(10) 伝説のパフォーマンス

 

 ステイヤーズ・ステークスのゴールの瞬間、ターフから真横に目を向けた岡平師は、

 

「やってくれましたね」

 

 と、フレアの馬主に言った。そして、

 

「たしかに石本さんのいわれたとおり、伝説を作りましたね」

 

 苦い表情で岡平師は付け加えた。

 

「勝っていれば、ね」

 

 馬主の石本が言葉を返す。

 

「勝っていますよ、クビからアタマくらい」

 

 岡平師が言った。長年現場に携わっているのだ。ハナ差ならともかく、ある程度の差があれば間違えるはずがない。

 

「ほう」

 

 洒落っ気のある老人が、相好を崩した。

 

「希代の名手が言うのなら、間違いない」

 

 うんうんと、頷きながら言った。

 

「間違いありません。一旦交わされての、差しきり勝ちです」

 

 岡平師は、「差しきり」のところを強調して言った。

 

「うれしいですね。じゃあ、表彰式に向かわないと」

 

「そうですね。おめでとうございます」

 

 そこで立ち去りかけた石本が、数歩岡平師の方に戻り、

 

「今年中にあの馬でもう1回、表彰式に出たいものですなぁ」

 

 と、いたずらっぽく言った。そしてエレベーターに向かっていった。

 

 再びターフに身体を向けた岡平師の目に、ビジョンの映すリプレイ映像が流れた。

 

 第4コーナー。あきらかに南條は後続を待っている。フレアをがっちり抑えたままだ。

 

 おそらく南條は、この1戦ではマルクが早めに動くと読んでいたはずだ。難攻不落の逃げ馬を負かしにいくのであれば、道中の位置を多少上げざるを得ない。通常、追い込み馬を無理に前に持っていくと馬の走る気を削ぎ、末脚が鈍るものだが、マルクであればそうさせない術を持っている。南條はそこまで読んでいたはずだ。恐るべきマルクの信頼度と、南條の読みと言っていい。トップアスリート同士の駆け引きだ。

 

 それで南條は、マルクのシルバーソードとヨーイドンで直線を叩き合おうと計画していたのだろう。

 

 そして南條はシルバーソードを完膚なきまでに叩きのめした。着差は僅かだが、この負けは引導を渡されたようなものだ。またこのパフォーマンスは、我々タイムシーフ陣営にも衝撃を与えるものだった。一つのレースで2つのライバルを叩いたのだ。

 

 ―― 弥生、今のレースを観てどう思った!?

 

 岡平師は、ジョッキールームにいるであろう弥生のことを思った。

 

 弥生はこの1分ほど、身体が固まっていたことに気づいた。

 

 まるで鼓動も息も止まっているかのようだった。

 

 競馬サークルで使う言葉に、『テンよし 中よし 終いよし』というものがある。「スタートがよくて、道中も素直で折り合いがつき、最後にきっちり伸びる」という、万能の有力馬を表した言葉だ。逃げ馬と見られていたフレアだが、今日、万能ぶりを見せつけた。弥生はこの言葉を頭に浮かべたが、すぐさま、ちがうと打ち消した。フレアのそれは、こんな言葉では収まりきれないものだ。

 

 『テン最高 中よし 終い最高』。語呂は極めて悪いが、そんな感じだ。

 

 弥生は、これまでの身体の硬直を解くために、ふぅと大きくため息をついた。いろいろと考えが頭をめぐっている間に写真判定の結果が出て、フレアがアタマ差先着していた。何故か、当然フレアが勝っているものと思い込んでいた弥生は、その確定に、何を今更と感じた。

 

 ―― それにしても、どこにもスキがない。


 よく菊花賞を勝てたなぁと、あらためて思った。そう、タイムシーフと自分は、あの万能の強者に勝っているのだ。

 

 でも、有馬記念では分からないと弥生は正直に思った。タイムシーフの不調もあって、自信が沸かなかった。

 

 ―― おとうさんとの最後の一戦。負けたくない、勝利で飾りたい、でも……。

 

 周囲に人がいるのでじっとモニターを観るに努めたが、弥生は頭を抱えたかった。

 

 

 

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