば命を落とす危険がある。シドニージョウゴグモに咬まれれば、その毒で汗や涙が流れだし胃液までしぼりつくされた挙句、心臓がショック状態に陥り死に至る。


 田舎ではヘビがそこここで見られ、中にはナイリクタイパンと呼ばれる、地球上のヘビのなかで最も強力な毒をもつものもいる。また毒性のつよいヘビの上位二十五種のうち、実に二十種もがオーストラリアに生息するというから驚きだ。


 海のなかも無論危険で、日本でも見られるオニダルマオコゼやアンボイナガイの生息が確認されている。北部近海には極小のイルカンジクラゲが潜んでおり、彼らはアボリジニのイルカンジ族から「見えない怪物」と恐れられたことから、そう命名された。


 このように列挙すればきりがないのだが、中でも僕が注目したいのは、しかし動物ではない。


 オーストラリアでは、安易に草むらへ進入してはならない。そして驚くべきことに、ひそむ脅威の正体は、アリでもクモでもヘビでもない。


 草むらそのものである。


 最悪の毒性植物、その名をギンピ・ギンピという。

 英名ではスティンガーとも称されるそれは、枝葉をグラスファイバー状の刺毛しもうで覆ったイラクサ科の植物だ。一見すれば、どこにでもありそうな普通の植物だが、その実体はおぞましい。


 ギンピ・ギンピには、決して触れてはならない。その表面を撫でるだけで、無数の刺毛が突きささり、激痛を誘発するからだ。その痛みたるや、絶えず酸をふきかけられるような痛みとまで言われ、立って歩くことはおろか、眠ることもままならなくなる。銃で頭を打ちぬいて自殺した者もいるほど、その痛みは苛烈極まるのだ。


 そして最も恐れるべきは、その痛みの持続性にある。

 なんとギンピ・ギンピによる激痛は、少なくとも数ヶ月、長ければ二年もの間続くのである。その上、痛みは全身におよび、痛み止めや麻酔を投与しても芳しい効果は期待できない。


 中には二十年痛みが続いた例もあり、あるいは冷水に触れるなどすると、痛みがぶり返すとも言われる。二百年以上前の標本は、未だ変わらぬ毒性を有しているそうだ。


 ギンピ・ギンピの毒には、永続的な力が秘められているのかもしれない。


 ところで、永続的というと時間の概念を想起せずにおれない。

 これはとても厄介な概念で、我々人間は「過去・現在・未来」といった考え方や時間の遡行、進行、あるいは停滞などを想像できても、時間が「無い」ということは想像できない。


 僕がこうして書いている間にも時間が存在し、誰かがこれを見る間にも時間が存在する。我々は決して、この軛から逃れることはできない。意思をもつものでなくとも、それは同じで、時間は常に一方向に進みつづける。


 神というものが存在するならば、彼の者は世界に毒を打ったのかもしれない。ギンピ・ギンピのような永続的な毒を。だからこそ我々は、なす術なく囚われているのだろう。


 だが、僕は思う。

 物語を書きながら、思うのだ。


 この世に存在するものすべてが、本当に毒に侵されたものなのかどうか。


 僕の頭のなかで生まれた物語は、はたして僕と同じ時間を生きているのだろうか。

 僕の考えついた物語は、あるいはより以前から存在してはいなかったのだろうか。


 物語は書かれた瞬間から進み始めるのだろうか。認識された瞬間から生き始めるのだろうか。


 閉じられた本の中の命は?

 僕と彼女とが別々に読み始めた、同じ物語のなかの時間は?


 果たして同一の事象を刻んでいると言えるだろうか?

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